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2014.10.19(Sun):占い
世に人間学は数多くあれど、現代の人間学、成功哲学などは遙か古からのコピーのようなところもあり、真に道理、道義を説いた人間学、哲学は現代に於いてはほとんどなりを潜めてしまった感が感じられます。

 其仙流に於いては老子の「道徳」孔子の「論語」荘子の「荘子」などに重きを置いております。占い師たる者その人間性に於いても日々磨きを掛けなければなりません。
 また、相談者に対しましても単なる吉凶を述べるのではなく、宅占事務所や街易、鑑定所は学びの場でもあるとしております。

 そこで我々、其仙流が代々口伝で継承しております、人間学は人間学でも開運する為の人間学を一部抜粋ではございますが、ブログに挙げて見たいと思います。

 これは其仙流の先人たちが長年の研究結果の集大成であり、今現在も当代によって加筆、研究がなされているもので開運する為の人間学をして経運学と称しております。



{お題}和の編 和は重心を計ってゼロになるの意味。
ヒント: 「利は義の和なり」(文言伝)
イ)利は会社、義は法国家、和はバランス(重心)と見立てて。
ロ)利は実、義は足るを知る、和は仁に近い守として。

手がかり1:この段では和の概念から。東洋的な無は無でも和の精神がうすい(無無)ゼロではなく和の精神がある無(有無)とします。
 「利は義の和なり」をなぞってみれば、そこには「和はバランス(重心)を計り限りなくゼロになる」とする東洋的な和とします。
 一方で利を会社になぞり、義を法国家で和は全体のバランス(重心)を計る、守る、「無」の心としましょう。

 この場合、利の会社の優位は物つくり社会で、経営力が必要で位置づけであり役割とします。
そしてそこには、人間力優先と運力強化はバランス(和)が計られてこその小社会の立場をひとまずは大事に。

手がかり2:易の元亨利貞(げん、こう、り、てい)はまた春夏秋冬になぞって見ます。
この春夏秋冬の機を兆しを察する能力は前兆を感じ、察し、社会が求めている事は何かを、時の変化を直観出来る能力にも。
 そしてそこに、軸なる守りがいります。易での乾(けん)の大いなる器に和の守りが見守る事で、逆説的に社会に何が出来る、役に立つ事に特化できるならば実りに通じる、です。

 貞は正しい種を残し次の春の元に。
ここでもう一方のなぞりに「高率」があります。つまり早い事の効果です。無秩序的ではなく、響きのある伝播力のある運で、運が良いは率の良い人生に通じます。
 経営者には特に運力がほしいものです、それには広く浸透する運力がいります。

手がかり3:ここでは易の神(しん)とは筮竹と卦との関係をさぐり、人相学ではどうなるのかを述べたいと思います。
「筮竹の徳は円にして神(しん)、卦の徳は方にして以って知なり」(文言伝)
「陰陽、測られば、之を神(しん)と謂う」(文言伝)
「一陰一陽、之を道と謂う」(文言伝)

 神は測らざる動きなので機微であり、それを円にして神なる筮竹で以って陰陽せられざるを筮竹で得るのが卦であるとしています。
 つまり、筮竹を揲するを人相では命堂(眉と眉の間)で観ます。

当流では之を運勢を観る事に特化した透視術「無相」と言い、運勢を判断します。
 とは申しましても和の概念が不足します。

{まとめ}和の概念を四段階にして運はよりどの段階に付くのかを考えてみましょう。

小級)小和と申しましょうか、小さい和は運が有るとか無いとかではなくそれ以前の問題でございます。この段階ではまだまだ、自分勝手さが存在しておる和でございます。

中級)中和は半分半分の運で運が有ったり無かったりの不安定さがしんどいです。そこそこ、和の必要性、重要性が分かり始めた段階でしょう。

大級)大和はまさに、実用的な運周りでございます。和の概念の中に「自分」を介在させない段階でこの段階に来て初めて実用的な和になります。

上級)これを経運学では潤和と謂い、あまねく潤いの上運でございます。この段階まで行くと和の概念の中に自然感覚が備わっておるので、自然と和の中に更なる運力が付いていく事になります。        


