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2014.05.20(Tue):占い
このブログで何回も「占いと指南」または「占い師と指南者」のそれぞれの違いを述べて来たわけですが、今回はもっと詳しく説明してみようと思います。
 
 「占い師」「指南者」一般の方々は両者とも同じものだという認識を持っていらっしゃる事と思います。
言葉としては「指南者」が始まりです、「占い師」という言葉は諸説ありますが、一般的に広がったのは恐らく、日本においてはここ40年~50年と言ったところではないでしょうか?

「運勢」を「占って」その結果を「指南者」が「指南」する。
 これが正当占いです。

現代占い師と指南者の違いを簡単に一言で述べましたら以下のようになります。

・占い師=言い当てる。

・指南者=言い当てない(幅を持った言い方)

これが、「占い師」と「指南者」の違いです。

一般の方々や多くの占い師が「言い当てる」行為が「占い」だと思っている事と思います。そして「言い当てれた占い師」が「本物」であると思っています。
要するに「的中率」が高いと「腕のある占い師」であるという認識があるわけです。

これは、断言出来ますが、大きな大きな「間違い」です。

例えば、ネットや雑誌でも「恐ろしいほどの的中率○○先生」とか「驚異の的中率を誇る○○占法」とか、このような宣伝、広告をよく目にしますが、逆に言えば「的中率の高い占い師という事を歌う占い師ほど腕が無い占い師」と言えるでしょう。

「本物」とは?我々「占い師」「指南者」において言うならばそれは「開運」に「導けれる」「占い師」「指南者」が「本物」と言う定義でしょう。決して「的中率」で「本物か偽物か」を論ずるものではありません。

「開運」に「導けれない」から「的中率」にこだわらざるを得ないのです。要するに「腕」が無いから「言い当てる」占いのやり方になるんですね。

この「言い当てる」占いに一般の方々が慣れてしまっているので我々「指南者」は大変、困るわけです。
そして、「腕が無い」とか「抽象的な事を言う」「誰でも言えるじゃないか!」などと「本物」を「偽物扱い」するわけです。

「言い当てた」ところで「開運」にならなければそれは「本物」と言えないわけですから、「所詮」、「お遊び」です。
あの占い師に「言い当てられた~」「私の過去をズバリ当てられました~」「三年後に貴方は運命の人と出会います!って言われました~」など一喜一憂する事に何の「価値もありません」、ただその場で「盛り上がるだけ」です。
ですから、「お遊び」「ゲーム感覚」と割り切るならよろしいんですが、本当に「悩んで、人生の岐路」に立ってしまったとか「真剣に仕事で悩んでいるとか」そこに「真剣度」がある悩みは中々、「言い当てようとする」占い師には苦手な領域になるでしょう。つまり「腕」が無いという事になります。

では「腕」の無い「占い師」「指南者」の特徴はどういったものがあるのでしょうか?
・言い当てようとする。(断定した言い方)
・先祖云々を言い出す。
・前世云々を言い出す。
・寿命を言い出す。
・業云々を言い出す。
・必要以上に癒そうとする(癒しの言葉を連発、そのような雰囲気を出し過ぎる)

このような特徴があります。言った内容が「当たろうが当たるまいが」、「腕」はありません。
例えば、相談者が「寿命」を聞いて来たならば確かに答えるしかありませんが、以前にも言いました通り「未来」は決まっておりませんから、大体の「幅」で「寿命」を答えるしかないんですね。
 
 後、「癒し」も場合によっては必要ですがこれに「終始」するとなると「腕」がある、とは言い難いですね。

「先祖」「前世」「業」云々を言い出す占い師は先ず疑ってかかった方が良いです。「先祖」「前世」は「開運」に基本的に因果関係はありませんから。

勿論、我々「指南者」も場合によっては「癒し」や「オカルト」「霊感」めいた事を言う事もありますが、それは特例中の特例の場合だけでして、何より大切なのは「相談者をどうすれば開運に導けるか」この一点のみなんですね。ここを「心得た」上で場合によっては「オカルト」「霊感」めいた事を言うケースはあります。



今回は、あえて「占い師」と「指南者」を分けて説明して来ましたが、現代では「占い師」も「指南者」も同義と捉えて申し分ないとは思いますが、「ここ一番、相談者の運勢を救えるか、開運に導けれるか」これが出来るかどうかです。
 勿論、「開運」=「成長」ですから、相談者やその相談内容によっては我々も相談者と数年、場合によっては数十年相談者にお付き合いするわけですから、その「腕」は日々磨いておかなければいけません。

この辺りを、理解してない同業の「占い師」からも、私の事を、「言い当てれないから偽物だよ」とか「言い当てようとしないから腕が無い」とか言われます。
 また、相談者からは「それが占いですか?」とか「誰でも言えるじゃないですかと」言われたりもします。

もう一度言いますね、「言い当てようとする占い師ほど腕がありません」し「誰にでも言えません」。
 我々、「指南者」も場合によっては言い当てる行為もありますが、それはそのようにハッキリ観えた時だけです。
他の「言い当てようとする占い師」は基本的に「未来」を言い当てれませんから、結果「過去」ばかりを云々言うんですね、それは「過去」を観る占法(陰法)を使ってるからです。
 まして、「前世」「先祖」を「言い当てる」?そんな事確かめる術もないですし、「開運」とは関係ないので「意味は無い」でしょう。
 

確かに「言い当てようとする」やり方はある意味で「説得力」「信憑性」が生まれます、ですが「開運」に繋がらない限り意味は無いですし、仮に一時的に「開運」したとしても一時的なものは「有限」なのですぐに「運」は下がります。
 では、「指南」にはどのような所に「説得力」「信憑性」が生まれて来るのでしょう?

・「指南者」が指南した通りに事が運んだ。(未来を相談者自身が追体験する)

基本的にこの一点が「指南」の「説得力」「信憑性」になります。「指南」は基本的に「未来」に対して「開運」を促す行為なので、「占った」その場で「説得力」「信憑性」が出ない場合もあります。勿論、相談内容によってはその場で「説得力」「信憑性」がある発言、要するに「言い当てる」行為もあります。

例えば、相談者本人しか知らない「気持ち」を「言い当てたり」、彼氏、彼女の二人の関係を「言い当てたり」、家族間の込み入った事情を「言い当てたり」これらの事は場合によっては「言い当てます」。
 ですが、何回も言いますが「開運」に導かないと意味は無いので、我々「指南者」は「言い当てる事」に「終始」しません。場合によってはハッキリと「観えている」時でもそれが、「開運」に必要ない事なら相談者にいちいち伝えたりしない時もあります。
要するに「指南者」は「状況、心情、環境」の「空気感」を「含んだ」言い方をする事によって「説得力」「信憑性」を伝えます。
 故にどうしても「幅」のある言い方にならざるを得ないのです。言い方を変えれば、言い当てようとする「占い師」は「当てるに始まり当てるに終わる」これが「腕」が無いと我々は言っているわけです。
 では、「指南者」はと言うと、「開運に始まり、開運に終わる」です。「指南者」はこの「開運」の過程で当たる事が生じる事がありますが、「言い当てる事が占い」と思い込んでるものとは、全くスタートライン(立ち位置)からして違うので、これは相談者もしばらく「腕」のある「指南者」とお付き合いをしながら徐々に、その「指南者」の「威力」「玄妙さ」「凄さ」に気付いていきます。
 


昔から言います。「指南者は、当たる当たらないを超えろ」と、また、こうも昔から言われます「当たる当たらないにこだわる指南者は当たろうが当たるまいが、腕が無い」と。
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