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2014.04.09(Wed):占い
易学、う~ん私ミズハはこの、易学が大変大好きな学問の一つです。
 諸説ありますが、約5000年前に三皇五帝の一人伏羲、によってその基礎が出来。
文王、周王親子によって卦辞,爻辞が加えられ、孔子によって十篇の書物に編纂され、それを「十翼」と呼びます。
 
 勿論、歴史上、出て来なかっただけでこれ以外の先人、賢人たちの研究、論などにもよって現在の形が出来たものと思われます。
 易学はこの世に数多ある占法の中で、運の原理、原則を説いている、数少ないまさに「運勢学」と呼ぶにふさわしい学問です。恐らくは、これより、以前に運の法則、この世の理を説いている学問は無いのではないでしょうか?
 
 現代の易者は易には何かすごいものがある、何故か易は当たるんだよね、易はとても深い学問だけど難解な所もあって大変難しい、などこのような声をミズハもよく耳にします。

 先ず易とは何なのか?ここを間違うとすべてが間違っていくので説明すると、易とは「陰陽論」を以ってこの世の理を説いているんですね。
 ん?「陰陽論」は分かるけど、「五行論」は?と思う方もいるでしょう。其仙流においてはですけど、其仙流は「陰陽論」と「五行論」を分けています。
というのも、「五行論」に実体が無いと思われるからで、まだ「五行論」を否定してはいませんが「陰陽論」とは分けて捉えています。
 「陰陽」は確実に視覚的に認識できますね、例えば男性、女性とか、昼と夜とか感覚的、視覚的に捉えれるわけですが、「五行」の木火土金水を感覚的、視覚的にもちろん捉える事は出来ますが、この木火土金水の巡りがこの自然界、人間界にどのような「変化」を及ぼしているかを説いている書物に出会ったこともないですし、そのような事を言っている方にもお会いした事がございません。この一番大切な部分は「五行大義」にも記されておりません。
 おそらく、当時は一種の学論ブームでした、それに便乗してこの「五行論」を世に広め学派としての名誉、力を誇示したのではないでしょうか?そして、易学と非常に理論上相性が良く矛盾が生じにくい事も手伝って現代の「陰陽五行」が出来たのでは?
 私、ミズハはこの論を強く勧めます。(まだ、ちゃんとした根拠が少ないので完全否定ではありませんが)


脱線しましたね。とにかく易とは「陰陽論」なわけです。「陰、極まって陽と成す。陽、極まって陰と成す。」この変化の流れを説いているわけです。
 これが後に「人」の「運勢」にも深く関わっていると気付き、現在の「易占」が出来た訳です。
そうなんです、「易学」はそもそも「占法」ではなかったんですね。
 それと。易学のすごい所がもう一つあります。それは、「哲学」としてもかなり優れた学問であるという事です。
現代の我々が知らず知らずに使っている、故事、ことわざの多くが易学を出典としているものが大変、多くあります。

 
 で、近年の易者のここが間違ってますよ!という事を述べていきましょう。

①筮竹の繰り方,占筮の間違い
②観念の間違い、概念の間違い
③六十四卦の解釈の間違い

以上の三つがよく見かける、易者の易に対する誤認、誤解、間違いの点です。もちろん、これ以外にもありますが取りあえずは上記の三つを今回は上げてみました。

①筮竹の繰り方、占筮の間違い。
え~、易占で使う占具は最低三つです。
 ・筮竹
 ・筮筒
 ・算木
最低、この三つがないと占えません。このブログでは動画を載せる事が出来ないので何とも説明が出来ませんが現代易者の誠、大変多くの方が筮竹の繰り方を間違えております。まざれば良いんじゃないの?と思うかもしれませんが、実はダメなんですね。ユーチューブなんかでもよく、易者が筮竹の繰り方を動画で流しておりますが、未だ正しい繰り方をしている易者を見たことがありませんし、街易でもお会いした事はありません。
 
 後、易者によってはサイコロを使って卦を出す方も多く見受けられますが、これも間違いです。
サイコロを使っている易者の多くがサイコロで卦を出そうが筮竹で卦を出そうが同じだと主張しておりますが、そもそもこんな事を言っている易者は人生の先輩であろうが、業界の先輩であろうが、まだまだ深く易を理解していないと言わざるを得ません。
 残念ながら、サイコロと筮竹では出る卦に多きな違いが出ます。ただし、簡単な事柄(例えば、明日赤色の自転車を購入したらよいのか?白色の自転車を購入したらよいのか?とか食事は喫茶店がいいのか?レストランがいいのか?とか)ならサイコロでもさほど誤差は出ませんが、人生の悩み、人生の岐路、人間関係、仕事の悩みなど込み入った事柄になると、筮竹で卦を出さないと正しい卦は出ません。


後、易道具の「筮竹」「筮筒」「算木」の三つの中で最も、どれが易占を行う上で大切でしょうか?
 恐らく、多くの易者が「算木」を一番に上げると思いますが、実は「筮竹」です。その次に「筮筒」です。
一番最後、というか実はいらなくても良いのが「算木」なんですね。
 昔は、「心の算木を以って占いなさい」と言っていたほどで、算木は場合によっては相談者の方も易を知っている場合があるから、下手に卦を出して、勝手にあれこれ思われたらいけないとの事で、「筮竹」と「筮筒」のみで易占を行っていた易者もいたそうです。