当流、経運学では、大和は実用的、潤和はあまねく潤いの上運とし経営者や人の上に立つ者達の開運を和を以ってするならば大和を目指し、その先の潤和に達すればそれはもう潤いある人生としております。つまり、潤和は自分のみならず自分とその周りの者にまでその恵みが行き届くのであります。
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 当流、其仙流は八徳(仁義礼智忠信孝悌)をその学びの基礎としておりますが、八徳の最初にして帰する所は和であるとしております。和に始まり和に終わるを一つの大いなる徳とし日々研鑽しております。



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2014.10.19(Sun):占い
現代に於いては様々な占いのスタイルが存在しております、それに伴いほんの数十年前では有り得なかった思想や考え価値観がこの占い業界にも存在するようにもなりました。

その原理、原則が正しく作用しており、相談者の為の指南をしておるなら、何も問題はありません。

 ですが、現実は中々どうして、そうは行かないようでございます。我々、占い師や指南者は相談者の為、相談者のお役に立って初めてその存在意義があります。現代占いの多くは「占い師の為の占い、占いの為の占い」に成り下がっておるようです。何かあるとすぐ先祖、因縁がどうやらこうやら、前世、過去生がどうのこうの、神がどうとのこうとの、愛が云々かんぬんととても占いの本質とは遠くかけ離れたものにございます。
 
 何度もこのブログでもお伝えしておりますが、運勢と霊感、オカルトや神、宗教などとは基本的に因果関係はございません。今、目の前の問題を会った事もない先祖や神が解決してくれません、宗教や愛も現実に持ち込み過ぎると大きな意味で人生の本道から外れて行きます。(ただし、何事にも例外は存在致します)

今回、取り上げたいのは何を以って「本物」なのか?という事です。この問題はとても難解で、多角的理解が出来ないと頭が混乱致します、出来るだけ皆さんにも理解しやすいように説明してみましょう。

ここで本物とは?を考えるのに手がかりになる例を挙げてみたいと思います。


手がかり1:以前あるお客様が私に聞いて来ました。

お客様「ある陰陽師がいるんですけど、その方が本物かどうか分かりますか?」

ミズハ「ではABCにそれぞれの答えを振り分けて書いてみて下さい」

ミズハ「例えばA本物 B五分五分 C偽物とかですね」

お客様「はい、分かりました」

そこでお客様は思案しながらABCと振り分けました。

ミズハ「う~ん、どうもCのように観えますが」

お客様「そうですか、では本物ですね、私Cに本物と書きましたので」

ミズハ「でも、これは怪しいですね」

お客様「何がでしょう」

ミズハ「本物の陰陽師かどうかと言われれば、答えはCになりますが、どうも中身が無いというか・・・」

お客様「どういう事でしょう?本物なのに中身が無いとは?」

ミズハ「確かにある意味歴史もあるし代々陰陽師を務めて来ている流派の方だとは思いますが、本当に学術を修め(深く理解し、研究しているか)、本当に力を持つ修業を修めているか、本当にどうすれば陰陽師として人に社会に役に立つか、を心得ているか?と言われれば大変、偽物に近いという事です」

お客様「そんな事あるんですか?、歴史も長いようですし、由緒正しい流派なようですが」

ミズハ「要するに、形式的には本物でありますが、実力、お客様の役に立つ、と言った意味で言うならば偽物ですね」


はい、ここがポイントでございます、歴史的に陰陽師の家系だから=本物かと言われれば、そのまま=ではないという事です、ここが一般人の良く陥る落とし穴なんですね。そもそも、日本の陰陽師を名乗るその99%はそういう意味で言うならば偽物です、例え本物であったとしても本場中国の陰陽師(陰陽家)と比べたら日本版自称陰陽師は100%まがい物でございます。歴史をちゃんと勉強すれば分かります。

 あえて、日本版陰陽師は誰か?と言われれば我々、易者を指します。陰陽師(陰陽家)とはそもそも、陰陽論をあらゆる事に置き換えてその作用がどこまで、どのようにあるのかを研究する学者を指します。日本版陰陽師は呪い、祈祷、などを行うのが陰陽師と皆さん認識しておりますが、それは誤ったイメージでございます、確かに場所(国、地域)が変わればその有様も変化する事もあります、また本場中国の陰陽師(陰陽家)の少数の方達も呪い、祈梼、はたまた護符などを使用しておったものもいたようですが、本人達もこれを以って陰陽師(陰陽家)とは言っておりません、その本質が変わればそれはもう全く新しい何かであって、それでも陰陽師かと言われれば偽物と言わざるを得ないでしょう。
 
