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2014.04.29(Tue):占い
以前も。「前世」には述べさせて頂きましたが、前回で伝えれなかった事を今回は、述べようと思います。

 え~と、ですね。実は「前世」というものが一般的に浸透しだしたのは、ここ20~30年くらいです。
ずっと、昔から一般人にも浸透しているように思われるかもしれませんが、一般的に広がったのは全然、最近なんですね。
 それ以前は「仏教」がこの「前世論」を説いていました。
だからと言って、個人個人の「過去生」を語るものとは、微妙に違います。
正確に言いますと、仏教は現代の我々が言っているような「前世論」ではなく、今生で不徳を積むと「地獄」に落ち、徳を積むと「極楽」に行けるといったもので、「徳を積む」事が「極楽」へ行ける道だと説いたわけです。「極楽」へ行けない者は「地獄」をはじめ「六道」を彷徨う事を「輪廻論」を用いて説いたのです。
 
 要するに厳密に言いますと、仏教は「輪廻論」を主張しているわけです。
中々、普通の方には難しいと思います。「輪廻」「前世」「過去生」???
似たような単語が出て来るとこんがらがって来ますよね。

 簡単に説明しますと。「過去生」と「前世」は同じだと定義しても良いと思います、
「輪廻」とは「天道」「人間道」「畜生道」「修羅道」「餓鬼道」「地獄道」の六つを「六道」と言い、この「六道界」を彷徨う事を「六道輪廻」というわけです。

つまり、現代で言われる「前世」とは本質的に違うんですね。
 まぁ、それでも「前世」を言っている事には違いないんですが、「仏教も前世論を認めている」のとは少しニュアンスが違います。

近代になってこの「前世」を一般に広めた切っ掛けがあります。
 どちらかと言うとこの切っ掛けが現代で言う所の「前世」でしょう。
その切っ掛けとは、アメリカの精神科医、ブライアンLワイス博士が睡眠療法中に「前世記憶」を思い出す事により現在抱えている問題、病気が治るケースがある事を発見。
 この件以降徐々に「前世」なるものが一般に認識されるようになりました。

ですが、この「退行催眠治療」「催眠治療」の過程の中で「前世」を語る患者は極少数であり、最初の公式検証実験でも「前世」を語った患者は30人中2人でしかありません。
近年では「退行催眠中」の「前世」の記憶はほとんどが「覚醒時」の記憶が混合、融合したものでは?と述べている専門家もいらっしゃいます。詳しく説明しようとするとかな~り、長文になってしまいますので簡単に説明しますと、「脳」の中に「前部帯状回」という「現実」と「仮想」を司っている部分があるんですが、この部分は「脳」の同じ場所にあるんですね。「覚醒時」は「脳」が「現実」と「仮想」を判別すんですが「退行睡眠中」は「脳」が正常に「現実」と「仮想」を判別出来ていないケースがあるという事に気付き、ブライアン博士の「前世療法」に疑問を得ている状況です。

恐らく医学、それも脳医学がもっと発達すればこの問題はある程度解決されるでしょう。
 中には確かに「前世の記憶」ではないかと思ってしまうケースも極々稀ですが存在する事も事実です。
ですが、どの道「前世」があろうが無かろうが人の「運勢」に直接的に影響があるわけではないので「前世」を知る事に根拠も意味も基本的にありません。

実際、世界中でも「前世療法」は「治療目的」「検証実験」が行われていますが、各、実験リーダーのコメントは「整合性」を欠いている物が多数存在します。
 例えば、アメリカのある医者が検証実験で得た前世の記憶のそのほとんどが、前世もアメリカ人でしかもほぼ全員が戦争で亡くなっているのに対して、日本のある医者が検証実験をした所、前世ではほぼ全員が故郷の国がバラバラで亡くなった原因もバラバラという結果が出ています。
このような、事例は沢山あります。

 このように「前世治療」「前世占い」などは少なくとも現段階では世に出すべきものではないのは明白だと思います。
もっと、「学問」としてしっかりと「形」「内容」「理論」を構築してからではないと使い物にならないものだと思われます。

私、ミズハの個人的意見としては「前世治療」は無理だと思いますし、根拠もないと思います。恐らくはそのほとんどが「偽の記憶」又は「思い込みの記憶」でしょう。
 「前世占い」もそのほとんどがデタラメだと思います。
必要な「記憶」なら今世に生まれ変わっても「覚えているはず」ですから。
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2014.04.27(Sun):占い
中々、面白そうなテーマですね。占いⅤS予言とは。
 ここで言う「予言」とは予め決まっている「未来」を的中させる事を指します。

今回のテーマは「運の法則」を含みますので、現代占い師の多くの方も興味があるのではないでしょうか。

では、それぞれを説明していきましょう。
先ず、「占い」ですね。「占い」の「定義」は何でしょうか?要するに、「占い」とは?という事ですね。
 現代占い師の多くが、すぐにこの問いに答えられません。いつの時代でも漠然と認識して来ましたから。
ですが、真面目に「運」「運勢学」「占い」などに取り組んでいた「占い師」「指南者」は極少数ではありますがいつの時代にでもいました。それでも、少数なんですね。

はい、本題に戻りましょう。

・「占い」とは、法則性を以って「運」の流れを計る事。そして、「開運」するための流れを捉え相談者に助言するのが「占い師」「指南者」です。

これが、「占い」「占い師」の全てであります。


では、お次は「予言」の「定義」ですね。

・「予言」とは、予め決まっている「未来」を指示す事です。


単純にこの「占い」と「予言」を比べてみたら、何だか「予言」の方が迫力や雰囲気がすごいと思うかもしれませんね。


はい、ではここからは「運」そのものの法則性を説明していきましょう。
 「占い」も「予言」も「運」という流れの中に「存在」する事ですから、その法則性を理解する事によって色んな事がもう少し明確になって来ると思います。

①「未来」は決まっていない。
 
 何回も、このブログでもお伝えしている事ですが、基本「未来」は「未定」です。
これだけは、決定しているんではないですか?とか、これは運命的に定められいる事だ。とかはありません。

 でなければ、「生きる」事に「意味」が無いでしょう。

ですが、一つだけ例外があります。つまり、「決まっている未来」があるんですね。
 それは、「死」です。これだけは中々人類が克服出来ていない事なんですね。もしかしたら克服してはならないものなのかもしれませんね。

「未来」は決まっていないからこそ、どうすればより「幸せ」になれるのか?「充実した人生」になれるのか?を人類は考え創造出来るんですね。これを「造化論」と言います。

また、「未来」は過ぎ去れば「過去」になります。この「過去」を見通すのが「画像透視」です。
 よく、アメリカ、イタリア、イギリスなど、諸外国でも、この「画像透視」が事件捜査に用いられる事があります。
ですが、「画像透視」で「未来」は中々観えませんので「犯罪防止」には活用しにくいでしょう。
 海外で、「透視能力者」が行方不明者を捜索したりしていますが、これも100%の確立で「解決」出来る訳ではありません。



②「因果律」が「未来に」密接に関係している。

Aという道筋を進んでいるときBとCという二つの選択肢が出て来た時にBを選択すればDとEという新たな選択肢が発生し、Cを選択すればFとGという選択肢が発生するとします。
Bを選択すればD Eという選択肢が発生しF Gという選択肢は発生しない。このようにある種の「因」を踏みその結果いくつかの「果」が生じまたいくつかの「因」が発生する、また、一つの選択肢を選んだ時点でその他の「因」が消えるというのが「運勢学」上の「因果律」です。

 「未来」が画像透視で観える場合はこの「因果律」の選択時に「高確率」で、ある選択肢を選び、その結果訪れる「未来」をある種の「予言」と言います。

 ですが、いくら「高確率」とはいえ100%ではないので勿論外す時もあります。
しかも、「画像透視」はその原理、原則が不安定なので、個人差が激しい上に観たい時にいつでも発動出来るものではありませんので、扱いが非常に難しいです。

この「因果律」は「過去」「現在」「未来」を紡ぐ役割を担っているので、これからどう「生きる」、どうすれば「開運」出来るのか?をアドバイスする「指南者」は、先ず「現在」を観た上で「未来」を指南しないといけません。


③「運」は「有形」と「無形」がある。

 
 「有形」?「無形」?う~ん、何のことやらとお思いでしょう。

例えば、ある相談者が「金運」を上げるにはどうすればいいでしょう?と言ってきたとします。
 今は、月収18万円、それを30万円にするには?と言ってきました。
30万円の月収を得るため、どう努力すればよいかを指南したとします。

半年後、その相談者がまた、やってきました。あれから、言われた通り色々努力をして何とか月収25万円を得るには至ったんですが、最初の目標月収には5万円足りません。

ですが、ここで相談者はあきらめず、指南者の次なるアドバイスを聞き更なる、努力をして一年後に見事月収30万円を得るようになりました。

初めに月収18万円だったのが25万円になったのは相談者にすでにある程度月収25万円を稼ぎ出す「器」が備わっていたのである程度、短期間で25万円を得る事が出来たんですね。

ですが、30万円を得るにはまだ「器」が不十分だったので、そこに更なる「努力(造化)」と一年という「時間」が必要だったんですね。

このように、「運」とは人間の「器」とある程度比例するものなので、「器」の許容量内の願い、目標などはある定度、簡単、短期間に成就しやすいです。
 ですが「器」の許容量外の願い、目標になってくると先に目標に応じた「器」を作っていく事から始めなくてはなりません、それに伴って「時間」も掛かります。

要するに願いや目標に応じた「器」がすでに備わっている場合は願いや目標が「結果」として現れやすい、つまり「有形」で「結果」が出やすいんですね。
 
 逆に「器」以上の願い、目標を持った場合は、先ずその「器」を大きくする努力から、始めなければいけますんからこの場合「運」は「器」に作用していくんですね。ですから目に見えない「無形」で現れやすいんですね。ようするに「結果」が「有形」で中々現れないんですね。


④「運」には「有限」と「無限」がある。

 「有限な運」とは頂きものです。例えば、両親が築いた財産を子供が相続したとします。
このままでは財産は減っていきます。この段階では「有限」ですね。
 この頂いた「運」を相続した本人が「努力」「活用」などして「生金」にする事によって「無眼」の財産になるわけです。




このように「運」には一定の法則があります。他にも「運の法則」はありますが今回はここまでとして、本題に戻りましょう。
 「予言」と言われる事も実はいくつかの種類に分けられますが、あえて「予言」にこだわる必要はないんですね。
「占い」を用いて「運勢」を観、「指南」をして相談者はその「指南」をもとに「努力」する「真剣」に生きる事によって「未来」を創造し充実した人生を得れるのですから。

「予言」をしようとすれば、するほど「はずれ」ていきますし、仮に「予言」が出来たとしてもそこに「本人」の「努力」「真剣度」がなければ本当の意味での「充実」はないでしょう。
 

「占い」とは相談者にその「空気感」を伝える事によって説得力が生じます。
「予言」は相談者に「空気感」とその「情景」をも加味して伝えるので一見「予言」がすごいと思われるかもしれませんが、やはり人は「未来」を知らないから色んな努力をして苦労をして「未来」を創造して充実した人生を歩もうとするわけです。

 我々、人類は昔から比べたら、はるかに幸せを手に入れやすい時代に生きています。それは我々の先人たちが「未来」を知らないから「より幸せ」に「より恵まれるよう」に「楽しく」「便利」に生きる為に「考え」「悩み」「努力」して来た「結果」です。
 「予言」を完全否定するわけではありませんが「予言」は「占い」の中の「スパイス」的要素くらいにしておくのが良いと思います。まぁ、先ず「予言」はしようとして出来るものではありませんがね。

2014.04.27(Sun):占い
この占い業界の中で漠然と当たり前と受け入れらている事の中で実は厳密にすればそれは間違いというような事を取り上げようというのが。この間違った認識を改めようです。
 中には、え~!そんな馬鹿な!みたいな内容もあるとは思いますが、冷静に先入観を持たず考えると理解できると思います。

 今回は、先ず「愛」ですね。
最近の、ニューカルチャー、神秘占い、癒し系占い、オカルト占いなどが、この「愛」という単語をよく使われているようです。
 日本においてはこの「愛」という言葉は実は極最近出来た言葉なんですね。
おそらくは、仏教と共に伝来したものと思われます。ですが、まだその時点では「宗教用語」としての意味合いが強く、一般的ではありませんでした。
 それから近代に近づくにつれ、「恋愛」における「文学的表現」をより多様的に表すために「愛」という単語が一般化して来たようですから、おそらくは、明治、大正時代、もしくは昭和初期に「恋愛小説」「恋愛文学小説」などを中心に一般に広がったものと思います。

 西洋では、それよりずっと昔から使われていたようです。西洋では「哲学」の中でも「愛」という表現が出て来ます。
西洋人はやはり、ロマンチックな事が日常的に行われていたんでしょう。
 東洋人、特に日本人は公衆の面前では当然、例え恋仲睦まじい恋人同士でも「愛」を平然と語るのはどこか「恥じらう」日本人らしい可愛さがうかがい知れましたが、現代の日本では恋愛も「西洋化」が進み私、ミズハは個人的には残念な思いです。

ですが、この「愛」なるものは何も「恋愛」の場面だけで使われる事ではありません。
・親子愛
・友情愛
・何かを慈しむ時
・社会愛

など、色々な場面で「愛」は発生します。
 現代人や神秘占い師、癒し系占い師などはこの「愛」をよく多用します。
どこか、「現実離れ」したり「現実からはずれた」事を言っているように思われます。
 何故かと言いますと、「愛とは?」がもう一つハッキリしていないのではないでしょうか?