 「十翼」の中の「繋辞伝」にこういう一文があります。「易に太極あり、これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。」とあります。
 これは、まさに易の「原理、原則」を説いたもので、占筮を行う時もこの手順を踏まないといけません。
筮竹をまぜて、次に一本取りますね、この一本が「太極」です。この一本を入れる筮筒が「宇宙」です。そして残った49本をまぜて、二つに分けます。これが「両儀」です・・・。

 このように、正式な占筮法はちゃんと易の原理、原則に則って行われるものです。ここで中々難しいのが筮竹をまぜる行為なんですが、手先の器用、不器用もあるでしょうが、私も昔、師匠から教わってこれだけを毎日練習させられました。現代易者の多くが「自己流」で筮竹をまぜております。この、筮竹をまぜる行為一つ取っても大変、意味がある事を現代易者は理解していないので「自己流」で行ってしまうのですね。
 このように、サイコロで易占を行う場合、「太極」が取れないので正しい占筮手順になりませんので、簡単、単純な事柄は別に構いませんが、本気の悩みなどに対しては正しい卦は非常に出にくいものになります。
 よって、易占を行う時は筮竹、筮筒が最も大事で算木は別段無くても構いません。


②「観念」の仕方、概念の間違い。
 これは、易に限りませんが例えば其仙流の「無相」でも「観る」前に「何を観るのか?」という事を「観念」します。
易では筮竹をまぜる前の段階で(要するに一番最初の段階)この「観念」の状態を踏みます。
 動画サイトなどでよく見るのがこの「観念」の段階で「天に祈り」を捧げますとか、「心を無」にしますとか色々言われていますが、どれも間違いです。「観念」とは今から何を観るのか?が全てです。
 易に限りませんが、現代占い師のこういう、「自己流」が間違いの元になっています。


③六十四卦の解釈の間違いです。
 これは、このブログでも何回も言っている通り「運勢」とは絶えず「変化、流動」しているものですから、「運勢」を観る時は必ず「動的」に観る、捉える事が何より肝要です。
 現代版易六十四卦の解釈は「固定的」に書かれているものが大変、多くあります。
これでは、折角の易を正確には使いこなせなくなります。
 「易学」は「原理、原則の法則性」を説いたものですから、自然と各卦が「流動性」を帯びます。
ですが易の本を一般書籍化する時、読者が難解に読んでしまいやすいため、このような「固定的」解釈が定着したのでしょう。
 
幾つか例を挙げてみましょう。

・天水訟の場合
 現代版六十四卦の解釈は「訟」は裁判、訴訟を指すから、近々、裁判沙汰、訴訟事が起こります。とか書いている本がありますが、全部、間違いとは言いませんが解釈を「固定化」しすぎです。

本卦を出したら大事なポイントは二つです。天水訟で言うならば「天水」と「訟」の二つです。
先ず「天水」はこの本卦の原理を説いています。詳細な説明は省きますが「天」と「水」はお互いが交わらない特性を持っていますから、無理に融合しようとなると「反発」が出来ます。
 次のポイントは「訟」です。「訟」の意味は争いですから。
簡単にまとめますと、「人と交わるものの融合出来ない状況、考えがあるが「和解」「和」を保つ、尊ぶ事が肝要である。」
 と、まぁ、例えばですけど、このような解釈が出来ると思います。


・雷風恒の場合
 現代版六十四卦の解釈は「変化なき生活」=つまりは「結婚」であると解釈している本もあります。
「恒」の意味が「常」「いつも一定している様」という意味ですので「変化なき生活」と思うのかもしれませんが、これも間違いです。

 「恒」は先ほども述べました通り「常」「いつも一定している様」ですから、これは「変化なき」ではなく「たゆまず」という意味です。
 「雷」と「風」は逆に「いつも一定していない」特性がありますから、例えば、「不安定な道でも正しいのならたゆまず進むべし」
 という解釈でしょうか。

このように、「卦」の解釈は「流動的」に変化していくものですから、相談者の相談内容によって占い師の返答は当然変化していくものです。
肝心なことは、各卦の原理、原則を知り、その上で象意を知り、相談者の相談内容によって変化を捉えながら解釈していくものです。 



後、「断易」「五行易」というものを耳によくしますが、「断易」「五行易」共に全く同じものであります。
この「五行易者」の中に「私は周易」を致しません、「五行易」のみです。と言われている易者や「五行易」がもっとも優れた「易」であるという易者もいらっしゃいます。
 
 まぁ、それぞれ皆さん自分の考えはあると思ますが。「易」はこの「易学」が出来て有史以来全部で三つ存在します。①連山易
②帰蔵易
③周易

と、以上三つです。「連山易」「帰蔵易」はすでに「焚書」によって失われ、現代は「周易」のみ伝わっています。
 で、ここで四つ目にこの「五行易」を持って来る易者がいますが、「五行易」はあえて言うならば「周易」の下に配属されるものであって、「連山易」「帰蔵易」「周易」と続いて四つ目に「五行易」を上げるものではありません。
 「周易」と「五行易」を深く理解した上で両占法を比較すれば分かります。
これは彼の、加藤大岳先生も仰っています。


 今回はとりあえず、ここまでと致します。これで「易学」の全てを言い尽くせたものではありませんが、「易学」は大変大変、難しく、奥が深く、玄妙な学問ですので、正しく、理解していきましょうね。
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