 このような事は何も陰陽師に限った事ではなく、それこそ由緒正しい神社の神官、お寺の住職にも有り得ます。歴史、伝統に誤魔化されてその本質を見抜けないんですね、本質を見抜く目、聞く耳、感覚また専門的知識などが養われていないとこの落とし穴に落ちる事も多々あります。
                                                            クローバー


手がかり2:特殊能力があるから本物なのか?
運というものを直接、肉眼で見る事は出来ないものでございます、それ故に目に見えぬ運を観る事の出来る能力が必要である事はこのブログでもお伝えしてきました。

運を観る事の出来る能力は大きく分けて4つ、存在致します。ただ、ご注意して頂きたいのは、ここで言う運勢を観るとは単純に観るという行為でけではなく、「運勢を能く捉える」事を指します、ですから必ずしも、観る=見るでなく、観る=感じるなども含まれます。

①画像透視(俗に云われる千里眼の類)
②無相(運勢を観る事に特化した当流だけの透視法)
③観相(気色、神気を捉える事によって観える方法)
④直観(大きく分けると、観るという行為の直観と、感じるの直観がございます)

以上の四つがそれが過去にせよ未来にせよ、運勢を観る事の出来る能力でございます。恐らく運勢を観る事が出来る能力は現在はこの四つだけであると思われます。

②の無相は当流だけの透視法なので今回は省きますが、①の画像透視、③の観相、④の直観は一般的に知られている事でしょう、ここでは主に③の観相と④の直観より①の画像透視に重きを置いて述べていきたいと思います。

この画像透視は俗に云われる透視術、千里眼といったものですが、昨今では霊視(死者、怨霊など)や過去生(前世)を観るなどという能力も一緒にされていますが、厳密に言えば画像透視はある特定の場面、シーンを観る能力を指しますので霊視、過去生を観る能力とは根本的に違います。

 千里眼や透視術は遙か古から伝わっており、知っている人は多くいらっしゃる事でしょう。中国の仙道を記した古書にも度々その存在が確認されます。
事実この画像透視は存在致します。ですがその力の不安定さから、また個人差の激しさから一代限りというのが今日に於いて画像透視が脈々と継承出来ない理由でございます。また観たい時に観る!っという事は中々難しく観える時は観えるが観えない時は観えないといったものでございます。

 画像透視の根本的原理は本人の「氣力」を消費致します、元々燃費が悪いものなので氣力を消費するとすぐに空になり中々連続して観る事が敵わないものでございまして、この氣力の消費も個人差が激しく、連続して観れる者は数日~数年と云った所でございます。

 また空になった氣力を充電するにも個人差があり数日から数年、場合によっては数十年と掛かります。

後、稀に成長段階に於いて脳が活性化され、このような能力を持つに至る事もありますが、その多くは成長と共にその能力は無くなっていきます。それと、異常体験を経験された方の中に極少数、このような能力に覚醒する方もいらっしゃいますがこれも、多くが一時的なものにございます。

このような能力は人類が共通して持っているものでございます、人類の進化過程で多くの能力が淘汰されて来ました、透視能力もその一つにございます。
 透視が出来るからその占い師は本物か?と問われると、これだけではとても本物と断ずる事は出来ません。何故か?能力が本物であっても相談者の、お役に立つか立たないかが本物とまがい物との差でございまして、例えその能力が本物であっても「腕」がなければそれは現実的に通用しないものでございます。

占い師に於いて「腕」とは何か?でございます。以下に挙げてみました。

・相談者の為の占いか?
・その原理、原則が正しいのか?
・相談者の未来を観ておるのか?

更にここに占い師の人間性が問われます。一般の勤め人には通用しても人の上に立つお立場の方には通用しないではもう一つ「腕」がありません。
 どのようなお立場の方にも対応出来て初めて一人前でございます。

例えば、お寿司があります。方や職人の作ったお寿司で、一方は主婦の作ったにぎり寿司があります。誰でもお寿司は見よう見まねで作る事は容易に出来ます、シャリをそれらしくにぎり、ネタをその上にのせるだけで「らしく」は見えます。

 方や職人のにぎり寿司はシャリの握り方、ネタの吟味に始まりさばき方、などをお客様目線で創意工夫しそこに職人の思い、魂を込めるからこそ素人との差が生じ商売になるわけです。