「愛」とは「運勢学的」に言えば「受け入れる」「解放」の意味、作用があります。
 ですが、現代人や神秘占い師、癒し系占い師たちは「愛」が何かを直接「生む」ものであるかのような言い回し、または認識をしています。

これは、ハッキリ言って「間違い」です。ここで驚く方もいるかもしれませんね。
 「愛」は「産み出す力」を持っているに違いないと!漠然に捉えています。
まだ、「漠然」と捉えているうちはいいんですが、これを「実行」に移そうとしたりすると現実からずれていって、おかしな事になります。

「愛」は「生産的なもの」か?「非生産的なもの」か?
 もう一度言います「愛」は「非生産的」です。そして現実的に「実行しようとすればするほど」現実からずれていき、ますます、非生産的なものになります。
では、何故「愛」は非生産的なものなのか?

 例を上げて説明しましょう。

例えばある企業が「新商品」を開発するとします。
 まさに「何か」を「産み出そう」としているわけですね。
様々な「苦労」「努力」「苦難」が待ち受けています。
 時に、会社の同僚と時には上司とも意見がぶつかるでしょう。
その、困難をやっとの思いで乗り越え何とか「新商品」を「産み出しました」
 今度はこれを、市場に出さなくてはなりません。
あらゆる所に出向き営業をしました、けれども、中々取引先は「新商品」を扱ってくれません。
 それなら!と新しい取引先を開拓するため、営業をしてみましたらこれも中々、契約にこぎつけません。
スタッフ一同悩みました。どうして取引できないんでろう?どうしたらいいんだろう?

スタッフの一人が言いました。お客様目線でもう一度、企画段階から見直してみよう!と。

そうしたら、改良点がいくつか出て来ました。
 これを元に改良し更に「商品力」を高め、もう一度営業をしてみたら、今度は契約が取れました。


分かっている方もいるかもしれませんね。そう、「愛」ではこの困難な状況を打破する事は無理なんですね。
 では、この「新商品」を「新しい市場」に送り出したのは何なのか?
それは、ズバリ「情熱」なんですね。
 何かを「産み出す」には「愛」より「情熱」「温度」「熱」が必要なんです。
では、「愛」は必要ないの?と思うかもしれませんね、それも違います「愛」は何かを「産み出す」時の「前提」に必要なんですね。
 この「愛」を現実的に「持ち出し過ぎる」と現実からはずれたり、おかしな事になりますので、気を付けましょう。

実は、これは私、ミズハの実体験です。
 ある、相談者が「新商品開発」「新商品の市場開拓」のため四苦八苦していたところに私に、相談されまして、よくよく話を聞きましたら、実は行き詰まった時点で何回か他の占い師に相談していたそうです。
ですが、その占い師は「商品」を「産み出す」には「愛」が必要だとしきりに言っていたそうで、けれども事態は打開、出来ず何回相談しに行っても、まだ「愛」が足りないのが原因だ言われ、ほとほと困り果てていた所に私の所にやって来たわけです。

この「愛」というのは現実的に使う場合はどのような時かと言いますと。

・恋愛
・弱っている時
・幼い時
極論、以上の三つの時だけなんです。


「愛」が全くの「非生産的」なものとは言いませんが、「生きる」という事は「愛」だけでは無理なんですね。
「愛」とは「生き方の中」に存在するものであって「「あえて取り出し具現化」するものではありません。あえて取り出し具現化しようとするとそれはすでに「愛」ではなく「エゴ」です。「愛」と「エゴ」は実は表裏一体なものです。
「愛」は自分の人生の中において「有れば良い」のです。
 「愛」は「数値化」出来ません。故に「有る」か「無い」かが大切です。

実は現代人は厳密に言うと「愛」を持っていない方が多くいると、私は思います・・・。
2014.04.25(Fri):占い
いや~、ここまで来るのに大変長かったです。ここまでお付き合いして頂いた、読者の方々には感謝いたします。
 ここからは、最終章としまして、結果論、総論を述べていきます。

肯定派、否定派も勿論それぞれの意見、考えはありますが。
もう一つ、「占い」「運勢学」「占い師」「指南者」などを理解出来ていない事が、少しは分かって頂いたとは思います。
 これは、そもそも「運勢学」「指南者」「占い」などを深く理解していない「現代占い師」がその「元凶」です。
ですが、現代占い師の中にも、真面目な方もいらっしゃるのは確かです。そういった、数少ない真面目な現代占い師もある意味行き詰まっているんですね。
 「何が本物」で「何が正しい」のか分からないのは、現代占い師も相談者も同じなんですね。

ただ、現代占い師に忠告したいのは、この「運勢学」「指南者」はある意味で「お医者様」と同じなんです。
 「お医者様」が「患者」の「命」を救うのと同じで、「指南者」は「相談者」の「運勢」を救わなくてはなりません、それほど、この「占い」というものは、「真剣」に取り組まないといけないんですね。
 それが、占い師の「腕」がもう一つでは救える「運勢」も救えませんし、適当な事をしていては命取りになりかねません。

もう一度、「占い師」達は一体誰のための「占い」「運勢学」なのかを考える必要があるでしょう。
 決して「占い師」ための「占い」であってはならなのです。


(結論、総論)

占い肯定派ⅤS占い否定派 このテーマで長々とブログを書いて来ましたが、結論としましては、肯定派、否定派それぞれが正しく「占い師」「占い」「指南」「指南者」といったものを理解していないケースが多分にありますので、どれも正当な理由にはなりにくいですね。その中に、稀に「本物」「本物に近い」占い師に出会った事がある相談者はまだ幸運です。

 何度も言いますがこの状況、現状を計らずとも、もしくは、故意によって現代占い師の多くが招いています。
ですから、占い肯定派の理由も占い否定派の理由もある意味では、全部正解という事になります。
 
もし、この占い業界にある種の「法律」が出来たら現存の占い師の90%は廃業でしょう。
 占い師を「縛る」ものが無いからと言って「腕」の無い占い師を続けるのは問題です。

それと、「運勢」の法則を理解すれば多くの占法は消滅するでしょう。
 占い師として、否定されるのも嫌、自分の占法が否定されるのも嫌だと思うなら、正しい「運勢学」を学び「高い人格」をある程度有してから考えて頂きたいです。


そして、相談者、一般の皆様も、もう少し「占い師」「指南者」に相談するならば「真剣」に悩みに取り組み、「真剣」に相談してみるという事をある程度しかっり考えてから相談されるとよろしいと思います。もしくは「真剣」に「占い師と共に」考えてみる姿勢が必要でしょう。




一般の方々の多くが「運勢学」「占い」を間違って捉えています。故にその肯定理由の多くが、否定理由の多くが正当な理由にはなりにくいものです。
 この「元凶」の多くは「占い師」にあります。「占い師」自体が「正しい運勢学」を知らずに今日まで来た事で間違った認識が一般の方々や相談者に広がり過ぎたのです。
 
 「運勢学」は古の時にすでにほぼ「完成」しています。「完成」したものをあれこれと、つつきすぎたりすると「原理、原則」から知らず知らず、逸脱していくのです。
「時代に応じて改良、発展」していく事はとても大切ですが、計らずとも自己流に過ぎたりします。
ですから、尚の事、占い師、指南者は「高い人格」が求められるのです。

 元から、間違った占法をどんなに改良しても、「根が腐っていたら幹も葉も育つはず有りません」。
いつの時代でも、「本物」はしっかりと継承されています。ですが、誰でも簡単に学べるものではありませんし、一生を費やす覚悟も必要です。知識だけでは「指南者」にはなれませんし、能力だけでも「指南者」にはなれません。

 日々の研鑽と何よりお客様のための「占い」「運勢学」であるならば必ずその思いはお客様に「当たる、当たらない」を超えた「理屈」を超えた「説得力」が生じるのです。

占い師の皆様、一般の皆様、「運勢学」を遊ぶ事が何も絶対的にいけないと言ってるわけではありません。
 ですが、「運勢学」の「本領」を発揮出来るのは、占い師、指南者そして相談者、この両者が「真剣」になった時です。
これを、お忘れなく・・・。




2014.04.23(Wed):占い
おさらいをしていきましょう。「占い否定派」の理由として。
①占いなど初めからあるわけない
②「地震」「大事件」を予見した占い師がいないから。
③占い師自体が怪しい、胡散臭い。
④実際、当たった事がないから。

今回は③の「占い師自体が怪しい、胡散臭い」ですね。

はい、確かに中にはちょっと、怪しい、胡散臭い占い師がいますよね。
 これは、簡単な話、オカルト占い、神秘占い、前世占いなどが往々にしてこの対象になります。
ですが、中にはよくみると「真面目」な方もいますので、一概に判断する事は間違いです。
 逆にその他の占法で一見「真面目」に見えても実は「偽物」「まがい物」もいます。
これの原因は「正しい住み分け」が出来ていない事と「占い師」が「正しい運勢学」を身に付けていない事があげられます。
 
 簡単に例を上げますと、「前世占い」は「何を占っているのか?」以前にも言いましたが、「前世を知る、観る」事に根拠、意味は基本的にありません。では、前世を語る占い師は相談者の前世を観て「何を占っているのか?」という根幹に先ず住み分けが出来ていません。
 「前世」と「運勢」は「因果関係」はないので、先ず「前世」を「占い師」が語る事は無いとは言いませんが現実的に中々そうあるものではありません。
 
 後、オカルト占いを上げてみましょうか。先祖がどうとか先祖の因果、業がどうだとか言われる占い師をここでは、オカルト占い師とします。
 先ずですね、「運」というものと「霊」なる存在は「直結」しません極稀に「間接的」に関与するだけです。
ですから、「先祖」であろうが「動物霊」であろうが、基本、関係ありません。
 「因果」「業」もある意味で「反省」する材料には成り得ますが、これからどう生きるの「未来」にはあまり関係ありませんしこだわり過ぎると「現実」から「ずれて」行くので、こうなると非常に「危険」です。

このように、現代占い師の中に「運勢学」「占い」を「神秘学」「オカルト」とはき違えているのが、そもそも原因です。
 「占い」「運勢学」に「オカルト」「神秘」が全く、存在しない訳ではありませんが、それでも何事も「現実的」に先ずは捉える事が肝心です。
 やれ、「生霊」やれ「先祖」「不徳」「業」などと言われる、占い師は怪しく、胡散臭く思われても仕方ないですね。



