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2014.05.20(Tue):占い
このブログで何回も「占いと指南」または「占い師と指南者」のそれぞれの違いを述べて来たわけですが、今回はもっと詳しく説明してみようと思います。
 
 「占い師」「指南者」一般の方々は両者とも同じものだという認識を持っていらっしゃる事と思います。
言葉としては「指南者」が始まりです、「占い師」という言葉は諸説ありますが、一般的に広がったのは恐らく、日本においてはここ40年~50年と言ったところではないでしょうか?

「運勢」を「占って」その結果を「指南者」が「指南」する。
 これが正当占いです。

現代占い師と指南者の違いを簡単に一言で述べましたら以下のようになります。

・占い師=言い当てる。

・指南者=言い当てない(幅を持った言い方)

これが、「占い師」と「指南者」の違いです。

一般の方々や多くの占い師が「言い当てる」行為が「占い」だと思っている事と思います。そして「言い当てれた占い師」が「本物」であると思っています。
要するに「的中率」が高いと「腕のある占い師」であるという認識があるわけです。

これは、断言出来ますが、大きな大きな「間違い」です。

例えば、ネットや雑誌でも「恐ろしいほどの的中率○○先生」とか「驚異の的中率を誇る○○占法」とか、このような宣伝、広告をよく目にしますが、逆に言えば「的中率の高い占い師という事を歌う占い師ほど腕が無い占い師」と言えるでしょう。

「本物」とは?我々「占い師」「指南者」において言うならばそれは「開運」に「導けれる」「占い師」「指南者」が「本物」と言う定義でしょう。決して「的中率」で「本物か偽物か」を論ずるものではありません。

「開運」に「導けれない」から「的中率」にこだわらざるを得ないのです。要するに「腕」が無いから「言い当てる」占いのやり方になるんですね。

この「言い当てる」占いに一般の方々が慣れてしまっているので我々「指南者」は大変、困るわけです。
そして、「腕が無い」とか「抽象的な事を言う」「誰でも言えるじゃないか!」などと「本物」を「偽物扱い」するわけです。

「言い当てた」ところで「開運」にならなければそれは「本物」と言えないわけですから、「所詮」、「お遊び」です。
あの占い師に「言い当てられた~」「私の過去をズバリ当てられました~」「三年後に貴方は運命の人と出会います!って言われました~」など一喜一憂する事に何の「価値もありません」、ただその場で「盛り上がるだけ」です。
ですから、「お遊び」「ゲーム感覚」と割り切るならよろしいんですが、本当に「悩んで、人生の岐路」に立ってしまったとか「真剣に仕事で悩んでいるとか」そこに「真剣度」がある悩みは中々、「言い当てようとする」占い師には苦手な領域になるでしょう。つまり「腕」が無いという事になります。

では「腕」の無い「占い師」「指南者」の特徴はどういったものがあるのでしょうか?
・言い当てようとする。(断定した言い方)
・先祖云々を言い出す。
・前世云々を言い出す。
・寿命を言い出す。
・業云々を言い出す。
・必要以上に癒そうとする(癒しの言葉を連発、そのような雰囲気を出し過ぎる)

このような特徴があります。言った内容が「当たろうが当たるまいが」、「腕」はありません。
例えば、相談者が「寿命」を聞いて来たならば確かに答えるしかありませんが、以前にも言いました通り「未来」は決まっておりませんから、大体の「幅」で「寿命」を答えるしかないんですね。
 
 後、「癒し」も場合によっては必要ですがこれに「終始」するとなると「腕」がある、とは言い難いですね。

「先祖」「前世」「業」云々を言い出す占い師は先ず疑ってかかった方が良いです。「先祖」「前世」は「開運」に基本的に因果関係はありませんから。

勿論、我々「指南者」も場合によっては「癒し」や「オカルト」「霊感」めいた事を言う事もありますが、それは特例中の特例の場合だけでして、何より大切なのは「相談者をどうすれば開運に導けるか」この一点のみなんですね。ここを「心得た」上で場合によっては「オカルト」「霊感」めいた事を言うケースはあります。



今回は、あえて「占い師」と「指南者」を分けて説明して来ましたが、現代では「占い師」も「指南者」も同義と捉えて申し分ないとは思いますが、「ここ一番、相談者の運勢を救えるか、開運に導けれるか」これが出来るかどうかです。
 勿論、「開運」=「成長」ですから、相談者やその相談内容によっては我々も相談者と数年、場合によっては数十年相談者にお付き合いするわけですから、その「腕」は日々磨いておかなければいけません。

この辺りを、理解してない同業の「占い師」からも、私の事を、「言い当てれないから偽物だよ」とか「言い当てようとしないから腕が無い」とか言われます。
 また、相談者からは「それが占いですか?」とか「誰でも言えるじゃないですかと」言われたりもします。

もう一度言いますね、「言い当てようとする占い師ほど腕がありません」し「誰にでも言えません」。
 我々、「指南者」も場合によっては言い当てる行為もありますが、それはそのようにハッキリ観えた時だけです。
他の「言い当てようとする占い師」は基本的に「未来」を言い当てれませんから、結果「過去」ばかりを云々言うんですね、それは「過去」を観る占法(陰法)を使ってるからです。
 まして、「前世」「先祖」を「言い当てる」?そんな事確かめる術もないですし、「開運」とは関係ないので「意味は無い」でしょう。
 

確かに「言い当てようとする」やり方はある意味で「説得力」「信憑性」が生まれます、ですが「開運」に繋がらない限り意味は無いですし、仮に一時的に「開運」したとしても一時的なものは「有限」なのですぐに「運」は下がります。
 では、「指南」にはどのような所に「説得力」「信憑性」が生まれて来るのでしょう?

・「指南者」が指南した通りに事が運んだ。(未来を相談者自身が追体験する)

基本的にこの一点が「指南」の「説得力」「信憑性」になります。「指南」は基本的に「未来」に対して「開運」を促す行為なので、「占った」その場で「説得力」「信憑性」が出ない場合もあります。勿論、相談内容によってはその場で「説得力」「信憑性」がある発言、要するに「言い当てる」行為もあります。

例えば、相談者本人しか知らない「気持ち」を「言い当てたり」、彼氏、彼女の二人の関係を「言い当てたり」、家族間の込み入った事情を「言い当てたり」これらの事は場合によっては「言い当てます」。
 ですが、何回も言いますが「開運」に導かないと意味は無いので、我々「指南者」は「言い当てる事」に「終始」しません。場合によってはハッキリと「観えている」時でもそれが、「開運」に必要ない事なら相談者にいちいち伝えたりしない時もあります。
要するに「指南者」は「状況、心情、環境」の「空気感」を「含んだ」言い方をする事によって「説得力」「信憑性」を伝えます。
 故にどうしても「幅」のある言い方にならざるを得ないのです。言い方を変えれば、言い当てようとする「占い師」は「当てるに始まり当てるに終わる」これが「腕」が無いと我々は言っているわけです。
 では、「指南者」はと言うと、「開運に始まり、開運に終わる」です。「指南者」はこの「開運」の過程で当たる事が生じる事がありますが、「言い当てる事が占い」と思い込んでるものとは、全くスタートライン(立ち位置)からして違うので、これは相談者もしばらく「腕」のある「指南者」とお付き合いをしながら徐々に、その「指南者」の「威力」「玄妙さ」「凄さ」に気付いていきます。
 


昔から言います。「指南者は、当たる当たらないを超えろ」と、また、こうも昔から言われます「当たる当たらないにこだわる指南者は当たろうが当たるまいが、腕が無い」と。
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2014.05.20(Tue):占い
はい、久しぶりのこのシリーズですね。今まで、各占法、流派、の「原理、原則の間違い」「歴史認識の間違い」「占い師、指南者のあるべき姿勢」「作法の間違い」などを取り上げて来たわけですが、皆さん、こう思うと思います。

「現に間違った占法でも開運したり的中率のすごい占い師もいるじゃないか!」

はい、おっしゃる通りです。これがこれまた、現代の占い業界のややこしい状況でもあります。

先ず、我々、其仙流の言っている「間違い」とは?という事ですが、上記に上げたとおりですが、今回は特に以下の二つについて説明したいと思います。

①「技術」の間違い。
②「能力」の間違い。

以上の二つは「開運」に直接係わる所でもありますので詳しく述べたいと思います。

 「技術」の間違いは往々にして「原理、原則が働いていない、もしくは思った以上に効果、,成果がない」この一点にあります。
個人的な意見ですが恐らく、こと「運勢を計る」と言う意味において「易」を超えるものはないのではないでしょうか?
 あとは、個々の指南者の好みにもよりますし得手不得手もあるでしょうから、そういう意味においてはどんな占法でも良いわけですが・・・。

次の「能力」の間違いが一番ある意味問題でして、「技術」においてもこの「能力」を併用される方も大勢いますから、詳しく述べていきましょう。

では「運」に「干渉」「観る」事が出来る能力にはどのようなものがあるか上げてみましょう。
・画像透視
・無相
・観相学
・直観

以上です。この中で「無相」は其仙流しか恐らく知らないので、今回は省きます。

(直観)
 先ず、「直観」ですね。およそどのような占法においても、この「直観」は鍛えなくてはいけません。
ですが中々、具体的な鍛え方、要するに「鍛練」が分からないため、持て余しているのが実体でしょう。
 この「直観」は「占い」をする上でとても大事な事で、「占いとは?」=「感じる事」と言い換えても過言ではありません。
つまり、「感じる」=「直観」なわけです。

この「感じる」「察する」を「鍛練」するのに、何回も言っております、「高い人格」が求められるわけです。
「高い人格」=「心の成長」でもありますので、この「心」がある程度仕上がらないと「安定した直観」は難しいんですね。
現代占い師の多くはこの「心の鍛練」をおろそかにしやすいので、中々「腕が上がらなかったり」「行き詰まったり」「安易な占い師になったり」するんですね。

この「直観」はこれだけをかなり「鍛練」するだけでもすごい「威力」を発揮します。ですが中々「運勢」を「追いかける」事には向いていないので、ポイントを絞った使い方になるでしょう。
例えば、人の「思い」「感情」を「直観」で知る事も出来ますが、そこに至る「経緯」までは分かりません。
 人の「思い」「感情」はそこに至る「経緯」や「状況」「環境」も含めて「思い」「感情」なので「直観」だけでは対応が出来ない事もしばしばあります。


(観相学)
以前にも何回か、「観相学」は取り上げたと思います。実は観相学は「技術」ではなく「能力」に分類されるものです。
要するに、人の「運勢を人体に現れる血色、氣色、神氣から感じ観る能力」というわけです。

現代観相家の多くが「観相学」をただの「技術」としか扱っていないので何時まで経ってもそれでは「血色、氣色、神氣」を正確には判断出来ません。「観える時は観えるが観えない時は観えない」といった不安定なものになります。

これは我々の「目」もしくは「印堂」から「観る」という「氣」を発して初めて、正確に観えるものなので、観相学は「能力」になるわけです。もちろん「観るという氣を発する」部位は「目」「印堂」以外にもありますが、「目」「印堂」がもっとも適しております。


(画像透視)
これも、このブログで何回も取り上げていますね。画像透視とは一般的に知られているように、場面やシーンを「画像」で観る「能力」を言います。
 ですが、画像透視の「原理、原則」上過去を観る事に特化しております。良くても「現在
を観る事までです。
 以前にも説明しましたが、「画像透視」は結果的に「色」を「追いかけているので」=「過去」になるわけです(なりやすい)。
要するに「未来」=「白黒」になるので「無相」=「未来」に特化するのです。
 もちろん「無相」でも「色」が出て来る事もありますが基本、「白黒」「光の明暗」になるわけです。


以上が「画像透視」「観相学」「直観」の説明です。
 ですが、ここでもう一つ説明させて頂きたい事があります。それは「占法」は大きく分けると「陰法」「陽法」に分ける事が出るという事です。
この事実は多くの現代占い師が知らない事でもあります。