占いもこれと同じで方法論が正しいからとか、能力があるからとか、過去に何度か言い当てたとか、そのような枝葉末節を振りかざす占い師は腕が有るとか無いとか以前の問題で人間性が出来ておらぬものでしょう、このような占い師は本物とは?を己に問わないといけないでしょう。

 そして、運勢学を自己流に学ばず、本物を探し求めまた自分に問い、時間を掛けて研究、鍛練に励み、己の人間性を高めて行くと次第に本物に近づいていきます。


{まとめ}
素人からすると透視能力をいきなり見せられたら、この占い師こそ本物だ!となりやすいのは分かりますが一喜一憂せず、相談者も過ぎる好奇心や遊びに過ぎる事は自重しないといけないでしょう。

 また歴史、伝統に誤魔化されずその人物が本物かどうかを見る目を養う事が必要でございましょう、元々、運勢学などは専門職でありますから、素人からすれば理解しづらいものではございますが、せめてその人物を見極める事くらいは出来ないと本物と思っていた占い師が実は偽物、まがい物であったなどという落ちになります。

昔の占い師や指南者はその占法が正しくない方法であっても、その人間性が高くそれが正しくない占法の補いとなっておりました。昨今の占い業界にこのような占い師や指南者は稀有でございましょう。
 占いと云うものをこれほど、気軽なものにした事は評価出来ますが、そもそも運勢学はその人間性に支えられて初めて学ぶ姿勢が問われます、つまりは学ぶ姿勢が出来ておらぬ者には理解出来ないものであり、何でも知識先行の時代になっておりますが、どんな学問も常にその人間性が問われ真面目に研究、修得出来るかどうかでございます。
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2014.10.09(Thu):占い
秋もすっかり深まって来ているようで、朝晩は少し肌寒い日が訪れて来てますね。
 
今回のテーマは占いは非現実的なのか?現実的なのか?です。中々際どいテーマですね、けれどもこれは是非とも当流が述べたい事でもあります。ではでは・・・。

占いは現実的か非現実的か?どちらなのでしょう?こんな事占い師が述べるのもおかしな話でございますが、いきなり結論から申せば占いとは現実的でございます。
 我々、其仙流が言う現実的占い、非現実的占いとは?勿論、「原理、原則」が確かに作用しておる占法を用いてその上での事でありますが。以下のように挙げてみました。

①オカルト、霊感、神秘思想または不純物的考え、思想を取り除いたもの。
②相談者の今を観つつ未来の道筋を伝える。
③必要以上にあえて粗を言うべからず。

細かい事を言えばまだありますが、大体以上の三つが現実的かどうかの判断基準になるでしょう。それではそれぞれを説明していきましょう。

①オカルト、霊感、神秘思想または不純物的な考え、思想を取り除いたもの

占いとは相談者のこれから先の未来をどう開運していくか?現在の問題をどう乗り越えて行くか?今の幸福をどう繁栄維持していくか?大まかに言えばこの三つが観えて指南出来ないと、占いの意義が失われるでしょう。
 オカルト、霊感占いのそのほとんどは根拠がありません。このブログ内でも何回も述べておりますが先祖がどうとか、過去生がどうとか、動物霊や生霊があれやこれやらは運勢とは全く因果関係がありません、みなさんある程度冷静に考えたら分かるはずなんですが、わきまえ無き好奇心や思い込みなどが冷静な、また現実的な思考の邪魔をするようです。
 さらにそこに占い師側の過度な宣伝、パフォーマンスなどが加わり、また占い師自身も占いとはオカルト、霊感であると思い込んでいる事が事態を更に悪化、悪循環、複雑化しております。

確かに例外的な事はございますがあくまで例外は例外でそれが常になっておる状況は異常と言わざるを得ません。

またここで一つ注目したいのが、神秘思想ですね。
 神秘思想は主に西洋文化圏から広がってますが、東洋や北欧、アフリカ諸国でもそれぞれの文化と融合しあいながら現代に於いても新たな思想へと変化しつつあります。
 この神秘思想または神秘学の影響で、占星術やスピリチュアル、前世思想、など多くの占法または新たな思想を生む切っ掛けにもなっております。多くの神秘思想、神秘学はほとんど根拠が無く原理、原則がどこに働いているのか皆目見当もつかないものであります、何処まで行っても入口も出口も神秘に始まり神秘に終わるが、ほとんどの神秘思想、神秘学の本質なようでこれを現実的な占いか?と言われれば「否」と言わざるを得ません。