お次は④の「実際当たらなかったから」ですね。
 この、「当たる、当たらない」の概念から説明しないと、中々、理解出来ないと思います。
先ず、何を以って「当たる」のか?ですが。
 「占い」とはそもそも、「指南」を指します。ある一定の法則性を以って相談者の開運の方向性を示すものが「指南者」です。
 本来「占い師」とはこの「指南者」を指します。後の「オカルト」「分析」「当てもの」などは「指南者」の「付属」に過ぎません。その「付属」なる「占い」を正当占いと占い師も相談者も勘違いをしている事にそもそもの問題があります。
 もちろん、当てる事は大事ですがそこにフォーカスする事自体、本質からずれています。
「占い師」が当てようとすればするほど、基本はずれていきます。ですから、相談者をごまかすために「先祖」「前世」などの話を出さざるを得ないんでね。
 「指南者」が「指南」の過程でもしくは「指南」を追体験する過程で「当たる」という現象は発生しますが、初めから当たるを歌い文句しているからおかしい事になるわけです。
 要するに、「当たらなければ偽物」と安易な発想に結び付くわけです。

勿論、「指南」も場合によってははずれる事もありますが、何度も言いますが「未来」は決まっておりませんから、はずれる事もあるわけですが「はずし方」があるわけです。
 全然、「的外れなはずし方」は「指南者」は場合にもよりますがほとんどありません。

つまり、一般の皆様の言っている「占い師」は「当てもの占い師」「分析占い師」に属するんですね。
 この「当てもの占い師」たちは「当てる事」が「占いと」思っているわけです。
この勘違いは一般の相談者にも大変、多くいます。
この「占い」とは「当てる事」と思っている事が初めから「前提が間違っている」んです。
 「指南者」は「当てる事に終始」はしませんから、「開運するためにどう成長したらよいか」の「方向性」を示すのです。
 
 まぁ、実際、其仙流においてもよくある話ですが、現代占いの「当てもの」「分析」に慣れてしまった、もしくは「当てもの」「分析」が「占い」だと思っている相談者からはよく、え、それが「占い」ですか?などどよく「疑問視」されます。

あなたのご両親は離婚をしていますね・・・。
あなたは、焼もちやきですね・・・。
あなたはプライドが高いですね。

etc.・・・。

などという、占いに終始する事は本質からは遠くかけ離れています。
この辺りを踏まえて「当たる」「当たらない」を論じて頂かないと、そもそもが、誤解をしていますね。

 ただですね、「分析占い師」「当てもの占い師」が発言したことが「的外れなはずし方」をすれば確かにこの言い分は正しいですね。「分析占い師」が「分析」を外したり「当てもの占い師」が「当てもの」を外したりすると占い師の根幹に関わる事ですね。ほとんどの「当てもの占い師」は「自分が当てもの占い師」と思っていませんし、「分析占い師」の中にも「自分は分析占い師」ではないと思い込んでいる占い師もいます。
 結局、占い師の「人格」がものを言うんですね。



はい、これで「占い肯定派の理由」「占い否定派の理由」をそれぞれ説明してきましたが。
 お次は、結果、総論です。
2014.04.23(Wed):占い
ここからは、「占い否定派の理由」を上げていきましょう。

①占いなど初めからあるわけない。
②現に「地震」や「大事件」を予見した占い師がいないから。
③占い師自体が怪しい、胡散臭い。 
④実際、当たった事がないから。

他にも、否定理由はあるとは思いますが、大体この四つではないでしょうか。この、否定派の否定理由は実はまさに今の占い業界の問題提起をそのまま含んでいるので、非常に大事です。我々、占い師にとっては非常に屈辱で耳に耐えがたい事ですが避けて通るわけにはいきません。

では、一つずつ説明していきましょう。
①占いなど初めからあるわけない。

 頭から完全否定、全否定されている方達がここに含まれるわけですが。完全否定するに至った経緯がまた、それぞれあるでしょう。これには、大きく分けて以下の二つになるでしょう。

Aある種の無神論者、無宗教者、または現実主義者。
B以前は信じていたが、結局「本物」と出会うことが出来なかった。

先ず、Aは探せばよくいるパターンですね。またこのパターンAの方達も更に細分化されますが今回は省略いたします。
 現実主義自体、何の問題もありません、運が開けて行くかどうかは別問題ですが、この考え方をされる方の多くは「運は自分で切り開いて行くもの」と言う方が多いです。
 はい、大正解ですね。まさに「運は自己の力で創造し切り開いて行く」ものです。
ですが、この理由は「運勢学」「占い」の「否定根拠」にはなりません。
あくまで、「個人的生き方」を述べているに過ぎません。そして、実は「運勢の法則」をはからずとも述べていますね。
 先ほども言いましたが「運とは自己の力で創造し切り開いて行く」ものです。要するに「他力本願」か「自力本願」かで言えば、「自力本願主義者」がこのパターンAを主張するわけです。
 
 ですが、「他力本願」がいけないとは、私、ミズハは思いません。「他力本願に始まり他力本願に終わる」のいけませんが「自力本願」を大前提に置きそして「他力本願」もあるという事です。

 それと、「自力本願主義」を主張される方の中に、実は「他力に頼っている」方達も多くいます。つまり「生かされている」「助けてもらっている」ことに気づいていない方達もいます。こういった、もう一つ「自分の人生を真剣に生きていない」人もパターンAには含まれます。
 
 どの道、人は中々自分を知らないんですね。知る手立てとしても「占い」「運勢学」はとても有効なものですがね。


次はパターンBですね。「本物と出会えれなかったから」という理由はある意味、由々しき問題提起です。
 まさしく、この問題は昔から存在していました。ですが、そもそも「本物」は本当にそう中々いません、詳しく統計を取ったことはありませんが、例えば、数千万人の中に一人いるかいないかですね。日本の人口が大雑把に一億四千万人として十人いないんじゃないかと思います。
 現在、この日本で占い師がどれくらいいるかこれまた、統計を取ったことはありませんが、恐らく、数万はいることは間違いないでしょう。そして、今、こうしている間に占い師人口は増えています(特に都会で)

 これは「本物」が増えているわけではなく、キツイ言い方ですが「偽物」もしくは「偽物に類する」占い師が増加しているんですね。

これは何が問題かと言いますと。結果的に占い師という職業に対する「憧れ」が占い師に必要な要素という「現実」を直視せず「未熟な考え」をそのまま持った状態で「占い師」になった結果です。
 勿論、「詐欺占い」「お金儲けに過ぎる」などは論外ですが。

「占い師」とは「運勢学」を以って人に「開運」を示すお仕事なので、それは、それは想像を絶する「勉強量」「鍛練」「人格構築」などしなければなりません。そして「優れた、本物の師」の元で先に述べた「鍛練」「勉強」などをするわけです。
 現代占い師が「憧れ」に過ぎて「占い師に必要不可欠」な要素、「高い人格構築」を「優れた、本物の師」の元で身に付けるという過程が抜けている、もしくは不十分な状態で「占い師」になるものだから、いつまで経っても「本物の占い師」になれないんですね。
  
 初めは皆さん「メッキ」です。それでも真面目に、謙虚に、自分に酔わず修業、勉強をすれば次第に「本物」になっていくわけです。
 それと、やはり「優れた、本物の師」との出会いがこれまた、必要不可欠です。昔から言います。「一流になりたければ一流から学ぶしかない」この一言に尽きます。
この「本物の師」が中々いませんので、自然と本来「占い師」は人口的に考えたら極少数なはずなんですがね・・・。


次は②の「地震」「大事件」を事前に言い当てた占い師がいないから。ですね。

 これには、いくつかの前提が間違っている場合があります。
先ず、「未来は決まっていない」という前提があるわけですが。②の理由は「未来は決まっている」という間違った前提の元に成立する話なので、これは実は「占い」「運勢学」を否定する根拠にはなりにくいんですね。

 ですが、その内容にもよります。例えば「地震予知」「火山予知」などはある程度出来るでしょう。
ですが、「○○銀行に強盗が入る」とか「○○氏が交通事故で亡くなった」とかは場合にもよりますが、中々難しいですね。
 これは「運勢の法則」を知らないと厳密に理解出来ないかも知れませんが、後者の方は出来る時と出来ない時があるんですね。

後、我々占い師は「観ようとしないと観れない」という基本的大前提があります。
 占いは「お告げであってお告げでない」という事があるので、当然「占い師が観ようとする意志」がないと観れません。
東日本大震災や西日本大震災でも「予見」出来なかった事を理由に占い師を否定される方がいましたが、観ようとしないのに観れるわけないんですね。

 今回はここまでと致します。次は③「占い師自体が怪しい、胡散臭いから」ですね。

2014.04.22(Tue):占い
占い肯定派VS占い否定派、それぞれの立場、意見を私、ミズハが独自に体験、調査した事を、もっと一般の方達に「占い」とは本当はこいういうものなんですよって事を、お伝えしたい思いで始めたVSシリーズです。

 前回までのおさらいを少ししてみましょう。
占い肯定派の理由として

①神秘なもの、神の領域、人知を超えるものは存在するから。
②「占い」で人生が変わったから。
③好奇心、興味があるから。
④本当であってほしいから。
⑤自分が「占い師」だから。

以上五つが肯定派の大体の意見、理由です。
前回は②までいきましたね。今回は③さんからですね。

③と④は重なる部分が非常にありますね。一般の人からしたら、この「運勢学」はまさに不思議で未知の領域の事ですから、もちろん好奇心、興味があったり、本当であってほしいと思う気持ちもあるでしょう。
 ③と④の違いは、ちょっとキツイ言い方をすれば、「運勢学」「占い」は「本来」好奇心、興味本位で行うものではないという事です。
 ③の理由の方が例えば「占い師」になると、非常に「自己流」「浅い人間性の占い師」「自分の間違いを認めない」このような「占い師」になる可能性が高いです。

 勿論みなさんがそうなるとは言いませんが、何を隠そう私、ミズハも昔はそうでしたから。
ですが、師の元で勉強、鍛練を続けて行くうちに「運勢学」とは並みの覚悟では出来ないし、またはしてはいけない事に次第に気付きました。これも、師に恵まれた事が非常に大きいですね。
 大体、現代占い師の多くは「師」がいません、いたとしても中にはその「師」を見下している「弟子」も大勢います。「師」とは「恩師」ですから尊敬するのが当たり前の心構えと思います。
 もちろん、「師」も尊敬に値する人物にならなければならないんですが、そもそも、人格のもう一つ出来てない「師」の元で「運勢学」を学ぶこと自体お互いがまだまだ「未熟」です。

 脱線しましたね。④は③と比べ基本的に「害」になりにくいんですね。単純にあってほしいと思う訳ですから、「自己」「間違った前提」などを過度に持ってこない限り「害」になりにくいですね。


⑤は当然の話ですね。占い師が占いを否定するわけにはいきませんからね。
 ですが、中には占いは「透視」や「指南」など出来る訳もないですから、「パフォーマンス」ですからと、言われるとんでもない占い師もいます。
 こういう占い師は占い師をしない方が良いと思うんですが・・・。

で、ここで一番問題なのは、占い師の皆さん「我こそは本物」「私こそ本流を受け継いでいる」「我こそ一流」と思い込んでいますから、この部分が一番、問題点と言っても過言ではないくらいです。
 そもそも、この「思い上がり」「思い込み」が今日の占い業界の混沌と混迷を招いた「元凶」です。

またまた、少し脱線しました。まぁ「占い師」が「占い」を否定するわけにもまいりませんから、この理由自体は正当ですね。



ここまで、「占い肯定派の理由」を問題点も一緒に上げた訳ですが、お次は「占い否定派の理由」を上げていきましょう。


2014.04.20(Sun):占い
え~今日から、新しいコーナーを始めます。
 その名も、VSシリーズ!何だかワクワクしそうですね。

今回は占い「肯定派」「否定派」というテーマです。
 それぞれの立場で色んな考えがあるとは思います。これは、あくまで私、ミズハが独自の体験、調査で知り得た事を元に構成したものです。

この占い業界には様々な占い師、占法が存在します。それに対して、一般の方々の中にも占いに対して様々な立場を取っている方々もいます。
 そういった、方々に少しでも正確に状況をお伝えして、その一助となるコーナーになりますよう努めてまいります。

占いを「肯定」している方達はどうして占いを「肯定」しているのか?「肯定派」の中にも色々な理由があると思います。いくつかざっと上げてみましょう。

①神秘なも、神の領域、人知を超えるものは存在するから。
②「占い」で人生が変わった経験があるから。
③好奇心、興味があるから。
④本当であってほしいから。
⑤自分が占い師だから。