「運勢」とは「開運」とは簡単に説明すると「エネルギーの増減」と言い換える事も出来ます。
一口に「運勢を観る」と言っても「漠然」と質問されても「エネルギー」は僅かなんです、それでは中々「観えるものも観えにくい」ものです。
 ですから相談者の「真剣度」という「エネルギー」が必要でさらにそこに「指南者」の「真剣に観る」という「エネルギー」が加われば「観えないものが観えて来る」んですね。

「相談者の真剣なエネルギー」×「指南者の真剣なエネルギー」=「運勢の流れが観える」というわけです。

「相談者の真剣度」が無ければ「指南者」だけの「エネルギー」で観ないといけませんから、この場合「指南者は大変消耗」するわけです。もしくは「漠然」と答える事になります。

ここで、言いたいのは、「当てもの」「分析」「癒し系占い」「霊感」などは「受動的占法」なので=「陰法」であります。
何故か?それは相談者の「真剣なエネルギー」を「必要としない」からです。結果、「陰法」=「未来は観えない」(非常に観えにくい)

ですから大前提として「運勢の流れ」を観る場合は「陽法」でなければ先ず観えません。
つまり「相談者のエネルギー」×「指南者のエネルギー」がどうしても必要なわけです。
 「運勢」を観るには「能動的占法」でなければ正確には判断出来ないんですね。

現在、様々な占法が存在しておりますが、その99,9%が「陰法」です。「過去」を観る方法で「未来」」を観ようとしているわけですから、「不安定な上に不安定」なわけです。



ここからが、本題です。「間違った占法、方法で何故当たるのか?」鋭い人は分かったかもしれませんね。
 そう、「指南者、占い師のエネルギーが大きいから」です。しかも「当てもの」「分析」「霊感」」「癒し系占い」などはその「エネルギー」がある意味「小さくても」観える場合があります。このような時に「占い師」によっては「異常な的中率」を叩き出しますので、まさに「神ががり的」に思えるわけですが、「陰法」はやはり「陰法」でして「たまたま感」がどうしてもあります。
 
 「エネルギー」がいつまでもつのか?ここが大変な問題点になってきます。所詮人間ですからそうそう長くは続きません。
個人差はあるでしょうが「数日」「数年」場合によっては「数十年」でしょう。それでも「未来」を「見続ける」事は無理でしょう。つまり、「陰法」はその「威力」が長い間続く者でも結果、「過去もしくは現在」までを観る事までですから、実用的かと言われたら、その範囲は狭いものです。「開運」は「未来」を観る事によって「開運」に続く「道筋」を観ていかないといけませんので「陰法」ではどの道「限界」があるんですね。極稀に「陰法」であろうが「陽法」であろうが、何でもござれという「仙人級」が現れたりしますが、そんな「仙人」は超~~~稀にしか出現しません。


「間違った占法、方法、原理、原則で何故当たるのか?をもう一度、他の理由も合わせて見ていきましょう。

A占い師、指南者の観るというエネルギーが大きかった時。
B「直観」が冴えていた。
C偶然。
D思い込み。

以上の四つが「間違った方法論でも何故、当たるのか?」の主な理由です。
CとDはある意味どうしようもない事なので、取り上げはしませんが。AとBはツイツイ「本物」と思ったり「腕がある」と思ってしまいやすいので、「指南者、占い師」「相談者」共々注意が必要です。

長く、「本物」の「腕」を維持したければ「陽法」で「未来」を「観る」が「正当占い」です。
2014.05.19(Mon):占い
現代の占い業界には様々な占法が存在しております。それに伴いこれまた大勢の占い師やその類の方々もいらっしゃいます。
 ここまで、「運勢」「開運」などを説く「論」「方法」などが乱立すると何が正しいのか、中々、理解しずらく、また迷う事も確かにある事でしょう。
 これは一般の方々だけでなく占い師も実は迷っているのです。

簡単に説明しましょう。例えばある方位学が、同じ対象者に対して「北」が「吉方位」の方位としても、全く違う方位学が「北」は「凶方位」であるとする、このような事が現実的に起こっています。

これでは一般の知識のない方達は困ってしまいます。これはなにも一般人だけが悩んでいる事ではなく多くの占い師も悩みの種ではあります。
 そして、自分の占法や流派の主張をそれぞれがしているわけですが、今回はその是非を問うのではなく、何故このような事態が起こってしまったのか?を取り上げてみようと思います。


以前ある占い師が言っていた事ですが、各流派や占法の「優劣」はあるでしょう、ですがどの占法でも「開運」したとおっしゃる方がいる限り「否定」は出来ないので、相談者が何を、信じ、どの占い師を信じるかによるのではないでしょうか。というような事をネット上で拝見した事があります。

 まさにこの考え方が今日の占い業界の混迷と混沌を引き起こした理由の一つです。
この方のおっしゃる事には一定の理解は出来ますが、「明らかに原理、原則が間違っている」占法、流派も存在します、このような占法、流派、占い師を放置してきた、「しわ寄せ」が現代の占い業界に起こっているのです。

日本人は昔から、どこか「お人よし」なところがあります、個人的には「お人よし」は一種の日本の「文化」であると思っています。「お人よし文化」良い事では有りませんか!
 この精神こそ日本人の根底にある日本人たる「所以」ではないでしょうか?

言い方を変えたら「親切心」です。ですがそれも度を過ぎると何でもそうですが「不都合」「ゆがみ」「害」などが出て来ます。
 今がまさにそうであると思います。


一般人、相談者が「開運」と思ったら「開運」だとは、私は思わないわけです。それでは結局、「結果は素人まかせ」ではないでしょうか?何のための「プロの私たち占い師、指南者がいるのでしょうか?」
 このような考え方は、「住み分け」をしているのではなく「臭いものにフタをしている」だけにしか過ぎないと思うのです。

仮に、ある結果を相談者は「開運」と思っても「プロ」から見て「開運」と違っていたならしっかりと「指摘、フォロー」はすべきで占法が間違っていたならハッキリ「指摘」する事が必要ではないでしょうか?

ですが、この業界で他流、他の占い師、占法を「否定」「非難」する事はどこかタブーな空気があります。
 その理由は先ほど上げた日本人特有の「お人よし文化」「親切心」がその主な原因でしょう。
しかし、それ以外の理由があります。それは「自分に自信が無い」「実は自流より他流が優れていると思っている」「争ってもし自分が負けたらどうしよう・・・」などこれらの理由が実は「占い師達の本音」な部分もあるわけです。

 このような状況が続いている限り「占い師自身から今の混沌とした状況を改善しようと思う占い師はまず、いないでしょう」これは長い目で見たら自分の首を絞めている行為だと気付くべき問題です。

我々、「占い師」「指南者」を全く「理解しようともせず」「否定」される方も残念ながらいます。
 私も、街易で通行人に「あ、詐欺師がいる!」とか「くだらない事はやめて汗水流して真面目に働け!」など心無い言葉をかけられる事もあります。
 それでも、「謙虚に対応」し「真面目に我々の仕事をこなす」しかないわけですが、このような原因を作ったのも、また我々「占い師」「指南者」でもあります。

まさしく、待ったなしの状況です、今ここで、心ある「占い師」「指南者」がもう一度この貴重な「運勢学」そのものを「軌道修正」すべきときではないでしょうか?
2014.05.15(Thu):占い
何度も、このブログでお伝えしております、其仙流の「無相」ですが、その片鱗、一端はすでに約1600年前の「麻衣相法」の創始者「麻衣仙人」によって「密語」の形を以って伝えられています。其仙流は代々これを「奥義」の一つとして、約100年続く流派でございます。

 其仙流の先人たち、またその源流の先人たちの長年の研究により、それまで漠然としていたものをどこまでも「現実的」に捉え、生に活かしていく事が「指南者」の努め、誇りであるとして、精進しております。

「無相」はブログでも述べさせて頂いているように、眉間の少し上の部分「印堂」という部位に「未知の器官」が存在するものと思われます。また、この「印堂」は「光」を感知し恐らくは「干渉」出来るものと思われます。

私の、私見ですが「人の思いは形に成る」と思っております。「指南業」をしておりますと、相談者によっては「同じ思い、願望、目標」を10年、人によっては20年も持ち続けております、相談者もいます、そしてついにはその「目標。願望、、思い」を成就させるのです。
其仙流の「運の法則」に「願い続ければ必ずチャンスは訪れる」というものがあります。
これは長年の先人たちの研究結果でありますが、不思議な事に「強い意志を以って、何年も場合によっては何十年も思えば奇跡的なチャンスが訪れます」これは、「人の思いの力、意志の力」にまだ「未知の力、可能性」があるものと思われます。

 これは、もしかしたら、「世界人類」が非常に「質の高い願い」を人類規模で願うと成就するのかもしれないと思う次第でございます。
 これらの、現象を引き起こしておる場所は恐らく「脳」でしょう。そして「印堂」も強くそれに関与しておると思われます。


私、ミズハは「思考」と「思い」は違うと思っております。「思考」は=「脳」 「思い」は=「心」がそれぞれを司っていると思います。そして、この「思考」と「思い」の「連動」が「人類規模」で同じことを、非常に「高い質」で「願い」「祈り」などの形を以って「思う」と「適う」のではと思っております。

もし、この仮説が正しければ「人類規模」「地球規模」の「問題」は少しずつ解決出来るのではないでしょうか?
 しかも、恐らく「人類史上」類を見ない「解決方法」であるかもしれません。

ですが、これにはある一つの「問題」が存在しております。それは、「人類規模」で「同じレベルで一つの事を願う」という事がすぐには出来ないという事です。
 簡単に説明しますと、日本人は非常にある意味レベルが高い民族と思われます。このレベルという事を「徳」と置き換えてみましょうか。

 日本人に「徳」と言っても大体の方は理解出来る事と思いますが、例えば「貧しい国」「戦争中の国」などでは、この「徳」というい「概念そのものが非常に希薄」です。要するに「徳」とは?と逆に聞き返されます。そして「徳」とはこういうものですと説明すると、「そんな考えでは生きて行けません」と言われます。

もっと身近な例を上げてみましょうか。ここに一匹の「捨て猫」がいたとします。友人と二人で歩いていたら「捨て猫」を発見しました、よく見たら大変、愛くるしい子猫です。そこで、一人の友人はサッとその子猫を抱き上げ餌になるものを買って子猫に与えようとしましたが、もう一人の友人は一時の気持ちで餌を上げようとしているわけではないだろうが、この「子猫を飼う」意志がないのなら、今かわいそうと思い餌をあげる行為はやめておいた方が良いと言いました。
 
 これは「子猫」を非常に「かわいそう」と思い「餌を与える側の考え」と「かわいそうだからこそ」「餌を与えない事が結果、子猫のため」と思う違いで両者ともに、その考えは「正しい」と思います。

このように、その対象者が「同じ」であるにもかかわらず「思いは一定しない」んですね。

 この日本人が当たり前に思っている「徳」という考え一つとっても、「国」「地域」が変わっただけでその「理解度」は全然違ってきます。要するに「価値観」が違いすぎるという事なんですね。
 
 この「価値観」が違いすぎると先に述べました、「人類が同じ事を願う」という事に「ズレ」が生じます。それが「高い質」となれば尚更であります。

これらの事を成し遂げようとすれば、人類全体がもっと「精神」を向上させる必要があります。ですが、「貧しい国」や「戦争中の国」などでは中々「精神」を向上させる事もままならない状況もあります。
 これは特に「後進国」がそのお国のそれぞれの事情により「精神」や「心」を高めていくという事より「今を生きる」事の方が必要性が高いからです。
 そして方や「先進国」は「平和ボケ」を起こしている状態で、ある種の「飽和状態」であります。

これらの理由を考えると「人類が思いを同じくする」という事は、まだまだ先の話でしょう。
ですが、私はどこまでも「人間の未知の力」を信じたいです。それは「人間の思いの力」だと思います。
人間の底力を・・・。



2014.05.13(Tue):占い
この、ブログで何回も言わせて頂いています「開運」ですが、「開運=成長」とお伝えしております、しかも「成長」の中に「足るを知った上で見識、道徳、哲学」が必要とも述べて来ました。

で、今回は逆に、「開運出来ない」=「成長が出来ない」を取り上げて見ようと思います。
何故、成長が出来ないのか、原因はいくつか考えられます。一つは何回も述べていますが「思考停止」が原因です。

 この「思考停止」は現代人特有のある種の「心の病気」です。要するに「生きて行く力」が実は弱いんですね。

後、もう一つ代表的な原因があります。「我」です。皆さん大きいか小さいかは個人差はあると思いますが、「大なり小なり我が強い」わけなんですね。
これが「成長出来ない」もう一つの大きな原因です。この「我」とは「自分」「己」という意味とは少し違います。

 どう違うかと言いますと、「見識、道徳、哲学」これらが不十分だと「我」になり、正しく「見識、道徳、哲学」があるなら「自分」「己」なんですね。
 要するに、「偏った」考え方を持つと「我」になるわけです。「我」がそれほど出てない時は「害」もなく問題はあまりないかもしれませんが、「我」が強く出過ぎてしまうと、「正しい判断」が出来なかったり「独善」「独りよがり」「贅沢」「わがまま」などになっていきます。

この「我が強い」は往々にして皆さんありますから、かなり気を付けないと「成長願望」はあるのに「成長できない」といった状況になります。

では、どうすれば「我」を無くしていけるか、つまりは正しく「見識、道徳、哲学」を積んでいくしか無いわけです。

「見識、道徳、哲学」を皆さん勿論、知っているとは思いますが、もう一度ここでそれぞれを、説明していきましょう。


「見識」とは?