②相談者の今を観つつ未来への道筋を伝える。

ある日ふと、街を歩いていると街易の易者さんの席に相談者が座って今まさに相談をしているところを小耳にはさんだ時の事です、その易者さんは相談者の悩みを聞かずいきなり「貴方は両親が離婚していますね?」とか「母方に付いていってますね」「「大学を卒業してそこそこの企業に勤めてますね」云々かんぬんと一方的におべんちゃらをしておりました。
 よく耳を澄ますとどうやら相談者はお付き合いしている恋人と今年結婚したらよいか来年結婚したらよいのか?を聞きたいみたいなのですが易者はお構いなく「当てもの占い」「分析占い」を続けていました、相談者は次第にげんなりした表情を浮かべる始末、易者はそれに気づかず永遠おべんちゃらを続けておりました。

 よくある占いの光景ですね、何度も言っておりますが占いとは「当てもの、分析占い」がその本質ではありません、例えその「当てもの、分析占い」が当たっていようが「腕がある占い師とは言えません」。
 相談者はまさに今、目の前の問題を聞きたいのです、今、目前にある悩みを解決したいのです。

 相談者の「今」を観て現在の運勢が悪ければどうすれば軌道修正出来るか?現在の運勢が良ければどうすれば繁栄維持出来るか?今を観て未来に繋がる指南をする事に占い師は意義を見出さなくてはいけません
 我々、占い師は相談者と共に泣き共に笑う存在でなくてはいけません。病を観て人を観ずのような占い師になって何の意味があるのでしょうか?ただの自己満足に過ぎないでしょう。 


③必要以上にあえて粗を言うべからず。

 人の悪いクセは目に付きやすく、良い所は目に付きにくいものでございます。観相学や透視、占い全般にも言える事ですが悪い所ばかり観るのではなく良い所も観てその上での指南をしないといけないでしょう。
 我々、占い師は平たく言えば吉凶を述べているわけですが、「そこに学び」があるかどうかが「腕と人格を問われる所」でもあります。故についついお説教になりやすくなりますが、お説教はお説教でもただのお説教なのか?学びのあるお説教なのかわきまえたい所であります。
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運とは確実に存在しているものでございます。皆さんも何となくそれこそ奇跡かと思われる出来事や、トラブルに巻き込まれたりして何かの導きかと思ってしまうような突破口を見出したりといった体験や、こんなに幸せで、恵まれていいものかと思ってしまうくらい幸運に恵まれたりといった経験、体験があると思います。
 
 また同じ年生まれ、同じような環境で育ち、同じ企業に勤めて、ここ一番運に恵まれる人と、うだつの上がらない人とがいます。

これらの出来事は大きな意味で言えば運が有るか無いかの差でございます。ただ運とは目に見えないものでございますから、そこに不安や、不安定さ、疑り、つまり運を有るか、無いかの選択にかけてしまうのです。

 無いかもしれない…と思ってしまえば無いものとして生きて行くしかございません、ですが例えば、ここにある恋人がいるとして女性は男性を愛しています、ですが男性は愛なんて目に見えないからと疑ったり、不安定になると次第に二人の関係はギクシャクし温度が冷めてしまうでしょう。
 運とはこれと同じでございます、愛という目に見えないものが有るか、無いかを疑う余地はあるべくもなく、運も確実に有るのです。また相談者のお役に立つという考えがしっかりと無いと現実的に役に立つものではございません。

 その運を計って吉凶を読み、開運、人間的成長、問題解決の糸口などを指南するのが占いの本質であり、また指南者、占い師という事でございます。
 ただ、初めに挙げました通り、占法の原理、原則が間違っていたり(オカルト、霊感、神秘思想など)占い師の人格がもう一つ仕上がっておらぬようでは、占いの玄妙さを発揮する事はかなうべく事もない有様でしょう。 
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2014.09.30(Tue):占い
中々、面白そうなテーマですね。また、一般の方々にも少しは占い業界の歴史が正しく理解できるのではないでしょうか?
 