などなど、まだまだ「肯定派」の理由はありますが、大体この五つの理由にまとまるのではないでしょうか?
一つずつ検証してみましょう。

 先ず①ですが、神秘なものは確かに存在します。断言できます。
が、この「神秘」「神の領域」「人知を超える」ものの「定義」が人それぞれ違い過ぎて少し迷路に入っている状況ですね。
 例えば、実際私が経験したり、見聞きした事を述べますと。

「ある夜、そろそろ床に着こうと布団に入り就寝前の読書にふけっていると突然枕元が気になり、ふと見上げるとそこに亡くなったはずの母の姿があり、言葉を発せずままに頭を抱える姿があり、どうしたものかと見守っていると、よくよく見ると母は「頭が痛い」ような素振りをしている事に気づき、ハッと思いだしました。生前母は「頭痛持ち」だったそうで、毎回、お墓参りの時に頭痛薬をお墓の前に埋めていたそうです。ですが、前回に限りそれうっかり忘れていたそうで、それが原因で頭痛を訴えに枕元に立ったのでは?と思い、その週の日曜日に事の次第を親類にも説明しお墓参りに行くことになったそうです。

 墓地に着き、一族のお墓の前に着いた時に家族も、親類もぎょっとしたそうです。なんとお墓が、ハッキリと傾いている事が見て取れたそうです。ちょうど少し斜面の端にお墓があったため少しずつ斜面の、土が崩れてきたのか、何か月か前の大きな台風が原因かは分からなかったそうですが、とにかく急ぎ、墓堀を呼んで墓石を元の姿に戻そうとしたそうです。
 そして、墓堀が到着し墓石、骨壺などを動かすため、掘っていたら何と、お墓の真後ろにある大木の根が骨壺を貫いていたそうで、家族、親類はこれが原因かと気付き、数か月後にお墓自体を別の場所に移したそうです。」


次のケースを上げてみましょう。

「戦後、少し経った頃、世の中も大分落着きを取戻し、まさに、日本が経済発展をしていた頃の出来事です。
ある易者の元をある日、凛としたそれでいて落着きのある青年が訪ね、易者にこう言ったそうです。
 
噂を聞いて来ました。あなたは大変有名でその実力はまさに神通力だと伺いました。そこでお聞きしたい事があるんですが、数年後に父の後を継ぎ私が社長に就任する事になっっていますが、この今の日本の状況の中でどうすれば、またどのような人物になれば、会社を立派に引き継ぎ国益のためになる会社にしていけるかをご指南して頂きたい。

との、事でした。
 そこで、その易者はこの青年の思いは並々ならぬ決意だと、本気だと、察知したそうです。
が、そこでその青年は易者にこう言ったそうです。
 大変、失礼だとは承知ですが、私は今日あなたと初対面です。あなたの実力は噂でしか知りません、そこで一つだけあなたの実力を試させてほしいと願い出たそうです。
 その青年は風呂敷に包まれた箱の中身を当ててほしいと言ったそうです。

その易者は、目をつぶりジッとしてしばらく経つと、こう言ったそうです。
 箱の中身は栗が五つ入っています。
そこで、その青年はガックリと肩を落とし、こう言いました。やはり、あなたも噂だけの人物でしたか。
 残念です。箱の中身は栗ではありません。
そこで、易者の宅占を出ようと腰を上げた所に、その易者はさらにこう言ったそうです。
 
 大変、申し訳ないです。私の実力不足です。ただ、今後の勉強のためにもよろしかったらその箱の中身を是非、見せて頂けませんか?と申し出たそうです。

 その青年は、今さら箱の中身を見せても意味は無いだろうにと思ったそうですが、かなりの高齢の方が謙虚に年下の自分に頭を下げる姿に、心を動かされ箱の中身を見せる事にしました。
 
 その青年は風呂敷を解きながら、こう言ったそうです。中身は栗が五つではなく、ミカンが三つですよ。
そして、青年は風呂敷を解き終え、箱を開けたら何と、箱の中に栗が五つ入っていたそうです。

あっけに取られ、何度も自分の行為を思い返したそうです。間違いなく自分の手で箱の中にミカンを三つ入れ、箱のふたを閉め、風呂敷で包んだ事に間違いないと。

それが、いつの間にか、易者の言うとおり、栗が五つ入っている。
 青年は、本物は本当に存在するんだと思い、感激していたそうです。

後に、青年が当時の事を易者に聞いたそうです。何故、あのような事をなさったんですか?普通に箱の中身を当てるだけでもすごいと思うんですが・・・。

 そこで易者はこう言ったそうです。あなたの並々ならぬ決意が私を子供心にさせたんですよと。
普通に、当てても良かったんですが、あなたの本気度に惚れて、ついついお遊びをしました」
 


これら二つのケースは実際あった実話です。
 このように、とても普通に考えても、科学的に考えても、理解が出来ない事は確かに存在します。
私、ミズハもそのような体験はあります。
 ですが、実はこのような事象を全て「奇跡」「神秘」「神の領域」と一括りにして良いのでしょうか?
私は、そうは思いません。あくまで、「現実的」にそれぞれの事象を捉える事が何より大切であります。
 
 これは何も、「神秘」「神の領域」「奇跡」を否定している訳ではありません。
俗に言われる「神秘」「神の領域」「奇跡」などの中には将来「科学」によって「正しく」解明されることもあるでしょう。ですが、私が言いたいのは「奇跡」「神秘」などと言うのならば、昨日まで知らなかった人と今日知り合う、これも「奇跡」「神秘」です。つまり日々の小さな「奇跡」「神秘」も紛れもなく「奇跡」であり「神秘」であり「神の領域」でしょう。決して「夢見る夢子ちゃん」に過ぎないように。

 私は決して科学万能主義ではありませんがあえて言うなら現実主義であります。「運勢学」は現実的でなければならないと思います。その上で「人知を超える」「奇跡」「神秘」は存在するものであります。
 初めから「奇跡」「神秘」ありきの「色眼鏡」「願望」「執着」がこの「運勢学」を現実的なものから遠ざけた原因の一つでしょう。


次は②の「占い」によって人生が変わった経験があるから、ですね。
 
 これは単純に大きく分けると二つになります。
・本当に人生が変わった。
・実際は変わったと思い込んでいる。

この二つのケースになります。
本当に人生が変わったパターンは占法、技術、知識、などは一度横に置くとして、本物の占い師もしくは実力はもう一つでも何とか相談者の期待に応えれた、のどちらかでしょう。
 このような経験をする方は現代では中々いません。

問題は、実際は変わっていないのに変わったと「思い込んでいる」パターンですね。
 この「思い込み」が占い業界の混沌とした「現状」を生み出している原因の一つです。

実は、「思い込み」のパターンも以下の幾つかに大別できます。

A「占い」に対して「願望」「執着」「間違った前提」などがある。
Bファンの「占い師」のアドバイスだから。
Cあまりに「受動的」生き方をしている。

一つずつ説明していきましょう。

先ずAは「思い込み」パターンの最も多いケースです。
 こうあってほしいとか、占い師から肯定的な答えがほしいと思いすぎるケースですね。要するに「願望」が強すぎるんですね。その願望が、たまたま「占い師」の答えと合っていたらその占い、占い師を「本物」と思い込むわけです。

Bは意外に知られていないですが。簡単に言えば、自分の信じている「占い師」の言う事を「無条件」で「鵜呑み」にするパターンです。最初は少し疑っていた占い師に対して何回か通ううちに徐々に信頼感が出て来て、何か違和感や不都合、矛盾が生じてもその不都合を直視しなくなり、最悪、「無条件」で「鵜呑み」にしてしまうケースです。


Cはこれはある意味かなり深刻な問題です。
 恐らく、昔はこのようなパターンはほぼ存在しなかったのではないでしょうか?
現代人の現代病とも言える「平和ボケ」のこれも影響の一つですね。
 簡単に説明しますと、本人に自覚があろうが無かろうが、「受け身」過ぎる生き方「受動的」過ぎる生き方は「思考停止」を招くからこれは深刻な問題なんですね。
 この「思考停止」は場合にもよりますが、基本的に自覚症状がほぼないので自分が人生を踏み外している事に気が付かなかったり、自己中、独善になっている事に非常に気が付きにくいです。
 このような方は知らず知らずのうちに「楽」な生き方もしくは「現実逃避、現実否定」を考えますので、その考えに「寄り添う」(この場合間違っていますが)占い師に対して信用、信頼を置く訳です。


これら「思い込み」の行為をされる方は往々にして生活の別の場面でも「思い込み行為」をされている事が多いです。
 ですから、ここまで来るとすでに、占い師の力量、人格云々の話ではなくなってきます。

今回はここまでとしまして,占い肯定派VS占い否定派1-2に続きます。
2014.04.17(Thu):占い
またまた、いつもとは趣向が違いますね、整合性とは・・・。
 「整合性」とは「矛盾」「不自然」「不都合」が無い事を言います。
現代は、それこそ様々な占法が乱立しております。また、それに伴い占い師の人口も増大し、そしてその占法の数も一人の占い師がいくつも抱えております。

 ここで一つ言いたいのは、何度も言いますが「運勢学」はそれはそれは、大変、難しい学問です。ですから極めようとすれば一生物です。
 それなのに、現代の占い師は一つを極める事でさえ困難な占いの占法を一人でいくつもお持ちでいらっしゃる占い師の多い事。
 私、ミズハの個人的印象は本当に一つ一つを深く理解しているのかなと思ってしまいます。

其仙流でも、多種多様な占法がありますが、それでも専門は「無相」「麻衣相法」「易」の三つの占法です。
 しかも、其仙流のこの三つの占法はすべて「陰陽論」「造化論」で一括りにできます。要するに三つの占法すべて「原則、原理」が同じなので一貫性がありますが。

多種多様な占法を複数お持ちの現代占い師は西洋占いもあり、東洋占いもあり、それぞれの占法の「原則、原理」もバラバラでよく、極めれるなと思います。
もちろん、中には本当に勉強に勤しんで、それぞれの占法を深く理解した方もいるでしょうが、そんな方は極稀ではないでしょうか。

 例えば、東洋占術と西洋占術では原理が違いすぎます。難しい話は一度横に置くとして「東洋占術」の多くは思想,哲学と原理、原則が一体化しています。「西洋占術」は思想先行型が多く見受けられます、要するに原理、原則は後から取って付けたようなものが非常に多いです。何も、「西洋占術」が悪者だとか言っているわけではありませんが、こと「運勢学」に関してはやはり、東洋に一日の長があります。西洋占術は「開運」に何が必要なのか、という所がまだまだ、不完全です、それと、西洋占術は「運勢学」というより「神秘学」の思想が多いです。ですから理論的ではないものが西洋占術には大変、多く見受けられます。
 これだけ取っても西洋、東洋の占術を複数持つのは「整合性」が取れないように思うんですが・・・。

では、何故、現代の占い師達はこうも「原理、原則」の違いすぎる占法を複数持つのか?以下に上げてみました。

①占法を複数持つ事がプロ、専門と勘違いしている。
②細かく複雑な占法を複数持つ事が専門的であると思い込んでいる。
③占いをサービス業とはき違えている。
④お金儲けに走り過ぎている。
⑤「運勢学」を自己流に歪曲解釈している。

 などが理由に上げられます。
④、⑤は論外ですけど、①、②は非常に多いですね。そもそも、現代占い師の多くが「細かい」「分析」「複雑」な占法が「本物っぽい」と勘違いしている節が多数見受けられます。
 「運勢学」の「原理、原則」は非常に単純です。現代占い師の多くは「複雑」と「奥が深い」をはき違えています。
ですから、不必要に占法を複数持つのではないでしょうか?我々、其仙流も研究のため幾つも占法は持っていますが、専門は「無相」「麻衣相法」「易」の三つで、例外的にその他の占法も使う時はあります。
 現代占い師の多くは「貴方は何が専門ですか?」と聞きたくなるような占い師が非常に多いですね。

昔から、よく言われます「何でも来い!に名人無し」と・・・。

勿論、研究のためとか、非常に思い入れのある占法であったり、それなりにちゃんとした理由があって複数の占法を持つのは構いませんが、少々、言葉は汚いですが、占いは「専門バカ」「知識バカ」では務まりません。ましてや占いを「オシャレ」と勘違いしているようでは、その占い師の先は知れています。