先ず初めに言っておきたい事があります。「成長」とは=「人間学を修める」という事です。
この「人間学」の学習には三つの段階があります。それは、「知識」「見識」「胆識」です。「知識」とは人からの話を聞いたり、書物を読んだりして得られるものであります・

 今の時代は非常に「情報」が溢れている時代です。そういう意味では「知識」は簡単に得られる時代と言えるでしょう。ですが、「知識」=「情報」だけでは不十分です。

「知識」とは、物事の「本質を見通す思慮、判断力が加わって初めて意義、意味があるもの」となります。これが「見識」です。
 「見識」を身に付けるには先ず、物事を幅広く捉え、かつ深く考える事にあります。「東洋哲学」に「思考の三原則」というものがあります。
・目先にとらわれず出来るだけ長い目で観察する事。
・物事の一面にとらわれないで、出来るだけ多角的に考察する事。
・末端にとらわれず、「根」つまりは「根本」を観察する事。

以上であります。この際に大事な事は「自分の事として」考える事にあります。

このような、過程、経験を経て真の思考が次第に成熟していきます。これらを修める事が出来たならば、優れた判断力が身に付く事になります。そして、志を高く持つ事が大変、肝要であります。

「志」とは「人生のテーマ」=「人生の目標」「生きがい」「やりがい」などです。

「志」がしっかり出来て来ると「何が道理に適っているか」「この問題は斯くあらねばならない」という思慮分別が「明らか」になる。これは「朱子学」でいうところの「格物致知」というもので、物事の道理を窮め「知」を致(のば)すという事であります。こうなると、「知識」は「知識」でなくなり「見識」へと高まっていくのです。
 
「見識」は「不断の修養」のみによって身に付くもので、「知識」のように人から「借りたり」「貰ったり」出来ないものであります。

「胆識」とは「見識」に「決断力」「実行力」が備わったものを「胆識」と言います。「胆力」のある「見識」が即ち「胆識」という事であります。

この「胆識」を身に付けるにはどうすれば良いのか?
それは「陽明学」では「事上磨錬」(実際の事に当たって精神を練磨する事)であると言っています。即ち、日々の、仕事や生活に徹底的に打ち込み、その「努力の積み重ね」の中で身に付くと言っているわけですね。

「陽明学」では「知る事は行う事の始まりであり、行う事は知る事の完成である」と言っています。これを「知行合一」と言います。

「知識」が「見識」になり、さらに「胆識」になる事によって、人間の「器」が大きくなっていく。いわゆる「器量人」といわれるもので、「人の上に立つ者ほど必要とされる資質」であります。

この「器」が=人の「運」という事でもありますから、「器」を大きくする事と言うのは「運」を大きくしていく行為なので=「開運」するわけです。



「道徳」とは?

「道徳」とは非常に簡単に説明しますと、「正邪の判別」です。「良いか悪いか」「善か悪か」「白か黒か」であります。
 ですが「善悪の判別」も生まれた国、育った環境、教育、などにもよって「個人の価値観」に依存する所もあり、だからこそ「見識」が必要になっていくんですね。



「哲学」とは?

「哲学」とは「道理」と言う意味です。「哲学者」とは「道理に明るい者」という事になります。
「道理」とは「正しい筋道」「正しい道」故に誰にも「侵す事が出来ないもの」であります。
人の上に立つ人ほど「哲学」は必要であり、例え「経営者」「権力者」であろうともこの「道理」を侵す事は出来ませんしあってはならないものでもあります。
 「勤め人」「下働き」などの方達は「社訓」「上司」「先輩」などが「監督」してくれるので道を外しかかっても「注意」してくれますが「経営者」や「権力者」は「注意」をしてくれる人が中々いませんので、「哲学」が必要なんですね。




「見識、道徳、哲学」は何も「経営者、権力者」にだけ必要というわけでなく、一般の方々にも勿論、必要なわけです。

特に「開運」したければ当たり前のように必要なわけで現代人は、どこか「開運」=「頂き物」のような捉え方をしております。「開運」=「努力」「知恵」そして「成長」です。



余談ですが、其仙流は「見識、道徳、哲学」これらを修めている者を「高い人格」を有している者としているわけです。
 勿論、其仙流も「高い人格者」を目指しております。

本来「占い師」=「高い人格者」でなければならないはずが、今や「占い師」=「タレント」「人気商売」に成り下がっているように感じられます。「自分を売り込むための過度な広告、宣伝」には「品格」が無く、「相談者のための占いが今や占い師のための占い」になり、その「本質は失墜」しております。

 「人の成長」を「指し示す」お仕事の占い師ですからこそ、「高い人格」が求められるのです。


                               




                                参考資料=鴇田正春氏のホームページ


2014.05.13(Tue):占い
「占い否定派」は以前「占い肯定派ⅤS占い否定派」でも取り上げましたが、もう少し補足をしたいので今回また取り上げてみようと思います。

以前にも述べましたが、「肯定派、否定派」のそれぞれの理由は一定度理解出来るものですし、改めてまとめると、今まで漠然としていた事の輪郭がある程度ハッキリした部分もあり、一理ある事も否めないです。
 ですが、「肯定派、否定派」共に「占い」「運勢学」を「正しく理解出来ていない」ので「肯定の理由」「否定の理由」にそれぞれ成りにくい結果でした。勿論、中には「御もっともな理由」もありますが。

これの、最大の原因は「現代占い師」の「占い」「運勢学」への「理解が浅い」事がほぼ全ての原因です。

「運勢」を扱う「専門」の「占い師」が間違っていたら一般の相談者も間違うのは当たり前で、この非は「占い師側」にあると言われても仕方がないです。

ですがここで、一つ言いたい事があります。
本来「占い」「運勢学」は「専門職」になるわけです。とても、「素人」「アマチュア」「プロもどき」「専門オタク」「知識オタク」などでは「深く理解」は中々難しいものです。
ここで、一般の方々が「専門学」をあれこれ言うのは、実は「お門違い」な事もあります。
「オカルト」「霊感」「癒し系占い」などは一度横に置くとして。


そもそも、日本に入ってきた「占い」「占法」の90%は「偽物」ですから、そこから派生した「占法」「占い」はやはり「実」がありそうで「無い」のが実情です。そして、日本産の「占法」「占い」もそのほとんどが実戦では役に立ちません。ゲーム感覚、お遊びなら、通用しますが・・・。

話しを戻しましょう。
この、本来「専門学」を一般の方々があれこれ言うこと自体はさほど問題ではありませんが、ある占い師を「否定」したり「偽物」「詐欺扱い」したりと、ここまで来ればちょっと「行き過ぎた感」があるのは否めません。「専門学」をあなたはどこまで理解しているんですか?と聞きたくなる「否定派」もいます。「否定に足るだけの根拠」を以って発言されるなら良いんですが、「占い師」「否定派」「肯定派」このどれもがとは言いませんが、中には「占い師に足る理由」「肯定に足る理由」「否定に足る理由」が無い場合もしばしばあります。
 勿論、「現代占い師」の多くの方が「偽物」「詐欺扱い」される行為、行い、考えをするのもまた、原因の一端ではあります。


先日、このような記事を見ました。
ある、「占い師」の「占法」について一般の読者がネット上で意見、私見を述べているんですが、ある読者が、この「占い師」は何かあると「秘伝故詳しくは明かす事は出来ません」と言って「逃げるから偽物です」と言われている一文を見て、「そら、そうですよ」と突っ込みを入れたくなりました。「秘伝」「秘術」「奥義」の類は「秘伝」「奥義」たる「所以」があるのです。素人がこの辺りの事も察せずあれこれ論じる事自体、実はおかしい事なんですが・・・。

其仙流にも「奥義」はあります。それは文字通り「技」「方法」であったり、「真髄の心構え」であったり、多岐に渡りますが、その「奥義」の一つ「無相」を一般公開しております。
 後、「和気修方」という「開運」に特化した「方位学」もありますが、この「和気修方」の「中身」は「秘伝」故「公開」はしておりません。

 何故か?それは簡単な話なんですが、「悪用」出来るからです。「心無い者」にこの「和気修方」の「原理、原則」が知れる所になれば、場合によってはとてつもない「不幸」を故意に発生させる事が出来るからです。

 これが其仙流の「和気修方」の「原理、原則」をお教え出来ない「所以」です。

確かに、「現代占い師」の多くが「秘伝」「秘義」「奥義」などと言って実は「中身が無い」と言うのが概ねの「落ち」なんて事が非常に多いですが、中には効果、実体云々は横に置くとしても「他言できない所以」がある場合もあるので、一概に「偽物」「逃げている」と思い込むのは如何なものでしょうか?


また、素人にそう思い込ませている、原因はこれまた「占い師」にあるんですがね・・・。

 「本物」がどういったものかを知らないと「本物」と「偽物」「二級品」「まがい物」との判断が付きませんから、「占い師」が「偽物」「二級品」を「本物」「一級品」と思い込んだら、次からは他の方達もそれを「判断基準」にするんですね。この「悪循環」こそが現代日本の「占い業界の悪環境」を作った原因の一つです。

「質屋」「骨董品」の「跡取り」に「目利き」を「先代」が教え込む時に、先ず最初に「本物」から教えていくそうです。決して「偽物」「二級品」からではないそうです。

また、子供に「三味線教室」でお習い事をさせようとしたある親御さんが「大人用の三味線」はこの子には大きすぎるからと思って、「子供用」の小さい三味線を買い与えその「三味線教室」に通わせたら、ある日「三味線教室」の先生から子供用の小さい三味線を使わせないで下さいと言われたそうで、その親御さんは理由を聞くと子供は成長と共に体も大きくなります、今の体の大きさに合わせ「子供用の小さい」三味線に体が「慣れて」しまったら体が大きくなった時に大変困りますから、最初から大人用の大きな三味線に体を慣らせていくのが良いと言われ、自分の「無知」に気が付き恥かしい思いだったそうです。
 「体に三味線を合わせるのではなく三味線に体を合わせる」事が大事だそうです。


「占い師」も「一般の方々」も「本物」が何か?本物とはどういったものか?をもう少し考えてみたらどうでしょうか?
例え、「本物」というものがハッキリ分からなくても逆に「偽物」はお分かりでしょうから、それを「反面教師」にして考えみれば良いのではないでしょうか。おのずと、何かしら「本物」とは、という「輪郭」が見えて来るはずです。

