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2014.05.13(Tue):占い
この、ブログで何回も言わせて頂いています「開運」ですが、「開運=成長」とお伝えしております、しかも「成長」の中に「足るを知った上で見識、道徳、哲学」が必要とも述べて来ました。

で、今回は逆に、「開運出来ない」=「成長が出来ない」を取り上げて見ようと思います。
何故、成長が出来ないのか、原因はいくつか考えられます。一つは何回も述べていますが「思考停止」が原因です。

 この「思考停止」は現代人特有のある種の「心の病気」です。要するに「生きて行く力」が実は弱いんですね。

後、もう一つ代表的な原因があります。「我」です。皆さん大きいか小さいかは個人差はあると思いますが、「大なり小なり我が強い」わけなんですね。
これが「成長出来ない」もう一つの大きな原因です。この「我」とは「自分」「己」という意味とは少し違います。

 どう違うかと言いますと、「見識、道徳、哲学」これらが不十分だと「我」になり、正しく「見識、道徳、哲学」があるなら「自分」「己」なんですね。
 要するに、「偏った」考え方を持つと「我」になるわけです。「我」がそれほど出てない時は「害」もなく問題はあまりないかもしれませんが、「我」が強く出過ぎてしまうと、「正しい判断」が出来なかったり「独善」「独りよがり」「贅沢」「わがまま」などになっていきます。

この「我が強い」は往々にして皆さんありますから、かなり気を付けないと「成長願望」はあるのに「成長できない」といった状況になります。

では、どうすれば「我」を無くしていけるか、つまりは正しく「見識、道徳、哲学」を積んでいくしか無いわけです。

「見識、道徳、哲学」を皆さん勿論、知っているとは思いますが、もう一度ここでそれぞれを、説明していきましょう。


「見識」とは?

先ず初めに言っておきたい事があります。「成長」とは=「人間学を修める」という事です。
この「人間学」の学習には三つの段階があります。それは、「知識」「見識」「胆識」です。「知識」とは人からの話を聞いたり、書物を読んだりして得られるものであります・

 今の時代は非常に「情報」が溢れている時代です。そういう意味では「知識」は簡単に得られる時代と言えるでしょう。ですが、「知識」=「情報」だけでは不十分です。

「知識」とは、物事の「本質を見通す思慮、判断力が加わって初めて意義、意味があるもの」となります。これが「見識」です。
 「見識」を身に付けるには先ず、物事を幅広く捉え、かつ深く考える事にあります。「東洋哲学」に「思考の三原則」というものがあります。
・目先にとらわれず出来るだけ長い目で観察する事。
・物事の一面にとらわれないで、出来るだけ多角的に考察する事。
・末端にとらわれず、「根」つまりは「根本」を観察する事。

以上であります。この際に大事な事は「自分の事として」考える事にあります。

このような、過程、経験を経て真の思考が次第に成熟していきます。これらを修める事が出来たならば、優れた判断力が身に付く事になります。そして、志を高く持つ事が大変、肝要であります。

「志」とは「人生のテーマ」=「人生の目標」「生きがい」「やりがい」などです。

「志」がしっかり出来て来ると「何が道理に適っているか」「この問題は斯くあらねばならない」という思慮分別が「明らか」になる。これは「朱子学」でいうところの「格物致知」というもので、物事の道理を窮め「知」を致(のば)すという事であります。こうなると、「知識」は「知識」でなくなり「見識」へと高まっていくのです。
 
「見識」は「不断の修養」のみによって身に付くもので、「知識」のように人から「借りたり」「貰ったり」出来ないものであります。

「胆識」とは「見識」に「決断力」「実行力」が備わったものを「胆識」と言います。「胆力」のある「見識」が即ち「胆識」という事であります。

この「胆識」を身に付けるにはどうすれば良いのか?
それは「陽明学」では「事上磨錬」(実際の事に当たって精神を練磨する事)であると言っています。即ち、日々の、仕事や生活に徹底的に打ち込み、その「努力の積み重ね」の中で身に付くと言っているわけですね。

「陽明学」では「知る事は行う事の始まりであり、行う事は知る事の完成である」と言っています。これを「知行合一」と言います。

「知識」が「見識」になり、さらに「胆識」になる事によって、人間の「器」が大きくなっていく。いわゆる「器量人」といわれるもので、「人の上に立つ者ほど必要とされる資質」であります。

この「器」が=人の「運」という事でもありますから、「器」を大きくする事と言うのは「運」を大きくしていく行為なので=「開運」するわけです。



「道徳」とは?

「道徳」とは非常に簡単に説明しますと、「正邪の判別」です。「良いか悪いか」「善か悪か」「白か黒か」であります。
 ですが「善悪の判別」も生まれた国、育った環境、教育、などにもよって「個人の価値観」に依存する所もあり、だからこそ「見識」が必要になっていくんですね。



「哲学」とは?

「哲学」とは「道理」と言う意味です。「哲学者」とは「道理に明るい者」という事になります。
「道理」とは「正しい筋道」「正しい道」故に誰にも「侵す事が出来ないもの」であります。
人の上に立つ人ほど「哲学」は必要であり、例え「経営者」「権力者」であろうともこの「道理」を侵す事は出来ませんしあってはならないものでもあります。
 「勤め人」「下働き」などの方達は「社訓」「上司」「先輩」などが「監督」してくれるので道を外しかかっても「注意」してくれますが「経営者」や「権力者」は「注意」をしてくれる人が中々いませんので、「哲学」が必要なんですね。




「見識、道徳、哲学」は何も「経営者、権力者」にだけ必要というわけでなく、一般の方々にも勿論、必要なわけです。

特に「開運」したければ当たり前のように必要なわけで現代人は、どこか「開運」=「頂き物」のような捉え方をしております。「開運」=「努力」「知恵」そして「成長」です。



余談ですが、其仙流は「見識、道徳、哲学」これらを修めている者を「高い人格」を有している者としているわけです。
 勿論、其仙流も「高い人格者」を目指しております。

本来「占い師」=「高い人格者」でなければならないはずが、今や「占い師」=「タレント」「人気商売」に成り下がっているように感じられます。「自分を売り込むための過度な広告、宣伝」には「品格」が無く、「相談者のための占いが今や占い師のための占い」になり、その「本質は失墜」しております。

 「人の成長」を「指し示す」お仕事の占い師ですからこそ、「高い人格」が求められるのです。


                               




                                参考資料=鴇田正春氏のホームページ

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