③はこれまた色んな意味で幅広くあります。
 例えば、「癒し系占い」がそうですね。「癒し系占い」の何を以って「癒し系」なのかは様々ありますが、「シーターヒーリング」とかはその代表ですね。
 決して「シーターヒーリング」を完全否定しているわけではありませんが。これが「開運」なの?と疑ってしまうことが沢山あります。ヒーラーの中には「自分は占い師ではなく[ヒーラー」です、とちゃんと言ってらっしゃるかたもいますので、そういう方は問題ないんですが、それでもネットでも「占い」と「ヒーリング」が同等に扱われていますので、「ヒーラー」の方はもう少し「住み分け」をちゃんとした方が良いと思います。
 少し脱線しましたね、「ヒーラー」も様々ありますが、「シーターヒーリング」の「ヒーラー」の中によく出てくる単語があります。「創造主」「カルマ」「業」「愛」「慈愛」「過去生」などなど、貴方は一体何屋さん?と聞きたくなります。ヒーラーの多くは色んなカルチャーの「良いとこ取り」としか思えない所が要所に沢山出て来ます。
 「開運」に「神」は基本的に関係ありませんし、「過去生」も因果関係はありません。この時点で「開運」「運勢」を理解してないと言わざるを得ません。
 
簡単に申しますと、「お金儲け主義」「自己陶酔型」「自己満足型」などが③の占いをサービス業と勘違いしている方が多いですね。「私は、この不思議な力を以って今日も相談者を救ったわ」などと自己満足している方のこれまた、多い事。「占い」は自己満足でも何でもかんでも相談者にホイホイと口を合わせるものではありません。時として、相談者に取って「耳に痛い」事も申さないといけない時もあります。ですからこそ、高い「人格」が求められるのです。
 「癒し系占い」の「癒し」を否定しているわけではありませんが、いつも「癒しに始まり癒しに終わる」のは「現実からずれて行く」ので結果「整合性」が取れなくなり、「創造主」「過去生」「因縁」などの言葉でごまかすしかなくなってくるのです。「ヒーラー」たちは何を以って「癒し」なのかをもっと深く考えなくてはいけないでしょう。



整合性と言うならば、「観相」にもこの傾向はあります。
 よく、ネットでもあなたの顔、手などの写メを送って頂いたら鑑定いたします。とか言われている広告を目にしたりしますが。以前にもブログで言いましたが、「観相学」は「氣色、血色に始まり、氣色、血色に終わる」が肝心です。
 要するに、氣色、血色の中に「動き」を捉えないといけません。
「写真」「写メ」では「動き」が捉えれませんので、「矛盾」が生じたり、解釈が不十分になりますので、その方の一部分の「分析」しか出来ません。
 あらかじめこれらを説明した上で、「写真」「写メ」で鑑定しますというなら、まだ分かるんですが・・・。

これ一つ取っても、現代の観相家が顔のパーツ、部位、手のしわだけで主に判断しているのが分かりますね。


後、よく「遠隔浄霊」「遠隔除霊」ですね。これは除霊対象者とこちらが遠く離れている場合に「遠隔」でも「浄霊」「除霊」か出来るとするものです。
ですが、ハッキリと申しますと、これはデタラメです。「遠隔」で「除霊」などそうそう出来るものではありません。
 かなりの力の持ち主が「応急処置的」に極々、稀に出来ますが、それでも成功率は低いんですね。
これも、「整合性」がどう考えても取れないです。「矛盾」だらけですね。
 簡単に言いますと、お医者様と患者さんが離れ離れの状態で手術をしようって言ってるもんですからね。基本、出来る訳がないんですね。これは、遠方にいる依頼者を確実にお客に引き入れようと考えた結果ですね。除霊師たちは基本的に依頼者と直接お会いしないと事が出来ませんから、必然的に遠距離のお客様は獲得しずらいですから、このような「遠隔」でも「除霊」が出来ますなどと言っているんですね。
 本物の「力」の持ち主でも成功率は低い事を、そこら辺の除霊師に出来る訳ありません。もしくは、やはり「偽物」でしょう。




 私、ミズハが以前友人に連れられある「タロット占い師」の元を訪れた時の事、(友人が一人では行けないとの事でしたので付き添いで行きました)その、タロット占い師がいうにはあなたの「運」が悪いのは今あなたに「生霊」が憑いているからと言われ、その「邪気」を払う方法を「教える」ということでした。
 ほう、タロット占い師が「邪気」を払うとは珍しいと思い、少しワクワクしながら見守っていました。
その占い師はおもむろに、パワーストーンを持ち出しこのパワーストーンを手に持ち「九字切り」を突然行い、これで、「邪気」は払われました。ですがしばらくすると、また「邪気」がまとわり付くのでこのパワーストーンで先ほどのように「九字切り」を行えば大丈夫ですといって、そのパワーストーンの購入を勧めました。

 結局、友人は高額なパワーストーンを購入しました。
はい、私が言いたい事はお分かりですね。「タロット占い師」が何故「九字切り」を行うか?です。
 当時、私は唖然とした状態で見守っていました。結局、パワーストーンを「売りたい」だけなんだと気付き、友人を止めようと思ったんですけど、もうすでにその友人はそのタロット占い師の言った事を信じ込んでいましたので止める事もままならず・・・。
 結局、そのパワーストーンは今となってはホコリをかぶっている状態です。友人も今は、結婚もし、幸せな家庭を築いています。

当時、私が期待したのはタロットに「払い」という「技」「行為」があるんだ~と思い、興味津々で見ていたわけですが。私の、知らないタロット占いの秘術、秘技の類がもしかしたら、存在するのかも?と期待したわけですが、結果はあまりにも、「稚拙」なものでした。

タロットの発祥は諸説ありますが、大きく分けると「ヨーロッパ説」「エジプト説」の二つになります。
 ヨーロッパ説は元々、タロット占いは「貴族」たちの「お遊び」という扱いでした、エジプト説は「ジプシー」たちがタロットを用いてゆく先々の旅路の「危険」や旅先での「吉凶」などを占う事から発展したようです。しかもカードを「象意」として捉えることが大切と言われていたようです。なので、「エジプト説」が本当か?「ヨーロッパ説」が本当か?は一度横に置くとしてエジプトのジプシーたちがタロット占いに「ある種の原理」を見出そうとしていた事はうかがい知れるので、原理的に考えたらエジプト説を押します。


「九字切り」とは知っている方は知っていると思います、「臨 兵 闘 者 皆 陣 烈 在 前」を唱えながら「九字」を「切る」か「印」を結ぶ事によって「護身」を得るというものです。
 
余談ですが、 皆さんが知っている「九字」は実は実戦で使う事は出来ません、いつの時代でも「本物」は「口伝」または「密語」によって伝えられてきました。現代に伝わっている「九字」は肝心な部分をあえて「抜いて」いますので、実戦では使い物になりません。

このように「タロット占い師」が「九字切り」を行う事に「整合性」が取れていない事は明白です。
 東洋で発達した「九字」とエジプトもしくはヨーロッパで発達した「タロット」を何故一人の「占い師」が出来るのか?不思議でなりません、その、原理が不透明なタロットと本物の九字を知らない者が「思い込み」「自己満足」「成り切り」「低い人間性」で「占い師」になるとこうなりますよ、っていう例でした。



長々と、今回も長文になっちゃいましたね。とても今回だけで言い尽くした訳ではないのは毎回の事ですが、私が言いたいのは、一人で複数の占法を持つ事が悪いと言っている訳ではありません。
 そこに正当な理由があれば別段問題はないんです。

占い師とは複雑な占法を複数持つ事が「専門的であり」「プロ」であると間違った認識の元占い師を行っている方たちが大変多いと思われるからそれに対しての、ある種の警鐘を鳴らしたかったのです。
 本当に「腕」のある占い師は不必要に占法を持ったりは致しません。
現代占い師はもう少しこの辺りの事に「わきまえ」がいるのではないでしょうか?




2014.04.16(Wed):占い
え~、今回のテーマは「商業化してしまった占い」です。
 昔と違い今は各業種の商業スタイルも多様化し、同じ業種でもそのスタイルは様々あります。
文明、文化が進化、進歩すれば更なる変化がある事でしょう。
 そして、それは占い業界も例外ではありません。ですが、「占い」「占い師」の「本質」は変えてはならないものでもあります。
 例えば、近年増加傾向の「電話占い」です。何も「電話占い」が悪いと言っているわけではありません。
何が問題かと言いますと、「電話占い業者」です。ただのお金儲けとしか取れない営業内容です。
 私、ミズハも以前電話占い業者に登録しようと思い資料を取り寄せたところ、「出来るだけ電話を長引かせてください」とか「優しい語り口調で接してくれたら、リピーターになりやすいですよ」とか完全に占いを「商業化」してお金儲けの魂胆見え見えな業者ばかりです。
 また、これにほいほい登録する占い師にも困ったもんです。
勿論、其仙流でもリピータの方が電話で相談して来る事ももあります。ですが事前にお互いの人間関係が出来ていますからさほど問題ではありませんし、時間を長引かせるような行為はいたしません。

 「占い」とはビジネスであってビジネスでない所も多分に含みますので、現代の「電話占い」の業者は問題だと思います。確かに、「電話占い業者」も「電話占い師」も生活するために「お金」は必要です。
 だからと言って、あまりに「商業化」に走り過ぎるといつの間にか「利潤追求」がただの「金儲け」に成り下がり結局それは「人格」とは遠く離れたものになります。
 
 後、雑誌、テレビ、占い本なども、占い師として「本物」か「偽物」かではなく、「売れるか、売れないか」で判断されます。こういった状況が現代の占い業界の混沌を招いた大きな要因の一つです。

 お金儲けが悪いとは言いません。ですが占い師にせよ業者にせよもう少し「わきまえ」がいるのではないでしょうか?

ブログを通じ何回も言っておりますが、これは現代人特有の「平和ボケ」が原因の根底にあります。
 多少、きつい言い方をすれば、現代人の「悩み」の多くは貧しい国に行けば何故それが「悩み」なのか、分からないような事を悩やんでいたりします。
 占い師にしても、その占法、占いスタイルは貧しい国に行ったら全く通用しませんよって言いたくなるものも沢山、存在します。現代の「観相」「シーターヒーリング」「透視」「霊視」「前世占い」等々、貧しい国、人たちは「今」を生きるのに精一杯なんです。そんな、記憶にも無い「過去」や遠い「未来」の事を言われてもどうしようもないんです。

 どのような、「時」「時代」「状況」でも通用するのが本来の「占い」です。
現代の占い師たちはこの辺りをわきまえていない方が大変、多くまた、占いをビジネスとする業者も同じく、わきまえが必要と思います。

この5000年、およそどの時代でもどの国でも「占い」というものが無くなる事はありませんでした。
 戦後の日本でも一時的に占いは「禁止」の空気がありましたが、世の中が落ち着きだすと「占い」は世に出てきました。それは何故か?やはり「運勢学」は人をより良く生きて行く道を示すことが出来る学問だからです。

 前々から、我々、其仙流が申し上げていますが、これ一つ取っても遠くない将来「運勢学」は遊びの延長に甘んじるか無くなるかのどちらかの道を辿る根拠に成り得ると思います。

 相談者の方々、占い師の方々、どうか「運勢学」「占い」を遊びに過ぎないように・・・。
2014.04.09(Wed):占い
易学、う~ん私ミズハはこの、易学が大変大好きな学問の一つです。
 諸説ありますが、約5000年前に三皇五帝の一人伏羲、によってその基礎が出来。
文王、周王親子によって卦辞,爻辞が加えられ、孔子によって十篇の書物に編纂され、それを「十翼」と呼びます。
 
 勿論、歴史上、出て来なかっただけでこれ以外の先人、賢人たちの研究、論などにもよって現在の形が出来たものと思われます。
 易学はこの世に数多ある占法の中で、運の原理、原則を説いている、数少ないまさに「運勢学」と呼ぶにふさわしい学問です。恐らくは、これより、以前に運の法則、この世の理を説いている学問は無いのではないでしょうか?
 
