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2014.05.15(Thu):占い
何度も、このブログでお伝えしております、其仙流の「無相」ですが、その片鱗、一端はすでに約1600年前の「麻衣相法」の創始者「麻衣仙人」によって「密語」の形を以って伝えられています。其仙流は代々これを「奥義」の一つとして、約100年続く流派でございます。

 其仙流の先人たち、またその源流の先人たちの長年の研究により、それまで漠然としていたものをどこまでも「現実的」に捉え、生に活かしていく事が「指南者」の努め、誇りであるとして、精進しております。

「無相」はブログでも述べさせて頂いているように、眉間の少し上の部分「印堂」という部位に「未知の器官」が存在するものと思われます。また、この「印堂」は「光」を感知し恐らくは「干渉」出来るものと思われます。

私の、私見ですが「人の思いは形に成る」と思っております。「指南業」をしておりますと、相談者によっては「同じ思い、願望、目標」を10年、人によっては20年も持ち続けております、相談者もいます、そしてついにはその「目標。願望、、思い」を成就させるのです。
其仙流の「運の法則」に「願い続ければ必ずチャンスは訪れる」というものがあります。
これは長年の先人たちの研究結果でありますが、不思議な事に「強い意志を以って、何年も場合によっては何十年も思えば奇跡的なチャンスが訪れます」これは、「人の思いの力、意志の力」にまだ「未知の力、可能性」があるものと思われます。

 これは、もしかしたら、「世界人類」が非常に「質の高い願い」を人類規模で願うと成就するのかもしれないと思う次第でございます。
 これらの、現象を引き起こしておる場所は恐らく「脳」でしょう。そして「印堂」も強くそれに関与しておると思われます。


私、ミズハは「思考」と「思い」は違うと思っております。「思考」は=「脳」 「思い」は=「心」がそれぞれを司っていると思います。そして、この「思考」と「思い」の「連動」が「人類規模」で同じことを、非常に「高い質」で「願い」「祈り」などの形を以って「思う」と「適う」のではと思っております。

もし、この仮説が正しければ「人類規模」「地球規模」の「問題」は少しずつ解決出来るのではないでしょうか?
 しかも、恐らく「人類史上」類を見ない「解決方法」であるかもしれません。

ですが、これにはある一つの「問題」が存在しております。それは、「人類規模」で「同じレベルで一つの事を願う」という事がすぐには出来ないという事です。
 簡単に説明しますと、日本人は非常にある意味レベルが高い民族と思われます。このレベルという事を「徳」と置き換えてみましょうか。

 日本人に「徳」と言っても大体の方は理解出来る事と思いますが、例えば「貧しい国」「戦争中の国」などでは、この「徳」というい「概念そのものが非常に希薄」です。要するに「徳」とは?と逆に聞き返されます。そして「徳」とはこういうものですと説明すると、「そんな考えでは生きて行けません」と言われます。

もっと身近な例を上げてみましょうか。ここに一匹の「捨て猫」がいたとします。友人と二人で歩いていたら「捨て猫」を発見しました、よく見たら大変、愛くるしい子猫です。そこで、一人の友人はサッとその子猫を抱き上げ餌になるものを買って子猫に与えようとしましたが、もう一人の友人は一時の気持ちで餌を上げようとしているわけではないだろうが、この「子猫を飼う」意志がないのなら、今かわいそうと思い餌をあげる行為はやめておいた方が良いと言いました。
 
 これは「子猫」を非常に「かわいそう」と思い「餌を与える側の考え」と「かわいそうだからこそ」「餌を与えない事が結果、子猫のため」と思う違いで両者ともに、その考えは「正しい」と思います。

このように、その対象者が「同じ」であるにもかかわらず「思いは一定しない」んですね。

 この日本人が当たり前に思っている「徳」という考え一つとっても、「国」「地域」が変わっただけでその「理解度」は全然違ってきます。要するに「価値観」が違いすぎるという事なんですね。
 
 この「価値観」が違いすぎると先に述べました、「人類が同じ事を願う」という事に「ズレ」が生じます。それが「高い質」となれば尚更であります。

これらの事を成し遂げようとすれば、人類全体がもっと「精神」を向上させる必要があります。ですが、「貧しい国」や「戦争中の国」などでは中々「精神」を向上させる事もままならない状況もあります。
 これは特に「後進国」がそのお国のそれぞれの事情により「精神」や「心」を高めていくという事より「今を生きる」事の方が必要性が高いからです。
 そして方や「先進国」は「平和ボケ」を起こしている状態で、ある種の「飽和状態」であります。

これらの理由を考えると「人類が思いを同じくする」という事は、まだまだ先の話でしょう。
ですが、私はどこまでも「人間の未知の力」を信じたいです。それは「人間の思いの力」だと思います。
人間の底力を・・・。


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