 占いの歴史がいつから始まったのかは諸説色々ございますが。一つ挙げるとしたら易の始まりの約五千年前からと言う事は出来ると思います。易は運勢学の大元にして後に様々な学問を生み出していく切っ掛けになりまた、様々な占法を生み出す切っ掛けにもなっています。
 
 この五千年の歴史の中で一体いつから占い業界がおかしくなり始めたのか?実は五千年前からすでにおかしくなり始めていたのです。
ここで、一つハッキリさせておきたい事があります。何を以っておかしいか?という事です。以下にまとめてみました。

①その原理、原則を歪曲。
②歴史を歪曲。
③オカルト、霊感、神秘と混同。

大まかに言えばこの三つを我々、其仙流は運勢学を大きく歪曲し正しく理解していないと一応、位置づけております。

この①~③はいつの時代でもどの土地、国でも起こって来た事です。そういう意味では五千年前からすでにこの業界はおかしくなり始めていたと言っても過言ではないでしょう。いつの時代でも自分が開発者、宗家、創始者を名乗りたがる者やオカルト、霊感、神秘と混同したり、思い込んだりする者はいますからね。
(ただし、③は全否定ではありませんので補足しておきます。)
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ここからは特にこの日本に於いていつからこの業界がおかしくなり始めたのか?を述べていこうと思います。

 日本古来から存在しておりました占法は、どちらかと言うとお呪いやそれこそオカルトと混同していたようです、古くは鬼道や風占いなど俗に言う「お告げ的」位置づけですね。
 それから後に平安時代あたりから中国を主に海外の占術が輸入されてきました、方位学、易学、観相学など多種多様なものが日本に入って来たのです。
 
 でここで一つ問題があります、実は輸入された占術のほとんどが偽物、まがい物、大事な部分を抜き取った状態などで輸入された事です。
 つまり、初めから偽物を掴まされていたわけですね。さらに、それまでの日本の「お告げ的占い」と思想が相まって後に色々な占法、占術を日本が開発していく事になっていきます。

そもそも、何故中国が偽物を日本に輸出するような事になったのか?これは幾つかの理由が存在します。以下に幾つか挙げてみました。

①焚書。
 焚書とは、時の政権にとって都合の悪い政治的影響力のある書物を全て燃やす行為が中国では何度も起きております。この焚書によって多くの占術、占法の古書も失っています。代表的な焚書を挙げると易学ですね、易の占法は古今東西、全部で三つで、一つは連山易、一つは帰蔵易、一つは周易の三つをして三易といいます。
 この三易の中で連山易と帰蔵易は焚書によって失われて現在では残る周易だけが伝わっておるわけです。

この焚書から逃れるために口伝で次の担い手に継承するようになったり、大事な部分を抜き取った状態にしたりして後の世に伝わったのが一つの理由でございます。

②一つに縛られる事を嫌った。
 時の貴族、王族のお抱えに一門がされたりする中で占法を守るためにお抱えになる事を嫌った流派、一門がこれも口伝や大事な部分を抜き取る事によって後に伝えたのが原因です。
 お抱えになる事を拒めば一族、一門を皆殺しにし敵国に占法、占術が漏れるのを恐れたほどです。

以上の二つが後に日本に偽物、まがい物、大事な部分が抜き取られた状態で輸入された理由の一部です。当時の中国ではすでに本物とまがい物を見分ける事が出来る者はほんの一握りでとても正しく見分ける事など不可能であった事でしょう。
 情報化社会が進み、インターネット、国際交流が進んだ現代でさえ本物とまがい物を見分ける事が出来ないのですからある意味仕方ない事でしょう。

 さて、ここからが今回のメインですが日本に於いてこの占い業界がおかしくなってしまった原因が大きく言いますと二つあります。大元は先ほど述べました、そもそも輸入された占法、占術はまがい物だという事が前提ですが、それでも本物は日本に少数ですが輸入されています。ですが、いつの時代でも本物は隠れ、まがい物が跋扈するものでございます。

