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2014.05.06(Tue):占い
宗教ⅤS運勢学、このテーマは何だか禁断の一線を超えるような、ドキドキハラハラです。
 現代人の多くが「宗教」「運勢学」を正しく理解出来ていません。「漠然」とそれぞれを理解し関連付けしています。
今回は「宗教」と「運勢学」の「接点」と「正しい認識」を述べていこうと思います。

「運勢学」はこのブログでも何回も言っていますが、「陰陽論」「造化論」を以って「運勢を計る」事です。
 そして、計った後に正しい方向性、成長、努力をアドバイスする者が「指南者」です。
「運勢学」は遙か古の時代からあります。先ず最初に「陰陽論」がありました。これが元で「易」が生まれ、それ以降様々な「占法」が生まれました。

 そして、「造化論」は「三才」で言う所の「人運」に当たります「人運」を上げていくという事は相談者本人の「人間的な成長」を指します。どうすれば困難を打開、乗り越えていけるのか。どうすれば成功出来るのか。どうすれば助けられるのか。これ以外にも勿論「造化」の考え方は沢山あります。要するに「造化」とは「自らの人生を自らを以って創造し切り開いて行く」かが全てです。

「天運」は「宿命」です。しかも「宿命」は「先天的宿命」と「後天的宿命」があります。「先天的宿命」はこの世に生まれ落ちた時の「環境」「両親」「血筋」「お家柄」などで決まります。
 「後天的宿命」とは事前にある種の「因」を踏みその結果起こる「未来」を指します。
「人運」を上げる事によって「後天的宿命」も上げる事が出来ます。
要するに、「造化」の精神があれば「先天的宿命」が恵まれない人でも「後天的宿命」が結果的に人生を「補っていく」ので、結局の所「天運」も大切ですが「人運」が何より大切なんですね。


人はこの世に生まれ落ちた時にその身に宿す「運」だけでも「生きる」事自体は誰でも出来ます。中には非常に恵まれた「宿命」を宿し、成功する人も勿論、いるでしょう。
ですが、更なる「成功」「充実した人生」を手に入れるには、そこから更なる「努力」「成長」つまりは「運」の「助け」「助力」などがないと難しいんですね。
 
 「神様」は助けてくれません。「他人」も自分の事で一杯一杯です。「神様」も「他人」も力を貸してくれるとしたら「自らの人生を自らが創造し切り開く」者に対してだけです。例えそのような生き方が出来ない人に対しても最低限の助けは「神様」「他人」も与えてくれているはずです。
 それでも「運」が悪い人はやはり「造化の精神」が足りない、つまり「真剣に自分の人生を生きていない」からでしょう。

つまり、「運勢学」とは「運」を扱っているという事なんですね。この「運」を「開運」させるためには「人間力」を上げるのが肝要なんですね。



お次は「宗教」ですね。「宗教」と一口に言っても様々あります、一つ一つの「宗教」の主張を述べていたらキリがないので細かい事は今回は一旦横に置いときます。
世界最古の「宗教」は「ゾロアスター教」と言われています。現在のペルシャを中心に栄えた「宗教」です。
後、バラモン教、ヒンズー教などもかなり歴史は古いですね。

 ですが、恐らくは「ゾロアスター教」以前にも土着信仰を母体とした、小規模な「宗教」は世界中にあったと思われます。
 この「宗教」はどうやって生まれたのか?
私も、世界中の「宗教」を知っているわけではありませんが、恐らくは以下のような理由でしょう。
 
①「国」「地域」を「統治」するため。
②「難民」「貧民」を「救うため」
③「権力」の「象徴」

ざっと、この三つが「宗教」が出来た多くの理由でしょう。では一つずつ説明していきましょう。

①「国」「地域」を「統治」するため。
これはかつて、日本においてもありました。今から、約1400年前の飛鳥時代、当時はそれまで正式に「国が正式に制定する宗教、信仰」というものは無かったものの古くから漠然とあった「神道」が一応日本の「宗教」でありました。
 ですが「疫病」「餓え」「難病」が多発しそれまでの「神道」だけでは日本を「統治」する事が難しくなり、「聖徳太子」が「神道」に代わり用いたのが「仏教」でした。
 この「仏教」は日本が独自に産み出したものではありませんが、他国の「宗教」を積極的に取り入れた珍しい部類の例ですね。

②「難民」「貧民」を「救うため」
これは、キリスト教が有名ですね。紀元一世紀のはじめキリストがその当時の「圧政」に対し、「博愛」を民に説いたんですね。これだけが理由ではなかったようですが、新たな宗教を確立する事によって民、民衆の「心」に安らぎと安寧をもたらさんとした事は確かでしょう。
 結局、キリストは新しい、「宗教」を確立する前に「十字架」にかけられ、その弟子たちによって後に「キリスト教」が出来たわけです。