どの道「高い人格」が無いと難しいとは思いますが、それも含めてまた、「勉強」と思って・・・。
2014.05.13(Tue):占い
え~、何度かこのブログでも言っていますが、「指南」とは「指南者」と「相談者」とのやりとりがあります。
 つまり、「相談者の悩みや聞きたい事」を「指南者」が「指南」するわけですが。
現代人は「自分の悩みに対して具体性」を欠いている傾向が非常にあります。勿論、全員ではありませんが。

和泉堂の宅占事務所に来られる方は大きく分けて3通りの「聞き方、質問」をしてきます。

①「当てもの」「分析」が正当占いと思い込んでいる方。
  つまり、「いつ結婚出来ますか?」「就職はいつ頃決まりますか?」などの質問の仕方になりやすいです。

②「指南」を理解されていて「真剣度があり具体的」な質問の仕方になりやすい。

③「指南」を理解していようがいまいが、いざ「指南者」に「相談」するとなったら「問題がまとまっていない」
 

①、②はこれまで何回も述べて来た事なので、今回は横に置くとして、今回取り上げたい事は③の「悩みや問題はあるが深く考えていない」、これが実は非常に問題なんですね。

①は「時代や平和ボケ」がその原因でありますが、「流行」という理由もあるので、部分的には近い将来「淘汰」される事もあるでしょうが、③はある意味とても深刻で、次のような状態に陥っている可能性があります。

A「思考停止、または思考停止に近い状態」

B自己主張が強すぎる

C思考停止はしていないが「考える力」そのものが薄弱



①は先ず「思考を張り巡らす」事から訓練すれば次第に改善されていきます。

②は先ず「謙虚さ」をしっかり身に付ける事で変わっていきます。

問題は③の「考える力そのものが弱い」が非常に危険です。要するに「質問できない」という状態です。
これは、「隠れ思考停止」とも言うべきもので、日常の習慣的な事に対して深く「考えているつもり」になっている状態です。この状態が続くと「問題点は分かっているが本気で問題解決に取り組めない」とか「三日坊主」「集中力散漫」など「慢性的な悪循環」を招きますので非常にたちが悪い状態です。

これが長引くと人にもよりますが数年、場合によっては10年以上この状態から抜け出せなくなります。
結局、この「隠れ思考停止」の何が良くないかと言いますと「本質的な成長」が出来ない状態が問題なんです。

普通の「思考停止」は「思考」が「停止」しているという「状態」に気が付けば人にもよりますが「思考」を「働かそう」としますが「隠れ思考停止」は自覚が無い事に最大の問題があります。

「思考停止」自体、中々自覚が無いものですが、「隠れ思考停止」の場合は「思考」しているつもりになっているし、周りの人から見ても一見「思考」を「働かせている」ようにみえるので、自分が実は思考を停止している事や深く考えていない事にかなり問題が深刻にならないと気付かない場合があります。

これも現代特有のある意味「心の病」でしょう。

「思考停止」全般に言えますがこれの問題点は先にも述べましたが「人間の本質的な成長」が出来ない事にあります。
「成長」が出来ない=「開運」しませんので、いつまで経っても「成長しない自分に自信が持てない」「過去ばかり見て後悔する」「問題点はハッキリとしているのに取り組まない、または三日坊主」「熱がすぐに冷める」このような状況になります。
「質問出来ない」=「考えていない、または考えているが本質が見えていない」=「まとめる力が不足、または整理する力が不足」という事になります。

「平和ボケ」の弊害は実はこんなにも身近にあるんですね。
ドキッとした方は「考える力を」しっかりと身に付けましょう。
2014.05.11(Sun):占い
人の運に限って言うなら、「運とは=その人の器」です。これに尽きます。

 1リットルの器には1リットルの「運」
 10リットルの器には10リットルの「運」
それと少しの「おまけ」が付いてきます。

そしてこの「器」は生まれた時から一人一人その大きさに違いがあります。これが「宿命」です。
 さらにこの「器」の大きさを「大きく」しようとするなら、「人間的成長」を「するしか無い」んですね。

「人間的成長」を伴わない「運」は「有限」なので一時的にしか効果を発揮しません。
「無限」の「運」とは「自らが作り出し産み出す」ものなので、「器」の中の「運」が空になっても後か後から「湧いてくる」んですね。


この、「人間的成長」というのが中々、大変難しいものでして、皆さん「自分は中流以上」とか「自分は一流」とか「自分は何物にも縛られないで生きて行くからその範囲以上の成長はしなくても良い」などと思う方もいらっしゃいますから、一口に「人間的成長」と言っても非常に複雑です。

 「人は一人で生きてはいけません」この意味を本当に理解している方も実はほとんどいません。
そして「何を以って一流なのか?本物なのか?」これにもちゃんと答えれる人も中々いません。そういった方達が上記のような事を述べたりします。

今の日本の社会はある意味「独善」「独りよがり」「わがまま」「甘ちゃんな考え」などでも生きて行ける「時代」なんです。本当の意味の「自立」を理解している方は少ないでしょう。

例えば、実際、和泉堂の宅占に来られる相談者の中に「熟年離婚」を相談しに来る方もいますが、全員とは言いませんが往々にして「離婚」を切り出すのは「奥様」が圧倒的に多いです。
 その理由は様々です。中にはそれは確かに「離婚」をされた方が良い方もいますが、中には「奥様」の気持ちも分からないではない部分んもありますが、何より生きていく事に大切な「お金」を毎月毎月ちゃんと家に修めてくれて愚痴一つ言わない「旦那様」に対する「感謝」がないままに「ここ数十年私は旦那から愛されていません」とか「結婚してから全く自由がありませんでした」とかを理由に「離婚」を相談しに来ます。これが「平和ボケ」の一端なんですね。

よくよく考えたら簡単に分かる事なんですが、「平和ボケ」はある種の「思考停止」を招きますから、このような事を平然と言います。大変、残念な事ですが。

毎月、文句一つ言わず「お金」を家に修めている事が「愛されていない」とは考えれないですし、「自由」も「義務」を怠ったらあるわけありませんから。その相談者は「義務」を果たさず「自由」を「主張」していたわけです。

このような、生き方、考え方は、この「平和」な「日本」だから出来るわけで、「戦争中の国」「主義の違う国」「貧しい国」では通用しないでしょう。少なからず皆さん、「私は違う」「私だけは違う」という考え方を「対岸の火事」のような発想で実は知らず知らずのうちしてしまっているのです。

 このような「考え方、生き方」をしていても「本当の意味の開運」は中々ないんですね、例え「開運」しても「一時的」なものです。


では、どうすれば「本当の意味での(無限)の開運」があるのでしょう。
それは、「足るを知った上で人生を真剣に生きる事」です。これを分かりやすく言うと「人間的成長」という事になるんですね。

「謙虚」という言葉を皆さん知っていると思いますが。もう一つ上の、「人物が出来た」人は「謙虚の上に更に謙虚」があります。これを以ってしても現代人はどこか「平和ボケ」でしょう。知識は豊富でも行動出来ないとか、頭は良いが心が問題とか非常に偏りが生じておるように思ます。

「テレビ」でも現代の問題はすぐに見つかります。例えば「料理番組」ですが、色々なタレントさんが「うめぇ~」とか「うまい」とか平気で発言します。
 「美味しい」「美味」という表現が沢山あること自体は何も問題ではありませんが、「高級割烹」や「接待」などのシーンで「うめぇ~」とか「めっちゃうまい」とかを本当に当たり前の言葉として使用している社会人も現実としています。このように、「わきまえ」が大変、希薄になっている現状です。


このように、現代は「謙虚」「思いやり」「情熱」「優しさ」「熱意」「配慮」「わきまえ」などが「実は欠けている」人達が沢山います。そして「人間的成長」とは「知識」だけではなく「見識」「道徳」そして「哲学」があっての事です。
これを、現代人の多くははき違えています。

ここを、勘違いすると後々、しんどいわけです。
 何度も言います。「人間的成長」=「見識」「道徳」「哲学」です。

これらが、無いとそれはただの「知識オタク」「知識バカ」です。

本当の意味での「成長」をされる方達は人生に、未だ経験した事が無いような「困難」とぶつかっても何とか「乗り越え」そして更なる「開運」をします。そして、また「成長」するわけです。

要するに「開運」と「成長」は2つで1セットなんですね。それも「足るを知る」という考えが必要です。
すでに「頂いた運」はあるわけです。それを土台に「自らを以って自らの人生を創造し切り開いて行く」これが「今の時代の開運であり人の生きる本質」ではないでしょうか。
2014.05.11(Sun):占い
いつも、ブログを読んで頂いている読者の皆様には感謝しております。

 このブログの内容の中にはちょっと、「断定し過ぎ」な個所も多々あります。
そのせいで、大変気分を悪くされた「同業者」「一般の方」達もいらっしゃるとは思います。
 大変、申し訳なく思っております。

ですが、本来「相談者」のための「占い」がいつの間にか「占い師」のための「占い」に成り下がっています。
 そして「現代の占い業界の混沌と混迷を極めた」この状況を大変大変、「憂いの念」を以って何とか出来ないものかと心をかきむしられる思いで心配しております。
 どうか、この気持ちを察して頂きたく思います。どうぞお汲み取り下さいますよう、お願い致します。




私の継承しております、其仙流の「無相」ですが、ブログでもお伝えしておりますように、今から約1600年ほど前の仙人、「麻衣仙人」が創始者です。(麻衣仙人がそれを証明するような事は一切しておりません。ですが古書、麻衣相法の中に密語として存在しております)

 この「無相」」は「印堂」という場所(眉間の少し上の部分)に恐らく「未知の器官」が存在するものと思われます。
恐らくは、人間が進化の過程で「退化」した箇所だと思います。
「無相」と一般的に知られています「画像透視」の違いは何度もこのブログでもお伝えしております。「無相」は「運勢を観る事に特化」したもので「画像透視」は「過去を観る事に特化」したものであります。
 
 もう少し詳しく説明するなら「無相」は基本的に「光るか光らないか」です。つまり「無相」は「光の明暗」で「運勢を判断します」
 「画像透視」はそのシーンが「映像」で見えるわけですから、非常に「微に入り細に至る」が如く「観えた場合は」とても玄妙です。
 ですが、残念な事に「未来」は中々観えません、基本「過去」か良くても「現在」の事しか分かりません。稀に「未来」が「画像透視」で観える事もありますが、「観ようと思って観えるものではありません」。

極々、稀に超天才的なまさに「仙人」のような方でしたら観たい時に高確率で「未来を画像透視」出来ます。
 其仙流の先人の中にもそのような方がいました。がその先人もこう言い残しています。「人様のお役に立つという意味なら無相がより上だ」と言っています。

「画像透視」は結局「色」を追いかけているわけですけど、この「色自体」=「過去」なんですね。
物事が形を成す最初の段階は「光」です。要するに「白黒」なんです。それから「色が付く」のでどうしても、「透視」の「原理、原則」上「画像透視」は「過去」、「無相」は「未来」になるわけです。



よく、インターネットやテレビで「透視能力者」が取り上げられていますが、「未来」をポンポン観れる「透視能力者」はいないでしょ?