 現代の易者は易には何かすごいものがある、何故か易は当たるんだよね、易はとても深い学問だけど難解な所もあって大変難しい、などこのような声をミズハもよく耳にします。

 先ず易とは何なのか?ここを間違うとすべてが間違っていくので説明すると、易とは「陰陽論」を以ってこの世の理を説いているんですね。
 ん?「陰陽論」は分かるけど、「五行論」は?と思う方もいるでしょう。其仙流においてはですけど、其仙流は「陰陽論」と「五行論」を分けています。
というのも、「五行論」に実体が無いと思われるからで、まだ「五行論」を否定してはいませんが「陰陽論」とは分けて捉えています。
 「陰陽」は確実に視覚的に認識できますね、例えば男性、女性とか、昼と夜とか感覚的、視覚的に捉えれるわけですが、「五行」の木火土金水を感覚的、視覚的にもちろん捉える事は出来ますが、この木火土金水の巡りがこの自然界、人間界にどのような「変化」を及ぼしているかを説いている書物に出会ったこともないですし、そのような事を言っている方にもお会いした事がございません。この一番大切な部分は「五行大義」にも記されておりません。
 おそらく、当時は一種の学論ブームでした、それに便乗してこの「五行論」を世に広め学派としての名誉、力を誇示したのではないでしょうか?そして、易学と非常に理論上相性が良く矛盾が生じにくい事も手伝って現代の「陰陽五行」が出来たのでは?
 私、ミズハはこの論を強く勧めます。(まだ、ちゃんとした根拠が少ないので完全否定ではありませんが)


脱線しましたね。とにかく易とは「陰陽論」なわけです。「陰、極まって陽と成す。陽、極まって陰と成す。」この変化の流れを説いているわけです。
 これが後に「人」の「運勢」にも深く関わっていると気付き、現在の「易占」が出来た訳です。
そうなんです、「易学」はそもそも「占法」ではなかったんですね。
 それと。易学のすごい所がもう一つあります。それは、「哲学」としてもかなり優れた学問であるという事です。
現代の我々が知らず知らずに使っている、故事、ことわざの多くが易学を出典としているものが大変、多くあります。

 
 で、近年の易者のここが間違ってますよ!という事を述べていきましょう。

①筮竹の繰り方,占筮の間違い
②観念の間違い、概念の間違い
③六十四卦の解釈の間違い

以上の三つがよく見かける、易者の易に対する誤認、誤解、間違いの点です。もちろん、これ以外にもありますが取りあえずは上記の三つを今回は上げてみました。

①筮竹の繰り方、占筮の間違い。
え~、易占で使う占具は最低三つです。
 ・筮竹
 ・筮筒
 ・算木
最低、この三つがないと占えません。このブログでは動画を載せる事が出来ないので何とも説明が出来ませんが現代易者の誠、大変多くの方が筮竹の繰り方を間違えております。まざれば良いんじゃないの?と思うかもしれませんが、実はダメなんですね。ユーチューブなんかでもよく、易者が筮竹の繰り方を動画で流しておりますが、未だ正しい繰り方をしている易者を見たことがありませんし、街易でもお会いした事はありません。
 
 後、易者によってはサイコロを使って卦を出す方も多く見受けられますが、これも間違いです。
サイコロを使っている易者の多くがサイコロで卦を出そうが筮竹で卦を出そうが同じだと主張しておりますが、そもそもこんな事を言っている易者は人生の先輩であろうが、業界の先輩であろうが、まだまだ深く易を理解していないと言わざるを得ません。
 残念ながら、サイコロと筮竹では出る卦に多きな違いが出ます。ただし、簡単な事柄(例えば、明日赤色の自転車を購入したらよいのか?白色の自転車を購入したらよいのか?とか食事は喫茶店がいいのか?レストランがいいのか?とか)ならサイコロでもさほど誤差は出ませんが、人生の悩み、人生の岐路、人間関係、仕事の悩みなど込み入った事柄になると、筮竹で卦を出さないと正しい卦は出ません。


後、易道具の「筮竹」「筮筒」「算木」の三つの中で最も、どれが易占を行う上で大切でしょうか?
 恐らく、多くの易者が「算木」を一番に上げると思いますが、実は「筮竹」です。その次に「筮筒」です。
一番最後、というか実はいらなくても良いのが「算木」なんですね。
 昔は、「心の算木を以って占いなさい」と言っていたほどで、算木は場合によっては相談者の方も易を知っている場合があるから、下手に卦を出して、勝手にあれこれ思われたらいけないとの事で、「筮竹」と「筮筒」のみで易占を行っていた易者もいたそうです。

 「十翼」の中の「繋辞伝」にこういう一文があります。「易に太極あり、これ両儀を生ず。両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず。」とあります。
 これは、まさに易の「原理、原則」を説いたもので、占筮を行う時もこの手順を踏まないといけません。
筮竹をまぜて、次に一本取りますね、この一本が「太極」です。この一本を入れる筮筒が「宇宙」です。そして残った49本をまぜて、二つに分けます。これが「両儀」です・・・。

 このように、正式な占筮法はちゃんと易の原理、原則に則って行われるものです。ここで中々難しいのが筮竹をまぜる行為なんですが、手先の器用、不器用もあるでしょうが、私も昔、師匠から教わってこれだけを毎日練習させられました。現代易者の多くが「自己流」で筮竹をまぜております。この、筮竹をまぜる行為一つ取っても大変、意味がある事を現代易者は理解していないので「自己流」で行ってしまうのですね。
 このように、サイコロで易占を行う場合、「太極」が取れないので正しい占筮手順になりませんので、簡単、単純な事柄は別に構いませんが、本気の悩みなどに対しては正しい卦は非常に出にくいものになります。
 よって、易占を行う時は筮竹、筮筒が最も大事で算木は別段無くても構いません。


②「観念」の仕方、概念の間違い。
 これは、易に限りませんが例えば其仙流の「無相」でも「観る」前に「何を観るのか?」という事を「観念」します。
易では筮竹をまぜる前の段階で(要するに一番最初の段階)この「観念」の状態を踏みます。
 動画サイトなどでよく見るのがこの「観念」の段階で「天に祈り」を捧げますとか、「心を無」にしますとか色々言われていますが、どれも間違いです。「観念」とは今から何を観るのか?が全てです。
 易に限りませんが、現代占い師のこういう、「自己流」が間違いの元になっています。


③六十四卦の解釈の間違いです。
 これは、このブログでも何回も言っている通り「運勢」とは絶えず「変化、流動」しているものですから、「運勢」を観る時は必ず「動的」に観る、捉える事が何より肝要です。
 現代版易六十四卦の解釈は「固定的」に書かれているものが大変、多くあります。
これでは、折角の易を正確には使いこなせなくなります。
 「易学」は「原理、原則の法則性」を説いたものですから、自然と各卦が「流動性」を帯びます。
ですが易の本を一般書籍化する時、読者が難解に読んでしまいやすいため、このような「固定的」解釈が定着したのでしょう。
 
幾つか例を挙げてみましょう。

・天水訟の場合
 現代版六十四卦の解釈は「訟」は裁判、訴訟を指すから、近々、裁判沙汰、訴訟事が起こります。とか書いている本がありますが、全部、間違いとは言いませんが解釈を「固定化」しすぎです。

本卦を出したら大事なポイントは二つです。天水訟で言うならば「天水」と「訟」の二つです。
先ず「天水」はこの本卦の原理を説いています。詳細な説明は省きますが「天」と「水」はお互いが交わらない特性を持っていますから、無理に融合しようとなると「反発」が出来ます。
 次のポイントは「訟」です。「訟」の意味は争いですから。
簡単にまとめますと、「人と交わるものの融合出来ない状況、考えがあるが「和解」「和」を保つ、尊ぶ事が肝要である。」
 と、まぁ、例えばですけど、このような解釈が出来ると思います。


・雷風恒の場合
 現代版六十四卦の解釈は「変化なき生活」=つまりは「結婚」であると解釈している本もあります。
「恒」の意味が「常」「いつも一定している様」という意味ですので「変化なき生活」と思うのかもしれませんが、これも間違いです。

 「恒」は先ほども述べました通り「常」「いつも一定している様」ですから、これは「変化なき」ではなく「たゆまず」という意味です。
 「雷」と「風」は逆に「いつも一定していない」特性がありますから、例えば、「不安定な道でも正しいのならたゆまず進むべし」
 という解釈でしょうか。

このように、「卦」の解釈は「流動的」に変化していくものですから、相談者の相談内容によって占い師の返答は当然変化していくものです。
肝心なことは、各卦の原理、原則を知り、その上で象意を知り、相談者の相談内容によって変化を捉えながら解釈していくものです。 



後、「断易」「五行易」というものを耳によくしますが、「断易」「五行易」共に全く同じものであります。
この「五行易者」の中に「私は周易」を致しません、「五行易」のみです。と言われている易者や「五行易」がもっとも優れた「易」であるという易者もいらっしゃいます。
 
 まぁ、それぞれ皆さん自分の考えはあると思ますが。「易」はこの「易学」が出来て有史以来全部で三つ存在します。①連山易
②帰蔵易
③周易

と、以上三つです。「連山易」「帰蔵易」はすでに「焚書」によって失われ、現代は「周易」のみ伝わっています。
 で、ここで四つ目にこの「五行易」を持って来る易者がいますが、「五行易」はあえて言うならば「周易」の下に配属されるものであって、「連山易」「帰蔵易」「周易」と続いて四つ目に「五行易」を上げるものではありません。
 「周易」と「五行易」を深く理解した上で両占法を比較すれば分かります。
これは彼の、加藤大岳先生も仰っています。


 今回はとりあえず、ここまでと致します。これで「易学」の全てを言い尽くせたものではありませんが、「易学」は大変大変、難しく、奥が深く、玄妙な学問ですので、正しく、理解していきましょうね。
2014.04.08(Tue):占い
中々、いつもとは趣向が違うテーマを今回は取り上げてみようと思います。
 これを、読めば現代の占い業界への系譜が少し理解できると思うのと同時にその実態が見えて来ると思います。

科学VS運勢学、う~んとてもわくわくして来そうなテーマですが、実は実は悲しいテーマです。

 運勢学と科学、どちらが先にこの世に誕生したのでしょうか?
それは、ズバリ運勢学なんですね。元々、運勢学という学問は当時の最先端科学でした。
日本においても伝来した時は国がこれを管理、監督し選ばれたエリートのみにそれを伝え研究させたのです。

運勢学は後に「心理学」を生み「科学」を生み「天文学」を生み「暦学」を生み様々な「文化」を創造した、大いなる学問です。
 本質的には運勢学と科学は実は隣り合わせのような関係で非常にある意味近い存在なんです。
私、ミズハは運勢学と科学が手と手を取り合いお互い切磋琢磨して、繁栄してほしいと思います。

 が、いかんせん、全員とは言いませんが現状は占い師は科学を見下し、科学者は占いを見下し、お互いがお互いを否定的に捉えている状況です。

科学者のいけない所は、簡単です。否定的に検証している限り無理だということです。
 現代科学を以ってしても運勢学や特殊能力の検証は大変難しいでしょう。それなのに、始めから「色眼鏡」で検証しても真実は出て来ません。
 つまりは、「否定のための否定」をしているのです。
深く、思いに描いてみて下さい、創造してみて下さい。
 現代科学を当たり前に捉えている我々がそれまで全くの原始的な生活をしていたとして、今の科学をまるで魔法か、神の贈り物とでも思ってしまうのではなでしょうか?

 我々、其仙流は「運勢学」=「易」を言います。(勿論、易だけではありませんが、主にと言う意味です)
「易学」は約5000年前に三皇五帝の一人、伏羲によってその基礎が出来ました。
 5000年前には今のように、科学は無く、インターネットもない、ましてや電話、パソコンも無い時代です。
そのような時代に伏羲はどうやってこの世の理を理解出来たのでしょうか?まさに、偉大な存在が介在したのか、伏羲がとてつもなく天才だったのか、今はそれを知る手掛かりは残っていませんが、この偉大な学問が出来たのは紛れもない事実なんです。
 
 5000年前に出来た「易学」は、まだ文明が未熟だった当時、最先端な科学であったという事は、疑問の余地を挟まないのではないでしょうか?