③「権力」の「象徴」
エジプトのファラオ、ツタンカーメンの父、アクエン・アテンがそれまでの「アメン信仰」を一新、全く新しい「宗教」「アテン信仰」を国の正式な「宗教」と制定しその「権力」を世に知らしめる事によってその土台を盤石なものにしようとした。
 後に息子のツタンカーメンによって「アメン信仰」が復活する事になる。


ざっと、上げてみました。大体これら三つの理由が「宗教の生まれた理由」でしょう。
 勿論、それぞれの理由が「複合」する事はしばしばあります。
それぞれの理由はありますが、簡単にまとめると「宗教」の生まれた理由はそのほとんどが目的は違うにせよ「民衆をまとめるため」です。
 「民衆をまとめる」事によって「権力の誇示」「統治」「救い」を成していったものなんですね。
では、何故「民衆をまとめる」事が「権力の誇示」「統治」「救い」になるのでしょうか?

それは、「民衆の心に拠り所」を作る事によって一種の「安らぎ」を得れるからです。
 「統治」「権力」はその地域の統治者が「神」(要するに絶対的立場の、第三者)に選ばれた者であるとする事によって「統治」をスムーズにした。

「救い」も「民衆の拠り所」ですね。圧政に対して民衆は「無力」です。そこの「拠り所」となる「信仰」を与える事によって「救われる」んですね。




以上が、「運勢学」とは?と「宗教」が生まれた理由です。

 「運勢学」と「宗教」どっちが先にこの世に誕生したのか?それは、「運勢学」なんですね。つまり、「運勢学」「運命学」が「宗教」「信仰」を「産み出した」ものなんですね。
 確かに「運勢学」「運命学」と「宗教」「信仰」は「重なる部分」がありますが、本質的には違うものです。
現代人の多くが「運勢学」「運命学」と「宗教」「信仰」を正しく「整理」出来ておりません。

近年、「占い師」が「宗教的発言」をしたり、「宗教者」が「運勢」を説いたりしている事をよく耳にします。
 勿論、それらが「正しく」発言されていたら、そんなに問題ではありませんが。「運勢学」ですら「正しく」理解出来ていない者が多い今の世の中、「宗教」をも「正しく」理解出来ている者はほとんどいない状況でしょう。

では、一体「運勢」は何を説いているの?「宗教」は何を説いているの?と言いますと。
 大変簡単に述べますと。

「運勢」は「運」を説いている。
「宗教」は「生き方」を説いている。

「運勢」は「能動的」
「宗教」は「受動的」

「運勢」は「現実的」
「宗教」は「真理的」

これらが「運勢」「宗教」の「本質」です。

「宗教」が「必要」な時代は民衆が大変、苦しく、未来に希望が持てず、今日を生きるのもままならない時代でしたから、「宗教」が重要視され必要なものでした。
 
 ですが、現代は大変、恵まれた時代です。食べ物も物も溢れています。
このような時代に「宗教」の役割は小さくなります。ですが不必要にはなりません、世界中が恵まれているわけではありませんし「文化」としての新たな「価値」が「宗教」にはあるからです。

 特に「先進国」は大変、恵まれている時代だと言っていいでしょう。
この「先進国」などで新たな「宗教」が発生したり、「チャネラー」「ヒーラー」「占い師」などが生まれています。
 この「先進国」で新たに生まれた「宗教」「チャネラー」「ヒーラー」「占い師」などはそれぞれの生まれた理由が「希薄」に思われます。

「宗教」の生まれた理由は民衆をまとめるために「やむにやまれず」生まれたものです。
「占い」も苦しい時代に人がより「開運」出来る為に「先人達が苦心研究」されてきたものです。

「今どき」の占い、チャネラー、ヒーラー、宗教は「平和」の上に乗っかって生まれたものです。
そんなものが、「世界中」に通用するのでしょうか?「貧しい国」「戦争中の国」「主義の違う国」の多くは「先進国」ではありません、そのような「後進国」では「今どき」の宗教、占い、チャネラー、ヒーラーは役に立たないでしょう。


話しを元に戻しましょう。
 「宗教」はその「本質」からして「平和で豊かな国、時代」ではその役割が大変、小さくなります。
これを、「平和ボケした現代人」が無理にその役割を大きくしたり、大きく価値を訴えたり、大きくその必要性を訴えたりしているこの時代、「宗教」の「本質」が曲がって来ているのでないでしょうか?

「運勢」はその「本質」からして「どのような時代でも必要」ですが現代は「平和ボケ」した「占い師」の出現で「安易で腕の無い占い師の大量生産」の状態です。



恐らく、「運勢学」「運命学」と「宗教」「信仰」はこの先の人類にとってまだまだ「必要」なものでしょう。
 遙か未来に人類がもっと心と精神が発達すればもしかしたら「運勢学」「運命学」「宗教」「信仰」は不必要になっているかもの知れませんがそれは、遙か遙か、ずっと未来の事でしょう。

ならば、「運勢学」も「宗教」も「正しく継承」していく事が大切でしょう。
 最後に、「神」は、直接人の運勢に「関与」はしません。とだけ言っておきましょう。

 
 

 
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