 後、若い方や何か非日常的な体験をされた方が「何かの能力に目覚める」ケースがあります。

これは「透視」全般に言える事と思いますが、「脳」の中の「松果体」と「海馬」が関係しているからだと思われます。
 若い方がたまに「透視」が出来るのは「松果体」がその原因に関与しているようです。「松果体」は二十歳くらいを境にその活動をほぼ「停止」します。それ故ある一定の月日が経てば「透視」が出来なくなったりする場合が多いですね。後、非日常的な体験をした方はその体験が切っ掛けで「松果体」「海馬」を結果的に刺激しそのような能力に覚醒する場合があります。

 よく、若い頃「透視」で有名になった「透視能力者」が歳が経つにつれ観れなくなる原因は恐らくこれです。
後、もう一つの原因は「氣」です。「画像透視」は「個人」の「氣」を大量に消費しますので、観える時と観えない時の差がありすぎます。一度カラになった「氣」はまた「充電」しないといけませんので、その「充電」がまた「個人差」が激しいです。人によっては一日、二日だったり、数ヶ月だったり、数年だったり、場合によっては数十年とこれまた不安定すぎます。

「無相」は「無相」を使用すること自体「松果体」を刺激して常に「活性化状態」にしております。後、簡単に説明しますと「無相」はこれまた常に「充電状態」なので基本的に「氣」がカラになる事は先ずありませんし、一時的にカラになったとしてもすぐに「充電」出来ます。



私、ミズハが一つ気がかりなのは、いつの時代でも「有名になった者を真似る」ような者が出現する事です。
高島易しかり、九星気学しかり、そのような方達の言い分はいつもこうです。「それは私共が先に発見しておりました、代々門外不出でしたので、今まで世に出さなかったのです。」と、そして、「本物」が「偽物扱い」されたり「横取り」されたりします。「無相」がそうならない事を祈っておりますが・・・。
 そして、このような者達が「本物」を「捻じ曲げて」いくのです。

現代の占い業界の「何でもアリ」の状況を招いた原因の一つはこれでしょうね。


行く行くは、この業界の中にある種の「警察」的な役割をもった組織か何かが必要と思います。「警察」と行かないまでも「注意勧告」や「取り締まれる」ような「組織」「団体」は必要でしょうね。


出来れば、「相談者は指南者に対し最低限の礼儀と信頼を持ち」「指南者は自律性を持ちながら謙虚な人物である」このような古の時代に戻らないものでしょうか
 
2014.05.09(Fri):占い
いやいや、今回も面白そうなテーマですね。
 今日では様々な「占法」が存在しています。ですが、その「占法」も実は大きく分けると二つに分ける事が出来るんですね。
 それは「技術」と「能力」です。これは以外にも皆さんが漠然と捉え、直視していない事ではないでしょうか?
そもそも「運」は目に見えません、視覚的に捉えれないものです。それをどうやって捉えているのか。

それでは「技術」にはどのようなものがあるのか見ていきましょう。

・四柱推命、算命学、紫微斗数
・易
・占星術
・九星術

などがありますね。

では「能力」にはどんなものがあるのでしょう?

・画像透視
・運を観る事に特化した透視
・直観
・観相学

はい、以上です。「技術」はこれ以外にもまだ沢山存在します。そして実は「占い」を行う「能力」はこの四つしかないんですね。「能力」の中に「観相学」があるのに少し驚いたのではないでしょうか?現代の「観相家」の多くは「観相学」を用いても「技術的」にしか使用できていません、実は「観相学」は「能力」として使う事がその本領を発揮します。これは「間違った認識を改めようシリーズ」でも述べていますが、「観相」は「観る」行為ですから「観るという氣」をこちら側が持って初めて「血色、氣色、神氣」を観れるものです。現代観相家の多くが普通に観ようとしているので、それでも観れない事は無いですが、特に「未来」に対してどうしたら良いのかは、普通には中々観れるものではありません。
 
それでは「技術」と「能力」のそれぞれの特徴を説明していきましょう。

 「技術」の特徴

「技術」は「能力」がまだ「未熟」であったり、たまに「不調」であったりする時や、「大きなヒント」を得る時などには大変「指南者」を助けてくれます。
 ただし、「正しい」、「技術(占法)」でなければいけません。
其仙流では「易」を勧めています。「易」は「運勢」の「根源的法則」を説いていますので、「原理、原則」を正しく理解し使用すれば、非常に「指南者」の強い味方になります。

 後、「技術」においては、「算命学」「紫微斗数」「四柱推命」や、それ以外の「占法」でも「宿命」や「傾向」「統計」を観て判断する「占法」は「未来」を「指南」する事や「能力」の助けにはあまりならないです。

「宿命」を観ても「過去」ですし、「傾向」「統計」を観ても「傾向」「統計」ですから、その「傾向」に「ハマらない」方も大勢います。「運勢」「宿命」は「数値化」出来ませんから、ある「一定度」は「数値化」出来ても(要するに傾向、統計などが出来ても)一人一人の「運勢の機微」は分からないんですね。つまり、「今、現在困っている」とか「今日どうすれば良いのか?」と喫緊の解決しなければならない問題や人生の岐路、といった事には「技術」だけでは対応出来ません。

 こういった理由で其仙流は「易」を勧めているんですね。勿論、「易」にも限界はありますから完全ではありませんが、「指南者」を助けてくれるという意味においては大変重宝します。


 
「能力」の特徴

「能力」は体得さえすれば非常に細かい事まで分かる場合もあり、「指南」=「能力」と言っても過言ではないでしょう。例えば「失せ物」を探し出す事は「技術」ではほぼ無理ですし、「現在の相手の気持ち」を知る、とかも「技術」では中々難しいでしょう。
  
特に「透視類」は本来、人類全員に備わっている「能力」ですから「正しい鍛練」「正しい知識」などを学んでいくと次第に出来るようになります。
 その「透視」の中でも「運勢を観る事に特化」した其仙流の「無相」は非常に優れています、確かに苦手な領域もありますが、こと相談者の「真剣度」がしっかりある場合はものすごく冴えわたるものがあります。
 この「無相」も皆さんが体得しようとするなら誰でも出来ます。

後「直観」はどの「占法」においても本来、修得しなければいけないものですが、この「直観」を鍛える具体的な方法を皆さん知らないので、「直観」が冴えてる時は良いんですが、全く「直観」が使えない時もありますので一般的には「不安定」なものという扱いになっています。
 
 ですが「無相」を「本気」で学ぼうとするなら嫌でも「直観」が鍛えられていきます。またこの「直観」自体も「指南」をする上で大変「指南者」の助けになります。
 「直観」では「運勢を追う」事は無理ですが「どの地点から運勢を追いかけたら良いか」を示す大きな助けになります。




このように、「技術」も「能力」も「正しい知識、作法、」がありその上に「高い人格」があれば後は、「経験」を積んでいけば嫌でも「本物の指南者」になれます。

 「技術」だけでも「能力」だけでも「腕のある指南者」には中々なれません。先ずは「技術」と「能力」をしっかり身に付けその上で「正しい経験」を積むと「能力」だけでも「達人級」になれますが、何事も「基本、基礎」が大切です。


後、余談ですが、「技術」のみで「占い」を行っている方がよく「リーディング」を多用します。
ここで言う「リーディング」とは、相談者との間で「心理的な気持ち、考えの読み取りを指します」。
この「リーディング」は勿論、普通に必要ですが、これは「能力」ではありませんので、例えば「四柱推命とリーディング」とか「算命学とリーディング」とかを合わせて「占い」に使用されていても、結局「技術」を複数持っている事に代わりはありません。

それと、「プロ」と「アマチュア」の最大の違いを言えば、それは「お金」です。「料金」を頂ける「腕」があるかどうかが一番、「プロ」と「アマチュア」の違いです。
 「お金」を頂かない占い師、指南者はそれなりの「ポリシー」がおありなのでしょうが、そのほとんどは「三流以下の腕前しかありません」
 彼の「高島呑象先生」も「占い」=「売らない」と言い、決して「お代」を頂かなかったそうですが、呑象先生には大変申し訳ないですが、そんな事は呑象先生のお家が「裕福」なお家柄だから出来たわけで、「現実的」ではありません。

それに、「料金」が発生しない=「占い師の責任」も発生しにくいですから。はずしても「無料」なら、まぁいいか、と相談者も思ってしまうので。

まぁ、「占い師」「指南者」は本来「逃げ道」が無い、もしくは作ってはならないものでして、こと「リーディング」は「話術」として場合によって「占い師」「指南者」の「逃げ道」を作っている場合が往々にしてあるので、「占い師」「指南者」はこのあたりを「わきまえる」必要があるでしょう。

本当に自分を「プロ」「本物」と思っているなら尚更です。
2014.05.08(Thu):占い
うん?「占い」と「占う」?これに違いなんかあるの?って思う方が大勢いるのではないでしょうか?
 いきなり、答えから行きます!

「占い」とは=「分析」「当てもの」「傾向」「統計」
「占う」とは=「指南」

はい、以上です!

 ここで終わってはあまりにそっけないので、今回はもっと具体的に「指南」とは?を説明していきましょう。
今までもこのブログではお伝えして来ましたが、現代占い師の多くが「占い」要するに「分析占い」「当てもの占い」「傾向」「統計占い」を「正当占い」と思っているわけです。これは一般の相談者も多くの方がそう思い込んでいるでしょう。
 これらの「占い」はすべて「指南」の「付属」にしかすぎません。
古の時代から「占い」とは「指南」であると言われています。

ちなみに「占い」とは「何かを推し量る」行為の事を言います。
 多くの皆さんが思い込んでいる「占い」=「運勢を観る行為」とは限らないんですね。

では、「占い」=「分析」「当てもの」「傾向」「統計」を先ずは説明していきましょう。

・性格、人柄などを「分析」
・過去を「当てる」
・クセなどの人の「傾向」を指す
・血液型や九星などの「統計」

これらが「占い」=「分析」「当てもの」「傾向」「統計」です。
 このように、書き出すと何となく理解できるのではないでしょうか?
このような「分析」「当てもの」「傾向」「統計」を「正当占い」と思い込んでいる、相談者はその質問の「仕方」が次のような質問の仕方になります。
・「恋愛運」「仕事運」「人間関係」を観てほしいんです。
・全体運をお願いします。
・質問しない
・いつ「結婚」出来ますか?
・就職出来ますか?
・悪いのは全部他人のせい。

これらは、全て、「具体性」=「真剣度」が無いんですね。
人生を「真剣」に生きていない方に多く見られる特徴です。それと、この原因のもう一つは「指南」を知らない現代占い師の責任です。

 これらの質問の仕方でも「具体的」に観れる場合もありますが、「漠然」と観る場合もありますので、こうなると相談者は、この占い師「腕が無い」とか「抽象的な事ばかり」「誰でも言える」などと言います。
 これは、相談者の占いに対しての「前提が間違っている」んですね。


では「指南」とは?なんなのか?を説明していきましょう。

「指南」とは「占い」の後に「占う」行為です。
 要するに「運勢」を「占った」後に問題を「打開する方向性を示したり」「どう対処すればよいのか」「どう成長すれば開運出来るのか?」などを「指南」(アドバイス)する事です。
 しかも「空気感」を以って「指南」するのでそこに「説得力」が出て来ます。


「指南」を知っている相談者の質問の仕方は次のような仕方になります。


「人間関係」の場合の例

相談者「すいません、友人にお金を貸しているんですが、それが中々返ってこないもので。友人は返すつもりはあるんで   しょうか?」

ミズハ「そうですね、返すつもりはあるようですが、恐らくは返済されないでしょう。」

相談者「やっぱり、そうですか」
   
ミズハ「はい、残念ながら」

相談者「初めから騙すつもりだったんでしょうか?」

ミズハ「いえ、最初から騙すつもりではありません。返したくても返せない事情が続いているようです。」
   「申し訳ない気持ちはおありのようです」

相談者「そうですか、それでは仕方ありませんね。」

ミズハ「高い授業料を払ったと思って、引きずらない事です。その友人を恨んだりするのもお門違いになりますからくれ ぐれもそのような事が無いように」
   「大変な思いをした友人を助けたわけですから、その行為は胸を張っても良いと思いますよ」

相談者「はい、分かりました」


「仕事運」の場合の例

相談者「すいません、転職を考えているんですが。」

ミズハ「はい、転職ですか。あてはあるんですか?」

相談者「はい、あてはあるんですが。確実にそこに決まる保証はないもので・・・」

ミズハ「なるほど、先ず転職するべきか否かを観てみましょうか?」

相談者「はい。」

ミズハ「う~ん、転職よりもまだ貴方は今の職場で頑張る事が大切なように思いますが」

相談者「それは、何故でしょう?」

ミズハ「貴方は知らず知らずのうちに我が出ていますから、その癖を直すべきですね」
   「我を張るこの悪い癖を直さずズルズルすると、いつまで経っても貴方は職場に魅力を感じなかったり、何かあっ  ても人にせいにしやすかったり、やりがいを見出さず晩年を迎えそうなので」

