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2014.04.08(Tue):占い
中々、いつもとは趣向が違うテーマを今回は取り上げてみようと思います。
 これを、読めば現代の占い業界への系譜が少し理解できると思うのと同時にその実態が見えて来ると思います。

科学VS運勢学、う~んとてもわくわくして来そうなテーマですが、実は実は悲しいテーマです。

 運勢学と科学、どちらが先にこの世に誕生したのでしょうか?
それは、ズバリ運勢学なんですね。元々、運勢学という学問は当時の最先端科学でした。
日本においても伝来した時は国がこれを管理、監督し選ばれたエリートのみにそれを伝え研究させたのです。

運勢学は後に「心理学」を生み「科学」を生み「天文学」を生み「暦学」を生み様々な「文化」を創造した、大いなる学問です。
 本質的には運勢学と科学は実は隣り合わせのような関係で非常にある意味近い存在なんです。
私、ミズハは運勢学と科学が手と手を取り合いお互い切磋琢磨して、繁栄してほしいと思います。

 が、いかんせん、全員とは言いませんが現状は占い師は科学を見下し、科学者は占いを見下し、お互いがお互いを否定的に捉えている状況です。

科学者のいけない所は、簡単です。否定的に検証している限り無理だということです。
 現代科学を以ってしても運勢学や特殊能力の検証は大変難しいでしょう。それなのに、始めから「色眼鏡」で検証しても真実は出て来ません。
 つまりは、「否定のための否定」をしているのです。
深く、思いに描いてみて下さい、創造してみて下さい。
 現代科学を当たり前に捉えている我々がそれまで全くの原始的な生活をしていたとして、今の科学をまるで魔法か、神の贈り物とでも思ってしまうのではなでしょうか?

 我々、其仙流は「運勢学」=「易」を言います。(勿論、易だけではありませんが、主にと言う意味です)
「易学」は約5000年前に三皇五帝の一人、伏羲によってその基礎が出来ました。
 5000年前には今のように、科学は無く、インターネットもない、ましてや電話、パソコンも無い時代です。
そのような時代に伏羲はどうやってこの世の理を理解出来たのでしょうか?まさに、偉大な存在が介在したのか、伏羲がとてつもなく天才だったのか、今はそれを知る手掛かりは残っていませんが、この偉大な学問が出来たのは紛れもない事実なんです。
 
 5000年前に出来た「易学」は、まだ文明が未熟だった当時、最先端な科学であったという事は、疑問の余地を挟まないのではないでしょうか?



 で、現代占い師はと言いますと。科学などでは運勢学を検証など出来るものかと言っている占い師も沢山いらっしゃいます。これはこれで、もう一つ運勢学を深く理解出来てない占い師の主張です。
 「運勢学」=「神秘学」とはき違えています。
科学で検証できないのは「運勢学」は神秘の世界、神の領域、人知を超えた領域だからと言っているのです。
 確かに、人知を超える部分ははありますが、「運勢学」は神の領域でも、神秘の世界でもありません。
「易学」にも書かれていますが、「陰陽、交わり萬物生ずるはこれ、物質である」と言ってます。
 つまり、「現実的」なものであると言っているんですね。
ですから、神秘とか神の領域と言うなら、まさにこの「陰陽、交わり萬物生ずるはこれ、物質である」という法則そのものが神秘であり、神の領域ではないでしょうか?

私、ミズハは間違っても「運勢学」=神秘の世界、神の領域とは思えません。


現代科学も、運勢学もまだまだ未熟な部分が多分にあります。
 科学は決して万能ではありませんし、運勢学も万能ではありません。
出来れば、遠くない将来お互いが歩み寄り、より良い関係を構築してほしいと願います。



 それと、どちらかと言うと占い師側が科学者を否定している節が見受けられます。
それは、ある種のアレルギーとでも言いましょうか、科学でこの高尚な学問、特殊能力を検証、証明出来るわけは無いと思っているのです。
 実は、占い業界が漠然といつの間にかこのような風潮になった原因が過去の日本にあります。
実は、過去の日本において科学的に特殊能力を検証してみようと、本気で実験した事があるのです。当時はかなり社会的に話題になり、一種の社会現象にもなったほどです。