日本に於いて占い業界がおかしくなっていった出来事の原因に 一つは水野南北先生の南北相法があります。
宝暦10年(1760年)から天保5年(1834年)江戸時代中期の人相家です。一般的に観相学の大家と呼ばれ「節食開運法」を唱えた人物です。
 日本の観相学の先人を我々、其仙流も敬うかたわら南北先生の南北相法は実践では通用しないものとしております。確かに部分的には一理ある所もございますが、観相学の根本と運勢の原理、原則を深く理解していなかったのが評価できない理由でございます。
何故、南北先生が後に観相学の大家と呼ばれるようになったのか?その理由の一つに節食開運法を唱えた事があると思います。というか、南北先生の行き様が、どこかひょうひょうとし世捨て人と取れるような奇人と言っては失礼かもしれませんがどこか突飛拍子のない人物性が良い意味で後の観相学にも影響したのでしょう。その例の一つが節食開運法であると思います、節食する事によって人は運が良くも悪くもなるとしたもので、健康法としてなら一理ある所もございますが、決して開運法としてはお粗末なものでございます。
 そもそも、南北先生は師匠から観相学を学んだのは三日でしかなのです。とても観相学のイロハを熟知していたとは考えられません。
 まぁ、これらも諸説がいくつかございますが、南北相法が現代人相家にも多大な影響を与えている事は間違いない事実でしょう。ですが、南北先生の書物の幾つかを読んでも気色、神気を正しく理解しているようには思えませんし、運勢の原理、原則をとても理解しているとは思い難いものでございます。
 
 現代の観相家は南北相法は観相家としては必ず通る道の一つだ!とか南北相法一つ体得すれば他はいらない!と言っている観相家、人相家は大変多く見受けられます。
 これほど間違ったもしくはまがい物じみた相法が現代まで続くほどの影響力はすごいと思いますが、現代の観相家の多くが間違っておる大きな要因の中に観相学、人相学は暗記するものと思っているからです、相に現れたらそれはすでに過去の事ですから結果、分析占い、当てもの占いになっていくわけで未来への運勢に対しての指南は出来ません。つまり、暗記は暗記でも一つ一つの部位の現象を暗記するのではなく気色に於いても神気に於いても未来を観る勘所を体得すれば後はその応用です。

 これが日本の観相学に於いて少しづつ本道からずれだした一つの原因です。


日本の占い業界がおかしくなりだした、本道から外れだした原因の中に先に挙げました、観相学に於いては江戸時代の南北先生の南北相法が強く挙げられる事は述べました。ではその他にはと言いますと九星気学が挙げられますね。

 九星気学の創始者は園田真次郎先生といいます。明治9年(1876年)生まれ。大正13年(1924年)に気学を創始しております。このブログでも何回もお伝えしておりますが、九星気学は大きくいくつかの間違いを犯しております、以下に挙げてみました。

①男女ともに同じ九星の割り出しをしている。
②方位盤の四正を30度としている。
③歴史の歪曲。

①の九星の割り出し方は男女別で行うのが自明の理でございます。易を深く学べば分かります。

②の四正(東西南北)を30度で取っているのは何も気学が初めてではないのですがこれも易を深く学べば分かる事でございます

③の歴史の歪曲は何も気学だけには止まりませんが、調べればすぐに間違いだと分かる範囲でもいくつかあります。例を挙げましたら、九星気学が古代中国から存在しておったと言っておる気学鑑定士がいます。これは間違いの範囲ではなく故意に歴史を歪曲したとしか取れません、気学創始は大正13年(1924年)と文献にもハッキリ載っておりますから。明らかな嘘でございます。

このように、いくつかの大きな間違いを九星気学は犯しつつ現代まで来ております。またこれまでは占いとは長い下済みつまりは修業が必要と言う認識であったのが、勉強(知識)だけで占い師になれると言う認識も広がり急激に一般に広がりました。また大正時代から昭和初期にかけては高島易者が大変多くいたわけですが、この自称高島易者達によりこれまた九星気学は急速に広がり今日に至っています。
 この、九星気学に限らず明治、大正時代そして昭和の中期にかけては自称高島易者や色々なスタイルの占い師が世に出て来始めた時代ですね、ここが一つ、この業界がおかしくなり始めた二つ目の大きなポイントですね。これらを境に現代へと続き、数十年前では考えられない占法、スタイルなどが横行しております。
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「まとめ」
長々と書いて来ました今回のテーマ、いつから占い業界がおかしくなり始めたか?を取り上げて来ました。
勿論、細かい段階は無数にあった事でしょうが大きく分けると、先ずそもそも輸入元の本場中国に於いて当時からすでに本物はほとんど世に出ていなかったというのが前提で、観相学に於いては江戸時代の南北相法が後の日本の観相学に影響を与えた事、次に明治から昭和初期、中期に九星気学、自称高島易者を始め知識だけで占いをする者が急増して来たため。
 日本に於いてはこの二つが現代の占い業界が何でもありの、分析占い、霊感占い、オカルト占い、当てもの占い、神秘占いに偏った本物から掛け離れた占いになってしまった経緯でしょう。