 で、現代占い師はと言いますと。科学などでは運勢学を検証など出来るものかと言っている占い師も沢山いらっしゃいます。これはこれで、もう一つ運勢学を深く理解出来てない占い師の主張です。
 「運勢学」=「神秘学」とはき違えています。
科学で検証できないのは「運勢学」は神秘の世界、神の領域、人知を超えた領域だからと言っているのです。
 確かに、人知を超える部分ははありますが、「運勢学」は神の領域でも、神秘の世界でもありません。
「易学」にも書かれていますが、「陰陽、交わり萬物生ずるはこれ、物質である」と言ってます。
 つまり、「現実的」なものであると言っているんですね。
ですから、神秘とか神の領域と言うなら、まさにこの「陰陽、交わり萬物生ずるはこれ、物質である」という法則そのものが神秘であり、神の領域ではないでしょうか?

私、ミズハは間違っても「運勢学」=神秘の世界、神の領域とは思えません。


現代科学も、運勢学もまだまだ未熟な部分が多分にあります。
 科学は決して万能ではありませんし、運勢学も万能ではありません。
出来れば、遠くない将来お互いが歩み寄り、より良い関係を構築してほしいと願います。



 それと、どちらかと言うと占い師側が科学者を否定している節が見受けられます。
それは、ある種のアレルギーとでも言いましょうか、科学でこの高尚な学問、特殊能力を検証、証明出来るわけは無いと思っているのです。
 実は、占い業界が漠然といつの間にかこのような風潮になった原因が過去の日本にあります。
実は、過去の日本において科学的に特殊能力を検証してみようと、本気で実験した事があるのです。当時はかなり社会的に話題になり、一種の社会現象にもなったほどです。


 この、実験の中心的人物は「福来友吉」氏と言います。福来氏は岐阜県高山市の商家に生まれるが、商人になる事を嫌い学問に志した。1899年(明治32年)東京帝国大学 哲学科を卒業、同大大学院で変態心理学(催眠心理学)を研究、1906年(明治39年)「催眠術の心理的研究」で文学博士号を授与、1908年(明治41年)東京帝国大学 助教授に就任。

 御船千鶴子のケース
1910(明治43年)かつての教え子から、熊本に御船千鶴子という「千里眼」と言われる透視能力者がいるという話を聞き、事前に行われていた実験結果の報告を福来氏は聞いていた。
福来氏のまわりから、もっとレベルの高い実験を勧められ直接、福来氏が実験を行う事になり、予想外にも好結果であった。が、マスコミやその他の研究者の目前での実験を繰り返すうちに千鶴子の能力に「ブレ」が生じ始めた。
 不的中なら非難され、的中なら詐欺を疑われ、強い疲労と、心労、能力低下に悩んで千鶴子は自殺をした。

 長尾郁子のケース
1911年(明治44年)頃から千鶴子が起こした「千里眼ブーム」に乗って、自称超能力者が台頭しだしたがその中に郁子もいた。能力的には当初、千鶴子より劣っていたが対面して透視を行えた為、詐欺の疑惑を受けにくいと判断された。東京帝国大学 山川健次郎氏が透視と念写の実験に訪れ、福来氏がオブザーバーとして立ち会う事になった。
 しかし、郁子は少しでも疑われたり、邪念があったりすれば精神統一が出来ないと実験に条件を付け学者の反感を買った。郁子の超能力を疑う学者の中から一方的に「透視と念写は全くの詐欺である」と報道陣に見解を発表、郁子は以後、実験を全く拒否し二か月後に病で急死。

 
1914年(大正3年)9月に「透視と念写」という著書を福来氏が出版。
学長であった上田萬年氏から10月に呼ばれ、「東大教授」として内容的に好ましくない行為として警告を受けたが、透視も念写も事実であると主張して東京帝国大学を追放処分される(公的には休職)
以後、福来氏が取り上げた人物も「イカサマ」「ペテン師」と攻撃される事となった。




当時、透視や特殊能力を社会的に受け入れる心の準備が出来ていなかったのでしょう。このような悲しい出来事を我々占い師は決して忘れず心に留め、正しい占い師のあり方を考え続ける必要があるでしょう。
 

この、明治、大正の事件は世間に広く取り上げられその他の占い師の知る所でもありました。
が、この時の千鶴子、郁子の最期、そして福来氏の社会的扱いの酷さを痛烈に皮肉り、それが「過剰的な科学否定」を生む切っ掛けとなったのです。
 要するに、当時の心ある占い師たちが当時の否定的立場の科学者やマスコミが千鶴子、郁子の死を招きそれを証明しようと努力した福来氏までも社会的抹殺を図ったとして、科学者に対して特殊能力や運勢学を科学如きが証明出来る訳ないと皮肉ったのです。

 これがいつの間にか、「運勢学」=神秘の世界、神の領域、という考えに繋がったのです。
勿論、これ以外にも原因はあったでしょうが、そもそも、「運勢」とは「微かなもの」です。
それを、衆人観衆の中で実験をし当たれば詐欺を疑い、はずれると嘘だと非難されては福来氏、千鶴子、郁子の気持ちはいかばかりだったか・・・。

 


それと、少し余談ですが、マスコミと言えば、現代の占いを扱っている雑誌、出版会社、テレビ等、各メディアにも現代特有の良くない原因があります。
 それは、本、雑誌にしてみれば、その占い師が「本物」か「偽物」か本の内容が「本物」か「偽物」かより、「売れるか」「売れないか」で判断される事です。
 
 メディアは「真実」を取り扱わなければならないのではないでしょうか?
確かに、「売れる本」「売れる占い師」は「利潤追求」という意味においてとても大切です。
 ですが、今の「メディア」は「大義」が無いように感じる時が大変、多くあります。
これも、現代の占い業界が混沌とし、混迷を極めている大きな原因の一つです。
 心ある、メディア関係者はいなものでしょうか?

ですが、これもやはり突き詰めれば原因は「占い師側」にあるでしょう。
 もう一度、「運勢学」を深く勉強し直し、自己の人格を作り。科学と歩み寄れるよう・・・。


2014.04.07(Mon):占い
え~、大変心苦しいのですが、またまた「九星気学」を取り上げてみようと思います。今回は「九星気学」の歴史認識というテーマで話を進めてみようと思います。
 ネットでもこの「九星気学」の占法が多数を占めていますね。
本当に驚きです。この「九星気学」が歴史認識も原理、原則も正しいならこれほどすでに、世に広まっているのですから、その相談者や社会に対する貢献度は凄まじい事でしょう。
 ですが、残念な事に「九星気学」の原則、原理は元から破たんしております。

大体、どこの「流派」「占い師」も「完璧」ではありません、これはもちろん其仙流においても同じ事が言えます。
 ですが、元からある正当な「九星術」の原理、原則をここまで捻じ曲げ、全くの「別物」に仕上げたという意味においては「九星気学」の罪というか創始者の園田先生の罪は重いと言わざるを得ません。

ネットに限らず雑誌などでも気学鑑定士が徳川幕府が「九星気学」を元に政治を行っていたとか、国作りを行っていたとか、これは、もう疑いようがない事です、などと本当にビックリする事を述べています。
 「九星気学」は江戸時代に存在しておりません。
「九星気学」創始者の園田先生は1924年にこの「九星気学」を世に出しております。

自分の占法の創始者の歴史も分かっていない者が「占い師」などをしてはダメだと思います。
 人格云々の以前の話です。
これが、例えば何千年もかけて紆余曲折を経て現代に残る占法なら多少の歴史認識の誤差はあるでしょうが、たかだか100年にも満たない占法の歴史認識をここまで歪曲するとは、これは故意にしているのかと疑ってしまっても仕方無いでしょう。

江戸幕府が「九星気学」を元に国作りなどを行っていたという「九星気学鑑定士」の言い分は、「天海大僧正」がこの「九星気学」を使っていたと言っております。
「天海大僧正」は実在の人物で確かに徳川家康の側近の一人でした。
 ですが、先ほども述べましたが「九星気学」の創始は1924年です。「天海大僧正」のお亡くなりになったのが1643年です。
 え~この281年の開きを「九星気学鑑定士」たちはどう説明するのでしょうか?
それと「天海大僧正」は天台宗の僧です。占い師でも風水師でもありません。

 これだけ取っても「九星気学」に正当性、根拠は無いのは明白ですが。
他にも上げればキリがありませんが、もう一つ例を上げてみましょう。
 
 
古代中国、三国時代において最大の戦の一つと言われた「赤壁の戦い」初戦の戦の中ではかなりの大規模な戦であったようです。
この戦の構図は曹操率いる魏が朝廷の勅命を得て、蜀と呉を攻める形です。当時の曹操は朝廷の丞相でしたが実質は曹操が牛耳っていたようです。つまり、曹操は当時とてつもない軍事力を持っていたのです。
 
 このままでは蜀も呉も風前の灯、そこで蜀の諸葛亮孔明は呉国と同盟を結ぶ事を劉備に進言します。
孔明は蜀の使者として呉国に赴き、同盟の約定を結ぶため呉を説得に行くわけですが。
 呉国の意見は真っ二つ、古株の武将、文官の多くは「降伏論」を、若い武将、文官は蜀と同盟を結び「交戦論」を唱えたのです。
 ここで、呉国の大督であった周瑜が仮に蜀と同盟を結び魏の曹操に対抗するとしてどのように攻めるのか議論したところ「火責め」を孔明は進言します。
 ですが、この時期は季節風の影響で風は北西から南東に吹き、南東から北西に攻め入る呉国にとっては不利な状況でしたが、孔明は周瑜に私が必ず南東から北西の風を起こすからと約束し同盟を結ぶ事になりました。
 そして見事、孔明は南東の風をお越し「火責め」を成功させ「赤壁の戦い」は蜀、呉連合軍の勝利で幕を下ろします。


話しが長くなりましたね、この孔明が行った南東の風を起こした術こそが何を隠そう「九星気学」であると言っている「気学鑑定士」がいらっしゃいます。
歴史を曲げるにもほどがあると思いますが、ここまで来たら逆に気持ち良いものすら感じますね。
 何度も言いますが「九星気学」の創始は1924年です。三国時代、「赤壁の戦い」は208年です。
1700年ほどの開きがありますが、このような主張をされている「気学鑑定士」は自分が恥かしくはないんでしょうか?いずれは、ばれるような「嘘」を言ってどうするんでしょうか?