相談者「はい、実はそうなんです」
   「やはり、我を張るクセはダメですかね?」

ミズハ「そうですね。若いとまた別なんですが、貴方もいい歳ですから」
   「本当の大人とは誰のせいにもしないものですよ。職場の全員に理解されなくても分かってくれる人にだけ分かっ   てもらえれば良いじゃないですか?」
   「先ずは、自分の言い分を述べる前に相手を受け入れる事から始めてみてはどうでしょう」

相談者「はい、分かりました」


とまぁ、「指南」を知っている相談者とのやり取りを上げてみました。
 先に上げた「分析」「当てもの」「傾向」「統計」と「指南」ではあまりにその内容が違う事がお分かりだと思います。
「分析」「当てもの」「傾向」「統計」では「今、どうしたら良いのか?」「明日、どうしたら良いのか?」が分かりませんから、もしくは分かったような気になるだけですから、あまり「意味は無い」でしょう。

例えば、ある会社が社運を賭けた「取引」があったとします。
 この「取引」を成功させなければ会社に「未来」は無いわけです。
このような時に「分析」「当てもの」「傾向」「統計」では対処し切れません。
 

本来「占い師」「指南者」は「逃げ道がありません」。はずしたら、素直に認め「腕」がまだ足りない事を知り、反省してそれをバネに更なる「腕」を磨くのです。
 
 「現代占い師」の多くは「指南」が出来ない「占法」を用いて「占う」ものですから、最初から「責任」が無いわけです。
 もしくは、それらしい事を言って何気なく「逃げ道」を用意します。

このような「本物」を知らない「占い師」が「本物顔負け」「プロ顔負け」な発言をし相談者もまたこのような「疑似占い師」を「本物」「正当占い」と思い込んでますから、現状は「本物が偽物扱い」されたりするわけです。

この現状の多くの責任は占い師にあります。「腕」のある「占い師」「指南者」になる為には「高い人格」がいるという概念が非常に希薄です。

 「運勢」が観えても、「占法」が優れていても、「直観」が冴えていても、結局、最後には「人格」がものを言うのです。

 我々、「占い師」「指南者」は「人様を観る」仕事ですから、自分の「人間」が出来ていなかったら正しい「判断、指南」は出来ません。   

心にチクリと来た方は、是非今の自分を見直してみてはどうでしょう?
2014.05.07(Wed):占い
いや~、何だかワクワクする、 テーマですね。西洋占術ⅤS東洋占術!

現代占い師の中には「西洋占術」と「東洋占術」の両方を掛け持ちされる方も多くいらっしゃいますね。
 では、「西洋占術」「東洋占術」がどれだけ、どのようなものがあるのかざっと上げてみましょう。

先ずは「西洋占術」から。

・西洋占星術  ・タロット  ・誕生日占い  ・夢占い  ・トランプ占い  ・数秘術

・ダウジング  ・ルーン  ・水晶占い  ・宝石占い



「東洋占術」

・易学  ・九星術  ・姓名学  ・四柱推命  ・紫微斗数 ・観相学  ・算命学  ・九星気学
 
・東洋占星術  ・奇門遁甲 


ざっと上げてもすごい数になりますね。
 これらの占法がさらに色々、大小に分けれていますし、これら以外にも占法はあります。
太古の占法をこれに加えたらその数は100や200は超えるでしょう。
 余談ですが、太古の占法の中にはすでに「失伝」されてその形式だけが残ったり、原理、原則がもはや、うかがい知る事は不可能になったものもあります。

太古の占法の例を上げてみたら次のようなものがあります。

・風占い  ・火占い  ・鬼道  ・虹占い  

など、まだまだありますが、占いは太古の時代からあったんですね。
はい、話を戻しましょう。

では、この「西洋占術」と「東洋占術」の「原理、原則」を比べてみてそれぞれの、長所、欠点を見ていきましょう。
 勿論、各占法一つ一つ見ていくわけにはいけませんので、ザックリ「西洋」「東洋」の「原理、原則」を見ていきます。

「西洋占術の原理、原則」その1「西洋占星術」

「西洋占術」の代表格と言えば「西洋占星術」ですね。歴史は約4000年と古く流石、「西洋占術」の代表格と言えるでしょう。
「西洋占星術」の骨格が出来たのは古代バビロニアが起源とされ、「天の星々と神々」を結び付ける考え方をしました。
 その「読み取り」(解釈)も星位を描いて占うものではなく、事前にそれぞれの星に付けらていた「抽象的な意味」(火星ならば軍神ネルガルに対応していたから凶兆とする)を読み取るものでした。

 それから、長い時を経て「天文学」も発達し、これを「古代占星術」が取り入れ、現在の「ホロスコープ」を用いる「西洋占星術」に発展したのが約紀元前1000年半ばとされています。


「西洋占星術」はその名の通り「星」の「運行」を読む事で人にどのような影響があるかを説いたものです。
要するに、複雑に軌道を描く「星」の軌跡を追う事でその時に生まれた者がどのような「運勢」を辿りやすいか、または
 現在にどのような影響を及ぼすのかを説いたものです。





「西洋占術の原則、原理」その2「数秘術」

「数秘術」の創始者はピタゴラスの定理で有名なピタゴラスと言われています。
 ピタゴラスの後、その思想はプラトンへ引き継がれ「数学」の発展と共に成熟していきます。
相談者の生年月日(西暦)姓名などを数字に置き換えて固有の計算式に基づいて運勢的「傾向」や先天的な「宿命」を説いています。
 簡単に説明しますと、生年月日、姓名を数字に置き換え、一桁になるまで足し算をし最後に出た数字の持つ意味から占います。

要するに「数秘術」は「運勢」を「数字化」しているわけですね。


まぁ、ザックリと「西洋占術」の「原理、原則」と言われているものを上げてみました。
次は「東洋占術」の「原理、原則「」ですね。


「東洋占術の原理、原則」その1 「易学」
 
 何度もこのブログでお伝えしているように「易」の「原理、原則」は「陰陽論」です。
「陰陽交わって萬物生ずる」この一文に尽きる訳です。
何事も「陰」と「陽」とに分かつ事が出来、それらが、交わる事により「運」が生ずるわけですね。
 更に「運」には「三才」という考えがあります。
「三才」とは「天」「地」「人」で「地運」は「受け皿的役割」を担い、「天運」は「先天後天的宿命」を担い、「人運」は「造化」を担います。またこれらの「運」があいまる事により「個々」の「個性」を持った「運勢」になっていきます。


「東洋占術の原理、原則」その2 「観相学」

「観相学」とは本来「顔」「手」だけに限らず「身体」すべてを用いて占っていきます。「身体」だけでなく「声」「喋り方」「歩き方」「仕草」なども判断基準になる場合があります。
 そして「観相学」において一番大切な「氣色」「血色」「神氣」を観る事が何より肝要です。

実はこの「観相学」も「陰陽論」を元に発展、発達して来たものです。
そして「陰陽論」と「造化論」を以って「観相」を行うわけです。

ここで少し「造化論」を説明しないといけないでしょう。あまり耳にした事がない「論」でしょうから。
「造化論」は「易」の中に「隠し言葉」「隠語」として出て来ます。世界中の「易」を述べている書物を知っているわけではありませんのでもしかしたら、世界中の「易経」「十翼」などを調べればあるいは「造化」の単語が見つかるかもしれません。
 この「造化論」は先に述べた「三才」と深く関わりがあり「陰陽交わって萬物生ずる」の先を述べています。もしくはその過程を述べています。

どういう事かと言いますと。

「陰」=「地」
「陽」=「天」
「萬物」=「人」

と言っているわけです。ここで言う「人」は「ヒト」と言う意味だけでなく、あらゆる「生命」「事象」を指します。
ただし「運勢学上」は「萬物」=「ヒト」と主に言っているわけです。

これが「観相」においても、例えば。

「地」=苦労
「天」=環境
「人」=努力
 
苦労×良い環境×努力=開運(例えばです)

と言う法則性を以って「観相」を行うわけです。

要するに「造化」とは、今ある状況、環境に「どう人が考えたら」「どう知恵を使えば、絞れば」「どう成長すれば」「開運」出来るのか?を説いているんです。
これは「麻衣相法」という「古書」にちゃんと記されています。

「陰陽論」の中に「造化の精神」はすでにあるんですが、特に「運勢」を述べる時は「陰陽論」だけでは不十分になる時がありますので、そのような場合は「造化論」が必要になってきます。



「西洋占術」ⅤS「東洋占術」、中々面白いテーマで、今回は特に「原理、原則」に焦点を絞って比べてみましたが、結果は「東洋占術」に軍配が上がりますね。

「西洋占星術」も一見「原理、原則」が有りそうで、しかし、そうれだけでは「人の運勢を計る事は無理」でしょう。
この世に生まれ落ちた時のそれぞれの「星」の位置を計る事で人に対する影響を運勢的に計ろうとしたのは中々面白い発想ではあったと思いますが、「星の位置だけでは人に対する影響は極微小と言わざるを得ません」

「数秘術」も創始者が「ピタゴラス」であったために必要以上の「説得力」があったのは否めませんし「人の運勢は数字化出来るほど単純ではありません」


しかも、「西洋占術」の多くは「運」と言うものが「何なのか」を深く理解出来ていません。
 その証拠に「西洋占術」の多くは、どのような「占法」であっても、結果的に「分析」「傾向」を述べているに過ぎないからです。
 「占い」のもっとも大切な「未来」を「観る」方法が無いのであまり実戦的とは言い難いですね。
やはり、「西洋」は元々「神秘思想」が中東、ヨーロッパなどでは大変流行してましたし、その影響もあって「運勢」というものにある種の「神秘性」を見出し元からあった「神秘学」「神秘思想」と融合して生まれた経緯があるので「原理、原則」は後から当てはめたような形跡がある「占法」も「西洋占術」には多数あります。

「東洋占術」、こと「陰陽論」「造化論」は「初めから哲学、思想と原理、原則が一体化」していますので、「根源的法則」として成り立っています。
 たしかに「東洋占術」の中にも非常に疑わしい「原理、原則」も存在します。その中には漠然とそれが当然に「受け入れられている」「論」などもあるのは事実ですが。
 そもそも、「運を司る法則」は多くは存在しない事くらいちょっと考えたら分かるはずです。「運を司る法則」が今日のように多数存在すること自体「不自然」です。


ですが、何が「東洋占術」のすごい所で「西洋占術」に無い所かと言いますと。
 「開運」に何が必要か?ということが「東洋占術」要するに「陰陽論」「造化論」にはあります。
「西洋占術」には「開運」に何が必要かがスッポリ抜けていますのでやはり、実戦的ではないと言わざるを得ません。

「開運」には古今東西、人の「苦労」「努力」「知恵」などが必要なんですね。それを無視して「開運」は有り得ません。
 そして、更なる壁が現れた時こそ、または今までの「苦労」など比ではないくらいの「困難」が現れた時こそ「飛躍」出来るチャンスなんですね。
 本当の意味での「開運」とは「陰」「陽」の助けを借りながら「人」が「どう考え生きて行くか」にかかっています。


何処までも「ヒト」の「努力」と「知恵」です。
2014.05.06(Tue):占い
宗教ⅤS運勢学、このテーマは何だか禁断の一線を超えるような、ドキドキハラハラです。
 現代人の多くが「宗教」「運勢学」を正しく理解出来ていません。「漠然」とそれぞれを理解し関連付けしています。
今回は「宗教」と「運勢学」の「接点」と「正しい認識」を述べていこうと思います。

「運勢学」はこのブログでも何回も言っていますが、「陰陽論」「造化論」を以って「運勢を計る」事です。
 そして、計った後に正しい方向性、成長、努力をアドバイスする者が「指南者」です。
「運勢学」は遙か古の時代からあります。先ず最初に「陰陽論」がありました。これが元で「易」が生まれ、それ以降様々な「占法」が生まれました。

 そして、「造化論」は「三才」で言う所の「人運」に当たります「人運」を上げていくという事は相談者本人の「人間的な成長」を指します。どうすれば困難を打開、乗り越えていけるのか。どうすれば成功出来るのか。どうすれば助けられるのか。これ以外にも勿論「造化」の考え方は沢山あります。要するに「造化」とは「自らの人生を自らを以って創造し切り開いて行く」かが全てです。