 補足ですが、明治、大正時代はそれまで占いとはどこか世間から外れておる人たちが行うものであるとか、人目を気にしつつ利用するなど陰日向のどちらかと言えば陰の存在が日向に出て来た時代でもあります。
 この多くの占い師を輩出した時代に多くのまがい物の占法、占術ならびに多くの占いの何たるかを深く理解していない占い師も輩出してしまい、現代に続いておるわけです。

占いとは目に見えぬもの、つまりは「運」を取り扱う事に終始しなければなりません、そして相談者を開運へと導いていかなくては、その意義が見失われるでしょう。
 また、目に見えぬ運をどう捕捉するかは計算や知識だけでは到底無理な話・・・、故に運を観る事が出来る能力が求められます。さらに、どこまでも相談者の為に尽力するという高い人間性。 これらの心構えがしっかりと出来ておれば、中国から輸入された当時はまがい物ばかりでも、いずれは賢い日本人の事、必ず本物に行き着いた、気付いた、本物を見抜いた事でしょう。

 元々、民族として賢い日本人にしてこの有様です。やはり、古書にも載っております通り「これ妄りに人に教えるべからず」だったようですね。



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2014.09.09(Tue):占い
日本に於いても観相学、つまり人相、手相などは一般的に市民権を十分得たと言ってもいいでしょう。
 我々、其仙流も麻衣相法を継承しておるわけですが。

何回かブログでもお伝えしておるように、観相とは相に現れたらそれはすでに過去の事なんですね、未来は気色、神気などいわゆる光の動きを瞬時に捉えないと観えて来ません。それでも、色を追いかけすぎるとやはり、過去を観つめる事になります、氣とは形を成す前の段階は光のような雲のような状態ですこれをしっかり捉えないと中々、未来の運勢は観えずらいものです。
 古書にもこう記されています「観相とは人の氣を相する事である」と云っております。この氣の部分を不十分にしか理解してなかったのが今日の混乱の一因です。

 未来は決まっておりませんから、半歩先、一歩先を観ていく事が重要になってきます。気色、神気に於いて未来とは微かな光で現れます、光は瞬間瞬間に変化を致しますから、この微かなものを瞬間的、刹那的に捉え判断していく事が未来への指南になっていきます。
しかも、この判断力、解釈力に我々自身の人間性が同時に問われます。

 ですから、指南者や占い師は高い人格を目指さなければ良い指南は出来ないんですね。
指南とは占いとは言い当てる行為ではなく未来への開運の、また成長の、また問題解決のアドバイスをする事です。
この中に当てる行為は含まれますが、当てる事に始まり当てる事に終わる占い師は腕がないのと同時に人格ももう一つ出来ていないと言わざるを得ないでしょう。
                                 竹林

易は変化を説いています、つまり運勢とは決まりきった事ではなく常に変化し生成消滅を来り返しておるわけですからその原理が易から来ている観相も変化を捉えないと運勢は観えて来ないんですね。
 この変化が観相に於いては光、つまり気色や神気と言ってるわけです。

ですから、当流は観つめれば観つめるほど観えなくなるを代々、継承しているわけです。これは古書、「麻衣相法」にも記載されている事でございます。
 
 凝視すればすでにそれは過去の事しか観えなくなっていきます、未来を運勢を観たいのならば瞬間の光を追うしかないのです。

 ここで、将来への不安があります。我々のこの主張、「観つめれば観つめるほど観えなくなる」やこのブログでも何回もいっております我々、其仙流の未来を観る事に特化した透視術「無相」などを今後、我々が注目されたり我々の主張が通り出したら必ず現れるのが、後出しジャンケンをする者達です。

他流ですが過去にも色々いました、「それは私たちが先に発見しておりました」とか「それは代々奥義として伝わっておりました」とか、手のひらを返す如くのわきまえ無き、分別無き言動が起こる度に心を痛めておりました。

 ですから、ここで宣言させて頂きます。今後我々と同じような、または似たような主張をされる者は全員偽物でございます。くれぐれもご注意を。

 先人達からのこの預かり物が汚される事なく後世に正しく伝わっていくよう祈る思いです。
紅葉1


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