 この、実験の中心的人物は「福来友吉」氏と言います。福来氏は岐阜県高山市の商家に生まれるが、商人になる事を嫌い学問に志した。1899年(明治32年)東京帝国大学 哲学科を卒業、同大大学院で変態心理学(催眠心理学)を研究、1906年(明治39年)「催眠術の心理的研究」で文学博士号を授与、1908年(明治41年)東京帝国大学 助教授に就任。

 御船千鶴子のケース
1910(明治43年)かつての教え子から、熊本に御船千鶴子という「千里眼」と言われる透視能力者がいるという話を聞き、事前に行われていた実験結果の報告を福来氏は聞いていた。
福来氏のまわりから、もっとレベルの高い実験を勧められ直接、福来氏が実験を行う事になり、予想外にも好結果であった。が、マスコミやその他の研究者の目前での実験を繰り返すうちに千鶴子の能力に「ブレ」が生じ始めた。
 不的中なら非難され、的中なら詐欺を疑われ、強い疲労と、心労、能力低下に悩んで千鶴子は自殺をした。

 長尾郁子のケース
1911年(明治44年)頃から千鶴子が起こした「千里眼ブーム」に乗って、自称超能力者が台頭しだしたがその中に郁子もいた。能力的には当初、千鶴子より劣っていたが対面して透視を行えた為、詐欺の疑惑を受けにくいと判断された。東京帝国大学 山川健次郎氏が透視と念写の実験に訪れ、福来氏がオブザーバーとして立ち会う事になった。
 しかし、郁子は少しでも疑われたり、邪念があったりすれば精神統一が出来ないと実験に条件を付け学者の反感を買った。郁子の超能力を疑う学者の中から一方的に「透視と念写は全くの詐欺である」と報道陣に見解を発表、郁子は以後、実験を全く拒否し二か月後に病で急死。

 
1914年(大正3年)9月に「透視と念写」という著書を福来氏が出版。
学長であった上田萬年氏から10月に呼ばれ、「東大教授」として内容的に好ましくない行為として警告を受けたが、透視も念写も事実であると主張して東京帝国大学を追放処分される(公的には休職)
以後、福来氏が取り上げた人物も「イカサマ」「ペテン師」と攻撃される事となった。




当時、透視や特殊能力を社会的に受け入れる心の準備が出来ていなかったのでしょう。このような悲しい出来事を我々占い師は決して忘れず心に留め、正しい占い師のあり方を考え続ける必要があるでしょう。
 

この、明治、大正の事件は世間に広く取り上げられその他の占い師の知る所でもありました。
が、この時の千鶴子、郁子の最期、そして福来氏の社会的扱いの酷さを痛烈に皮肉り、それが「過剰的な科学否定」を生む切っ掛けとなったのです。
 要するに、当時の心ある占い師たちが当時の否定的立場の科学者やマスコミが千鶴子、郁子の死を招きそれを証明しようと努力した福来氏までも社会的抹殺を図ったとして、科学者に対して特殊能力や運勢学を科学如きが証明出来る訳ないと皮肉ったのです。

 これがいつの間にか、「運勢学」=神秘の世界、神の領域、という考えに繋がったのです。
勿論、これ以外にも原因はあったでしょうが、そもそも、「運勢」とは「微かなもの」です。
それを、衆人観衆の中で実験をし当たれば詐欺を疑い、はずれると嘘だと非難されては福来氏、千鶴子、郁子の気持ちはいかばかりだったか・・・。

 


それと、少し余談ですが、マスコミと言えば、現代の占いを扱っている雑誌、出版会社、テレビ等、各メディアにも現代特有の良くない原因があります。
 それは、本、雑誌にしてみれば、その占い師が「本物」か「偽物」か本の内容が「本物」か「偽物」かより、「売れるか」「売れないか」で判断される事です。
 
 メディアは「真実」を取り扱わなければならないのではないでしょうか?
確かに、「売れる本」「売れる占い師」は「利潤追求」という意味においてとても大切です。
 ですが、今の「メディア」は「大義」が無いように感じる時が大変、多くあります。
これも、現代の占い業界が混沌とし、混迷を極めている大きな原因の一つです。
 心ある、メディア関係者はいなものでしょうか?

ですが、これもやはり突き詰めれば原因は「占い師側」にあるでしょう。
 もう一度、「運勢学」を深く勉強し直し、自己の人格を作り。科学と歩み寄れるよう・・・。

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