「天運」は「宿命」です。しかも「宿命」は「先天的宿命」と「後天的宿命」があります。「先天的宿命」はこの世に生まれ落ちた時の「環境」「両親」「血筋」「お家柄」などで決まります。
 「後天的宿命」とは事前にある種の「因」を踏みその結果起こる「未来」を指します。
「人運」を上げる事によって「後天的宿命」も上げる事が出来ます。
要するに、「造化」の精神があれば「先天的宿命」が恵まれない人でも「後天的宿命」が結果的に人生を「補っていく」ので、結局の所「天運」も大切ですが「人運」が何より大切なんですね。


人はこの世に生まれ落ちた時にその身に宿す「運」だけでも「生きる」事自体は誰でも出来ます。中には非常に恵まれた「宿命」を宿し、成功する人も勿論、いるでしょう。
ですが、更なる「成功」「充実した人生」を手に入れるには、そこから更なる「努力」「成長」つまりは「運」の「助け」「助力」などがないと難しいんですね。
 
 「神様」は助けてくれません。「他人」も自分の事で一杯一杯です。「神様」も「他人」も力を貸してくれるとしたら「自らの人生を自らが創造し切り開く」者に対してだけです。例えそのような生き方が出来ない人に対しても最低限の助けは「神様」「他人」も与えてくれているはずです。
 それでも「運」が悪い人はやはり「造化の精神」が足りない、つまり「真剣に自分の人生を生きていない」からでしょう。

つまり、「運勢学」とは「運」を扱っているという事なんですね。この「運」を「開運」させるためには「人間力」を上げるのが肝要なんですね。



お次は「宗教」ですね。「宗教」と一口に言っても様々あります、一つ一つの「宗教」の主張を述べていたらキリがないので細かい事は今回は一旦横に置いときます。
世界最古の「宗教」は「ゾロアスター教」と言われています。現在のペルシャを中心に栄えた「宗教」です。
後、バラモン教、ヒンズー教などもかなり歴史は古いですね。

 ですが、恐らくは「ゾロアスター教」以前にも土着信仰を母体とした、小規模な「宗教」は世界中にあったと思われます。
 この「宗教」はどうやって生まれたのか?
私も、世界中の「宗教」を知っているわけではありませんが、恐らくは以下のような理由でしょう。
 
①「国」「地域」を「統治」するため。
②「難民」「貧民」を「救うため」
③「権力」の「象徴」

ざっと、この三つが「宗教」が出来た多くの理由でしょう。では一つずつ説明していきましょう。

①「国」「地域」を「統治」するため。
これはかつて、日本においてもありました。今から、約1400年前の飛鳥時代、当時はそれまで正式に「国が正式に制定する宗教、信仰」というものは無かったものの古くから漠然とあった「神道」が一応日本の「宗教」でありました。
 ですが「疫病」「餓え」「難病」が多発しそれまでの「神道」だけでは日本を「統治」する事が難しくなり、「聖徳太子」が「神道」に代わり用いたのが「仏教」でした。
 この「仏教」は日本が独自に産み出したものではありませんが、他国の「宗教」を積極的に取り入れた珍しい部類の例ですね。

②「難民」「貧民」を「救うため」
これは、キリスト教が有名ですね。紀元一世紀のはじめキリストがその当時の「圧政」に対し、「博愛」を民に説いたんですね。これだけが理由ではなかったようですが、新たな宗教を確立する事によって民、民衆の「心」に安らぎと安寧をもたらさんとした事は確かでしょう。
 結局、キリストは新しい、「宗教」を確立する前に「十字架」にかけられ、その弟子たちによって後に「キリスト教」が出来たわけです。

③「権力」の「象徴」
エジプトのファラオ、ツタンカーメンの父、アクエン・アテンがそれまでの「アメン信仰」を一新、全く新しい「宗教」「アテン信仰」を国の正式な「宗教」と制定しその「権力」を世に知らしめる事によってその土台を盤石なものにしようとした。
 後に息子のツタンカーメンによって「アメン信仰」が復活する事になる。


ざっと、上げてみました。大体これら三つの理由が「宗教の生まれた理由」でしょう。
 勿論、それぞれの理由が「複合」する事はしばしばあります。
それぞれの理由はありますが、簡単にまとめると「宗教」の生まれた理由はそのほとんどが目的は違うにせよ「民衆をまとめるため」です。
 「民衆をまとめる」事によって「権力の誇示」「統治」「救い」を成していったものなんですね。
では、何故「民衆をまとめる」事が「権力の誇示」「統治」「救い」になるのでしょうか?

それは、「民衆の心に拠り所」を作る事によって一種の「安らぎ」を得れるからです。
 「統治」「権力」はその地域の統治者が「神」(要するに絶対的立場の、第三者)に選ばれた者であるとする事によって「統治」をスムーズにした。

「救い」も「民衆の拠り所」ですね。圧政に対して民衆は「無力」です。そこの「拠り所」となる「信仰」を与える事によって「救われる」んですね。




以上が、「運勢学」とは?と「宗教」が生まれた理由です。

 「運勢学」と「宗教」どっちが先にこの世に誕生したのか?それは、「運勢学」なんですね。つまり、「運勢学」「運命学」が「宗教」「信仰」を「産み出した」ものなんですね。
 確かに「運勢学」「運命学」と「宗教」「信仰」は「重なる部分」がありますが、本質的には違うものです。
現代人の多くが「運勢学」「運命学」と「宗教」「信仰」を正しく「整理」出来ておりません。

近年、「占い師」が「宗教的発言」をしたり、「宗教者」が「運勢」を説いたりしている事をよく耳にします。
 勿論、それらが「正しく」発言されていたら、そんなに問題ではありませんが。「運勢学」ですら「正しく」理解出来ていない者が多い今の世の中、「宗教」をも「正しく」理解出来ている者はほとんどいない状況でしょう。

では、一体「運勢」は何を説いているの?「宗教」は何を説いているの?と言いますと。
 大変簡単に述べますと。

「運勢」は「運」を説いている。
「宗教」は「生き方」を説いている。

「運勢」は「能動的」
「宗教」は「受動的」

「運勢」は「現実的」
「宗教」は「真理的」

これらが「運勢」「宗教」の「本質」です。

「宗教」が「必要」な時代は民衆が大変、苦しく、未来に希望が持てず、今日を生きるのもままならない時代でしたから、「宗教」が重要視され必要なものでした。
 
 ですが、現代は大変、恵まれた時代です。食べ物も物も溢れています。
このような時代に「宗教」の役割は小さくなります。ですが不必要にはなりません、世界中が恵まれているわけではありませんし「文化」としての新たな「価値」が「宗教」にはあるからです。

 特に「先進国」は大変、恵まれている時代だと言っていいでしょう。
この「先進国」などで新たな「宗教」が発生したり、「チャネラー」「ヒーラー」「占い師」などが生まれています。
 この「先進国」で新たに生まれた「宗教」「チャネラー」「ヒーラー」「占い師」などはそれぞれの生まれた理由が「希薄」に思われます。

「宗教」の生まれた理由は民衆をまとめるために「やむにやまれず」生まれたものです。
「占い」も苦しい時代に人がより「開運」出来る為に「先人達が苦心研究」されてきたものです。

「今どき」の占い、チャネラー、ヒーラー、宗教は「平和」の上に乗っかって生まれたものです。
そんなものが、「世界中」に通用するのでしょうか?「貧しい国」「戦争中の国」「主義の違う国」の多くは「先進国」ではありません、そのような「後進国」では「今どき」の宗教、占い、チャネラー、ヒーラーは役に立たないでしょう。


話しを元に戻しましょう。
 「宗教」はその「本質」からして「平和で豊かな国、時代」ではその役割が大変、小さくなります。
これを、「平和ボケした現代人」が無理にその役割を大きくしたり、大きく価値を訴えたり、大きくその必要性を訴えたりしているこの時代、「宗教」の「本質」が曲がって来ているのでないでしょうか?

「運勢」はその「本質」からして「どのような時代でも必要」ですが現代は「平和ボケ」した「占い師」の出現で「安易で腕の無い占い師の大量生産」の状態です。



恐らく、「運勢学」「運命学」と「宗教」「信仰」はこの先の人類にとってまだまだ「必要」なものでしょう。
 遙か未来に人類がもっと心と精神が発達すればもしかしたら「運勢学」「運命学」「宗教」「信仰」は不必要になっているかもの知れませんがそれは、遙か遙か、ずっと未来の事でしょう。

ならば、「運勢学」も「宗教」も「正しく継承」していく事が大切でしょう。
 最後に、「神」は、直接人の運勢に「関与」はしません。とだけ言っておきましょう。

 
 

 
2014.05.04(Sun):占い
いや~、今回も色んな「占法」「ジャンル」を取り上げてみましたが、普通に判断すれば「偽物」「嘘」「お金儲け主義」「思い込み」「自己満足」などで行っている行為だと分かるはずなんですが、現代人はどこか「夢見る夢子ちゃん」なんですね。何度も言いますがこれは現代人特有の「平和ボケ」が原因なんです。

 この「平和ボケ」はある種の「思考停止」に近い状態を作り出しやすいです。日ごろの日常生活の事はソツなくこなし、深く考えなくても良い問題や習慣的な問題に対してそれなりに考えこなして行く、このような「普段の日常」においてはその「害」はそれほど表面化しませんが、深刻な問題、人生の岐路、命に関わる問題、などその真剣さがとても求められる事になるとやっとあれこれと真剣に考えだします。
 そして、このような人は「一歩遅く」なります。いつも、後手後手になるんですね。
日々の日常を真剣に生きようとしているつもりで実は真剣ではない人が突然「真剣に思考」をしたり「深く考える」事はすぐに出来るものではありません。普段からいつも「真剣に生きる」からこそ必要な時に「真剣度」が出るんですね。


占い師、チャネラー、ヒーラー達も自分たちの「仕事」が本来どのような社会的位置にあり、また、自分たち自身がどのような立場に本来あるべきなのか「真剣」に考える必要があるでしょう。
正しい学問を研究し時代に合わせ改善、改良、発展させ時に修正をし、それらを正しい姿勢で取り組む事が現代では何より求められている時代ではないでしょうか?

自己満足に終始せずどこまでも相談者のために、人様のお役にたてるように日々を真面目に生き真剣に取り組む姿勢は必ず理解してもらえるはずです。
 自分からのアピールもいけないとは言いませんが、それと同等に「謙虚さ」も持つ事が大切でしょう。
そして、この時代が「平和」だから通用する「占法」「チャネリング」「ヒーリング」はいずれは滅ぶでしょう。
 「本物」の「占法」「占い師」はいつの時代でもどのような場所でも通用するものです。

「貧しい国」「戦争中の国」「主義の違う国」などで貴方たちのやり方は通用するのでしょうか?
 これを常に自分に問いながら仕事をしてみて下さい。おのずと自分の間違い、不自然、思い込みに気付く事が出来るでしょう。



占い師、相談者、この両者は一昔二昔前なら、「本物か偽物か」「信じるか信じないか」でありましたが、近年はこの二極状態に変化が現れました、海外では少し前から存在しておりました、「チャネラー」「ヒーラー」の存在がこの「占い業界」にもその範疇が及ぶに至りだしました。「本物か偽物か」「信じるか信じないか」の単純な比較ではなく、この第三極の出現は全くの新しい切り口で世に現れたので、さらに業界は混沌とし混迷を極める状態です。

例えば、一人の占い師が「スピリチュアル」「ヒーラー」「チャネラー」をしていたりします。
 これは、今の混沌とした占い業界の状態を如実に表しているものです。
何でも有りは結局回り回って自分の首を絞める事と気付いて下さい。

「チャネリング」は実際、遙か古の「仙道」にも存在はします。ですが「宇宙人」「未来人」「地底人」「前世」などと「チャネリング」は出来ません。
 「オーラ」を使って人の心を癒す事も不可能です。

「ヒーラー」は何を以って癒しなのかをしっかりと考えなくては、いけないでしょう。
「創造主」がいるかいないかは一度横に置くとして、「人類」が「神」に「命令」は出来ません。
 「創造主」とは何か?も深く「定義付け」しないとあやふやなまま、認識されますし、シータヒーラーの多くは「シータ波状態」になっておりません。



こういった、新しい「第三極」の出現の多くは「癒し」「運勢」「開運」に「何が必要なのか?」がまだまだ未熟な「西洋からの輸入」です。西洋で「チャネリング」「ヒーリング」などといった事が騒がれるずっと昔からすでに東洋では研究されてきたもです。
 多くの、「チャネラー」「ヒーラー」は自分の個性を以って人に「認めてほしい」という「個人的願望」がその裏に潜んでいます。若い頃からの神秘で不思議な世界への強い憧れが未熟なまま育ちその結果「安易にチャネラー、ヒーラー、スピリチュアリスト」を生み出した切っ掛けになっています。

我々、占い師は確かに現代では完全に解明されていない「未知なる力」を以って「指南」をさせてもらっているわけですが、「不思議に始まり不思議に終わる」「神秘に始まり神秘に終わる」事ではとても「腕がある」とは言えません。
 「一生を費やす覚悟」「どこまでも相談者の為」「どこまでも社会の為」「どこまでも学ぶ姿勢」「どこまでも高い人格を求める姿勢」が絶対必要条件です。
 現代占い師、ヒーラー、チャネラー、スピリチュアリストの多くがこれらの事が出来ているとは、私は到底、思えません。



占い師、ヒーラー、チャネラー、スピリチュアリスト、一般の相談者たちがこのような状況を招いたのです。何にでも飛付くのが悪いとは言いませんが、現代人は「個」の「自由と無秩序」をはき違えています。
 これは「現代人のエゴ」です。

本当に「正しい姿勢」「正しい住み分け」「正しい学び」がなければ100年後200年後にはこの業界のほとんどは滅ぶ事でしょう。
 一時の優越感、自己満足、儲け主義に終わらず、我々のこの「運勢学」は「先人からの頂き物」という認識を辞め「先人からの預かり物である」という認識の元、もう一度軌道修正をし後世にこの「運勢学」を「伝え残す」よう考えなければならないでしょう。
2014.05.03(Sat):占い
この、チャネラー、ヒーリングは以前、取り上げた「癒し系占い」と重なる部分がありますが、以前とは違ったところを今回は取り上げてみようと思います。

 チャネラーとはある対象者に思いを送信して対象者から返事を受信する事を言います。
その「対象者」が「宇宙人」であったり「神」「地球」「星」「天」「前世の自分」であったりととんでもない事になっています。確かに人間にはまだまだ解明出来ていないもしくは、進化の過程で退化した未知なる能力があるのは確かですがここまで来ると何でもありなのかと思ってしまいます。

 我々、其仙流の「無相」も実はそのほとんどが「天」にお尋ねをしているわけです。其仙流の言う「天」とは「宇宙」そのものです。この辺りの話をすると其仙流が何かオカルトチックに思われるので、普段はあまりこの話はしないんですが、少なくとも我々其仙流は「天」を現実的に捉えしかも「能動的」に「運勢」を観るので「人の気持ちも分かる」というわけです。ここがその他の「透視」「降霊」「お告げ」などと決定的に違う所です。その他の「透視」「降霊」「お告げ」などは「受動的」なんです。

このチャネリング自体そんなに問題ではありませんが、その主張が各々メチャクチャなんですね。
 先ず、そう簡単にチャネリングは出来ません。これが大前提です。ただし「無相」は誰でも簡単に出来ます、プロになろうとしたらそれなりに腰を据えて取り組まないといけませんが基本的な事は大体、数ヶ月でマスター出来ます。


どのような主張をしているのか、またどのような経緯を辿りチャネラー、ヒーラーになったのか?ざっと羅列してみましょう。
 

あるチャネラーの方は御自身のホームページではこのような自己紹介がされています。

 「2007年6月に自分の前世が、200年前のタイランド湾の離島で「ケリー」という名前だった。
島の人々の心を癒し勇気付け生きる活力を捧げてきた

29才で命を終え水晶の玉を持った女性だった事を知るという不思議な体験をしました。
そして、何度か、前世のケリーと対話する事ができ

前世の彼女が、この世を去った悲しみの心を今世の私が癒すことができました。

さらに、天の神様からの「あなたを必要とする多くの人の心を救ってあげなさい」とメッセージを頂き

2007年9月1日より突然、私には人の心の色と展望・正しい道が見えるようになりました。

前世のケリーと出会ったことで開花した私の力を活かして救いを求める人に

チャネリングによりメッセージを伝えること、それが私の使命です。」


この文面はご本人のホームページに掲載されている文面をそのまま載せたものです。

突っ込み所満載な文面ですね。ご本人には申し訳ないんですが、このような方達がこの業界をさらに混沌、複雑にしている元凶の一つでしょう。
 では、この文面からどのような個所に問題があるのか、説明していきましょう。


①「ケリー」という名前は当時のタイ、マレーシア、ベトナムでは有り得ない。
  
 いきなり決定的な矛盾ですね。タイランド湾とは太平洋南シナ海にあり、タイを中心に湾の周辺にはベトナム、マレーシアなど諸外国も含まれます。「ケリー」という名前はこの地域では「発音上」使われないです。
 しかも「ケリー」という名前は、「西洋名」です。要するに「英語圏」で使われるものです。多くはアメリカ、カナダ、イギリスなどです。近年は何もかも「西洋化」が進み名前も色々な特徴を持つに至りましたが。タイでは長い間「姓」を付けるという習慣がありませんでした。たしか私の記憶が正しければ1900年代はじめ頃に国民が「姓」を付けました。「姓」を名乗り出す特に以前には「動物」の名前を人名として使われる風習がありました。
 そのため、名前に独特な「なまり」があります。その上タイ周辺の国々は元々独特な「なまり」があります。
旅行などで行った方達は分かると思います。「発音上」、「ケリー」という使い方はありません。
 


②何の鍛練もせず「前世」「チャネリング」を修得する事は有り得ない。

 これはなにも、この方に限らずシータヒーラーやその他のヒーラー、チャネラーにも言えますが、特段、下済みをした経験、足跡が無い方達が通信教育や講習、などを通して学んだものがほとんどです。
 このようなものでは「実戦」では何の役にも立ちません。
確かに極稀に「天才」が生まれながら、もしくは幼少の頃より俗に言われる「神通力」を発揮する事はありますがそのような方は、いいかげんどのような時代においても極稀なケースですが、近年は更にレアケースになっています。

このチャネラーは「ケリー」と会ったことで「力を開花」させたと言っています。要するに自分以外の存在が自分の隠れた能力を開花させた切っ掛けを作ったと言ってるわけですが、基本的にそのような事は考えにくいですね、仮にそのような「自分以外の別の存在が能力を開花させる切っ掛けを作った」としても他にも矛盾点はあります。


③「ケリー」はこの世を去った事への悲しみがあった?

 はい、ここからちょっと専門的な話になっていきますが、人は死ぬ時の状況、問題、思いなどによって、「現世」「今世」において何か強く思い残す気持ちがあった場合その「思い」「思念」が後々も残る場合があると言われていますね。
 皆さんも漠然とそう思っているのではないでしょうか?
実はそのような事はありえません、断言できます。基本「死」を迎えたらどの道一度は「無」の段階を踏みますのでこのような事は有り得ません。「無」とは文字通り「無」の状態ですから生前の思いも「無」になります。

 しかも、「ケリー」が亡くなって200年後に何故自分の悲しい思いを来世の自分に伝えたのか、曖昧ですね。


④人の心の色と展望、正しい道が見えるようになった?

 何度もこのブログでお伝えしている事ですが、「未来」は決まっていません。
なのに、「展望」「正しい道」が何故分かるのか?我々「指南者」は現在を踏まえその「一歩先」「半歩先」を観ていくんですねその連続が「未来」へ繋がる「指南」なんです。
 このチャネラーが言っている事は、まるで先の「未来」が決まっているかのような事を言っています。
この方は確かに「未来」とは言い切っていないので確証はありませんが、この文面からは何か「貴方の生きる道が私には見える的」な印象を与えます。恐らくご本人もそのつもりで書いたんでしょうが、「正しい道」か「正しくない道」かは他人が決める事ではありません。当事者が決めるものです。

 こう言ったチャネラー、ヒーラー、占い師がもう一つ理解していないのが、まるで相談者の人生を「こちら側の人間」が導く、産み出す、決める、的な事を言っています。
 相談者の人生は相談者の「固有」のものであります、ですから我々「指南者」は「言わせて頂いている」という謙虚な思いで「指南」をしなければいつの間にか、「アドバイスを言ってやってる」という上から目線になります。

 このチャネラーの方は自分が天か神から選ばれた「伝道師」とでも思っているのでしょうか?
もし、そのような方でしたら、いつか「ボロ」が出るとだけ忠告しておきます。



後、他のチャネラー、ヒーラーの方達も見ていきましょうか。

・エイリアンアブダクションに遭遇してからチャネリング能力に目覚めた。
・オーラを使って人の心を癒す事が出来ます。
・催眠療法(ヒプノセラピー)で潜在意識を高める。
・光の死者イクシュールの力で癒します。
・現在のあなたの悩みは前世のあなたが原因。

 などなど、まだまだ色んな事を言っているチャネラー、ヒーラーがいます。

オーラを使って心を癒す事は不可能です。
催眠療法は催眠を受けた者、全員が催眠状態になるわけではありません。
光の使者イクシュール?現実を見て下さい。
現在の悩みの原因が前世にある?何故ですか?

ざっとそれぞれの言い分、宣伝文句、主張を見てみても、とても「普通」の考えではありません。
 本人たちの自己満足の世界ですね。又、このような方達を信じる人はこのような悪質なチャネラー、ヒーラーに頼る前に、心身の病気の方は先ず病院へ、そうでない人は自分で「生きる」力を身に付けるように。

 どんなに「怪しい」者でも「本物」は「理屈」を超えた「説得力」があります。
現代のチャネリング、ヒーリングは今から100年後も存在出来るのでしょうか?
 私はそうは思いません。このような「お遊び」「疑似チャネラー」「疑似ヒーラー」はいずれ滅ぶでしょう。

この「チャネリング」とは簡単に言いますと「テレパシー」と言って差し支えないでしょう。
 「仙術」の中にこの「テレパシー」があります。「感応速通」と言って対象者がある程度離れている状態でも、こちらの「考え」「思いを」対象者に伝えれるものですがとてつもない、「修練」「鍛練」を重ね更に「高い人格」がなければ体得する事は困難極まりないです。この「感応速通」は基本的には「相手の」気持ちの状況、状態を知る事あたりが限界で極稀にとんでもない「天才」それこそ「仙人」でもなければこちら側の「考え」「思い」を対象者に送る事は出来ません。

 我々、其仙流の「無相」もそうですが「テレパシー」「感応速通」も「意志の疎通」は出来ません。
相手の気持ちを知る事くらいしか出来ません。
 チャネラー、ヒーラーの方々はこの「原理、原則」を知らないので基本的にチャネリング、テレパシーで「意志の疎通」が出来ると言っている方達は全員「嘘」「偽物」「思い込み」「演技」のどれかでしょう。

このような、ものを信じてしまうと、度合にもよりますが、知らず知らずのうちに現実からずれていき、人間関係も次第におかしくなっていきます。そして、なにより「真剣に生きる力」を失いいつの間にか「真剣に生きているつもり」になり、中々抜け出せない「人生の迷路」に陥っていきますので、要注意が必要です。

 皆さん、もう一度、冷静に先入観を持たず考えてほしいです。貴方達はこのようなものに頼らないと「生きて行けない」ですか?そんな事はないと思います。もう少し自分の普通の人間としての「生きる力」を信じても良いのではないでしょうか?このようなものに頼るのではなく、どこまでも「現実的」に問題を受け止め「努力」して己の未熟な部分を補っていくよう「成長」する事が何より大切ではないでしょうか。
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