このように、「気学鑑定士」は自分たちの占法に「権威」「正当性」を持たせるため歴史を歪曲した節が多数存在します。
 心ある「気学鑑定士」は素直に非を認め自分たちの「気学」をもう一度、研究し直し「修正」しなければ、将来「九星気学」は滅ぶ事になるでしょう。
創始者の故、園田先生を偲ぶ思いがあるのならば。
2014.04.05(Sat):占い
え~、かなり際どい領域の話ですね。
 出来れば避けたいお話ですが、そうもいかないようです。
ここ数年、神社巡り、お寺巡り、聖地巡りなどのツアーなども組まれ「神様」という存在が以前より身近に感じられますね。そういう、意味でしたら大変喜ばしい事と思います。が、どうも近年「神様」の捉え方や「信仰」の捉え方を勘違い、しておられる方々が一般にも大勢います。
 この、「神様」という存在を其仙流も完全に正しく理解、捉えているわけではありませんが、このままでは「古き良き文化」も失われかねない状況ですし、間違った「信仰」の仕方もまた蔓延しております。何より「オカルト占い師」「霊感占い師」たちが現代のニューカルチャーになってしまった、このある種の「神様ブーム」とでも言いましょうか、神社巡り、聖地巡りなどを「焚き付け」更なる間違った認識を広めている原因となっています。

 
 先ず、「神様」は存在するのか?しないのか?大変難しい問題です。
以前、私は「信仰」は大切であると述べました。「信仰」とは己以外に自己を生かしてくれている存在を認め、「感謝」する行為です。そういう意味であるならば、「信仰」は「自己を高める行為」にも成り得ますので「信仰」は大切であると言ったのです。
 そういう意味で申し上げるとするならば、「神様」は、いるのか?いないのか?ではなく「いると思っていた方が良い」という事です。

 「神様」「信仰」を間違った認識をしている方達からよくこんな事を耳にします。

「先日、神社の奉納演舞の一般参加に参加して来ました。」
「おごそかに、事も進み神聖な空気がその場に満ちているような気になりました。」
「演舞が終わった後は、まさに、心の中が光と愛に溢れかえっていました。」

え~、奉納演舞をしても心の中が光や愛で満る事はありません。このような方は「神様」「信仰」を何か勘違いされています。「神様」「信仰」をどう捉えるかは「自由」のある程度、範疇ですが何でも有りはちょっとどうかなと思います。
 確かに「信仰」は突き詰めると、そこに「自由」がないといけません。「宗教」となるとこの自由が阻害されるので以前、このブログで「宗教」はどうかな?と言ったわけです。それでも「宗教」に入るなら古来から続くものがよろしいと思います。
 少し脱線しましたね、現代人の「神様」「信仰」の捉え方は非常に「人間に都合が良過ぎる」「必要以上に美化しすぎ」「無いものねだりの上乗せ」等々、ちょっとそれが「神様」のあるべき形なの?それがあるべき「信仰」の姿なの?と思ってしまう事がしばしばあります。
 
 一昔前は、「神様」「信仰」=オカルト、陰的、身近な人にはばれたくない、霊感商法、などでしたが、現代はむしろ、積極的に「神様」「信仰」を自分の考え、思考、モラル感、人生観などに取り入れる風潮が見受けられます。
 それ自体は全く問題ではありませんが、どうも偏りがあったり、理解不足すぎたりと、困った状況であります。
「癒し系占い師」がこの間違った路線を大体言っております。

 これの、原因は「癒し系占い師」「オカルト占い師」「霊感占い師」以外にあるとするなら、「現代人の平和ボケ」です。時代によって「神様」「信仰」の形は変わっても、その本質は普遍的でありますから、このようなやたら「愛」「光」「慈愛」「偉大な存在からの導き」など感じる訳ないんですね。
 それは、ある種の現代人の「エゴ」に近いものです。
 
ですが、長い人生の中で、まさに「神の導き」を感じたり、本当に苦しんで悩んで目標を達成した時ふと偉大な存在の「愛」「慈愛」などを感じたりする事もあります。その正体は結局のところ分かりませんが、そのように感じたならば「自分は生きているだけではなく、生かされている」と思って、「感謝」の気持ちで日々を暮したら良いのではないでしょうか?
 ただ、それだけで人生の視点はかなり良い意味で変わって来るものです。
そこに、必要以上の「愛」だの「導き」だの「光」だのを持って来ると、「現実」から少しずつずれていきます。
 このように「神様」「信仰」を曲げて理解している人は「頭が飛び抜けて良い」「理屈で考えすぎる」「ある程度今の自分やその生活にゆとりがある」このようなタイプの人が大体、多いですね。
 もちろん、これ以外にも様々なタイプもあるんでしょうが・・・・。

この、「神様」「信仰」の問題は大変「宗教」との関わりもあり誠、難しい問題です。
 ただ、ある程度、確信を突いたお話をすると、「神様」は基本的に「個人」に直接、何かをしてくれるような存在ではありません。もし、直接その力を貸してくれるとするならば、「一生懸命生きてそれでも苦労をされている」者にそっと助け舟を出してくれるのです。それも奇跡に近い事ですから並みの苦労と努力では中々ダメでしょう。

 日本人は「神様」という存在を「一番上」に置いている民族と言っても過言ではないでしょう。
えっ?「神様」以上の存在がいるの?と、不思議に思うかもしれませんが、実は中国とかでは色々な説、解釈、考え方がありますが、「神様」は崇める対象ではあるが、人間に何かその力を貸してくれるような存在ではないという考え方があります。場合によって人間にその力を以って奇跡を起こす存在は中国では「仙人」を大体、指します。そして、その「仙人」が死んだ後、「神様」になるのだと考えられています。死んでしまった元「仙人」の「神様」は直接、人間と関わる事は無いので、生前の労をねぎらう意味で崇め奉られるんですね。
 あと、中国の古代哲学の中に「神や天より道が最も上」だという考え方もあります。
これは、老子、荘子、などもこの考え方を支持しています。と、いうかこの考え方の大元が老子であったようです。
 ちなみに私、ミズハもこの考え方を支持します。
と、いうのも依然「神様」はどのような存在なのか「無相」で観たところ、「神様」であっても「物理法則」は曲げれないと観えたからです。老子の言っている「道」とはある種の法則を説いています。つまり、「神様」であっても「物理法則」は自由自在に曲げたりは出来ないんですね。
 ですから、「神様」より「道」が上だという老子の考えは正しいと思います。

またまた、話しが脱線しましたね。
 現代人が「神様」「信仰」を歪曲して理解しても一体何が問題なの?と、思うかもしれません。
まぁ、確かにそう思うでしょうが、実は大きな落とし穴に知らず知らずのうちに落ちてしまうんですね。
 これは、現代人の全員がという事ではありませんが、「運勢学」と同じで「神学」もまた非常に難解な学問でもあり、我々、占い師が取り扱っている「運勢学」とある意味で近い学問ですから、これをある程度しっかり理解して自分の中に修めようとするならば、非常に高い人間性、人格が本来、求められます。
 この人格がもう一つ出来上がっていないものが「神様」「信仰」を説いてしまうと場合によっては、それがよかれと思ってやった事でも、知らずのうちに相手を傷つけたり、不快な思いにさせてしまったりします。
 厳しい言い方をすれば、「無知は罪につながる」と昔から言いますから。
自分は、「神様」「信仰」に精通している者だと思っても、実は往々にして間違っている事が大変多いです。
「生兵法は大怪我の元」とも言いますから。

何も、このような状況を招いたのは一般の「夢見る夢子ちゃん」ばかりではないと思います。
 住職、神官、宮司の方々ももっと、積極的に正しい「神様」「信仰」のあり方を発信すべき時ではないでしょうか?
このまま、行くと将来「信仰」の形や「神様」のあり方がその本質まで変わってしまうような気がしてなりません。
 まぁ、これまた日本中の住職、神官、宮司たちがと、言いませんが。
住職、宮司たちですら、「神様」「信仰」のあり方がもう一つ分かっていない方達も多くいるようですが・・・。
 
2014.04.04(Fri):占い
前回、観相学編で伝えきれなかった事を、今回は述べようと思います。
 現代観相学に多大な影響を及ぼした方は江戸時代中期に活躍された「南北相法」の創始者「水野南北」先生でしょう。
多くの観相学者が南北先生の相法を、実戦で本当に役に立つ相法として挙げられています。

ですが、其仙流において、南北相法は非常に実践的でないとの判断でその立場は非常に低い立場に置いております。
これは、南北先生個人の人格をどうこう言っているわけではありません、「南北相法」は実戦的ではない、実戦においては通用しないと言っているだけですので、誤解されないように。

「観相学」ひいては「運勢学」を一般の方々にも身近に感じられる切っ掛けを作った一人として、ある一定はその功績を其仙流も評価しております。が、いかんせん「観相」の「原則、原理」を南北先生は深く理解をしておらなかったようです。その、南北先生の相法を元に勉強、修練を積まれた多くの現代観相家の多くもこれまた、「観相」の「原則、原理」を理解していない事になります。

まず、南北先生の提唱されている「節食開運説」なる開運法ですが、中々一理ある所もありその全てを否定するわけではありませんが、これは「開運法」では絶対ありえません。一種の「健康法」です。
 南北先生のこのような個性的というか奇抜な発想が、ある種の説得力を持たせる一因となったのでしょう。

お次は、「画相」ですね。以前少しだけこの、「画相」を取り上げましたが、今回は少し深く説明しないといけないようですね。「画相」とはあまり、耳に馴染みが無い方も多くいらっしゃると思いますので、ちょっと説明しましょう。

「画相」とは人体(特に顔)に現れる「画」を観る占法です。例えば顔の中に、人の姿が現れたり、仕事場、友人、家族、などなどその人の実際起こった現象が「画」となって現れるのです。「そんな怪奇現象みたいな事が本当に現れるのか?」という方も多くいらっしゃると思いますが、本当に現れます。

 そもそも「画相」は「観相学」で言うところの「氣色」がそのような形を以って現れる現象です。しかも現れた「画」をしっかりと捉える事が出来たら100%の確率で当たります。が、残念ながら基本「過去」しか観えません。良くて「現在」までです。「未来」は観えないんですね。もし「画相」で「未来」が観えるなどという観相家がいたら恐らく「偽物」か「腕が無い観相家」か「思い込みの激しい占い師」のどれかです。

 これは何回かこのブログでもお伝えしていますが、「観相学」に限らず現存している「占法」「観方」「占い師の概念」などなど多岐に渡り「運勢」を「流れ、変化」で捉えていないために「過去、現在」しか基本観れないんですね。要するに「運勢」を「固定的」に観ようとするから「未来」が観えて来ないんですね。
何故か?それは、[未来は決まっていないから」、「運勢」は「変化、流動しているから」です。

手相においては、手のしわ、丘、など、人相においては各部位(鼻、目、口など)は「麻衣相法」でももちろんありますが、それはほんの、補足程度に取り扱っています。大事なのはどこまで行っても「感じ」が肝要だと「麻衣相法」には書かれています。以前にも言いましたが「分析」「当てもの」をしたいなら南北相法でも十分ですから、その範疇で占いをして頂ければいいんですが。「未来」も南北相法で分かると言っておられる占い師は深く「観相学」そのものを理解していないと言わざるを得ません。
 確かに、南北相法だけでなく、それ以外の「観相法」を以ってしても「未来」が当たりましたと言われる方もいらっしゃいます。ですが当たるには当たるが、はずす時はメチャクチャはずすと「曖昧で不安定」な結果にトータルした時に思うはずです。
 ですが、一度当たったと思ったらその占い師は当たった事ばかりを吹聴し「はずした」ことはどこ行く風です。
「曖昧で不安定」なものでどうやって相談者の「役」に立ったとおっしゃるのか・・・。

このような、占い師が巷に溢れかえっているせいで、この業界がここまで混沌とし、「運勢学」「運命学」は今や地落ちてしまっている状況です。

いつの時代にも「本物」は時代の影に隠れ「偽物」は世に蔓延るという事でしょうか。
 そして、今の時代に「占い師」を仕事としている人口の多い事、これは世界人口の増加も関係はもちろんありますが、この「平和ボケ」した日本のある意味良くない「体質」「国民性」とでも言いましょうか。
 「占い師」への憧れ、願望が,本来とても難しい学問であるはずなのに、こうも簡単に体得、出来る変な世の中ですね。

本来、「観相学」に限らず「運勢学」「運命学」は大変難しい学問です。この学問を正しく理解する為には先ず、高い人間性が求められるのです。そして本物の師の下で勉強、鍛練を重ね、現場に出てたまに「はずし」お客様に怒られ次第に「腕」のある占い師に成長するのです。
つまり、「下積み」がいる訳ですけど、現代占い師はこの「下積み」をちゃんと経ていない方が大変、多く見受けられます。大体が「師」すらいないという占い師も沢山います。
 そして、「本物」の「師」はそう~~~簡単には出会れません。

 現代占い師の皆さんに言いたい・・・、その占法は本当に正しいのですか?あなたは人格ある言動ができていますか?お客様に嘘を言っていませんか?そして何より、その占いは一体誰のための占いですか?
2014.04.03(Thu):占い
今回は、夢占いを取り上げてみようと思います。
 ズバリ、「夢占い」は存在するのかしないのか?
いきなり答えですが夢占いは残念ながら存在しません。ですが、歴史はかなり古く、紀元前からあり、日本だけではなくギリシア、中東、古代インディアン、中国などなど世界各地で、夢占いの記述が確認出来ます。
 旧約聖書でもヨハネが夢占いを行った記述があります。
 

そこで、「何を以って夢占い」かと言いますと、皆さんの認識している夢占いは、夢で見た事を夢占い師に判断してもらうのが夢占いと思っているのではないでしょうか?
 そのような夢占いは「嘘」または「偽物」です。
本当の夢占いとは、相談者の悩み、聞きたい事を「夢占い師自身が寝て、相談者の悩みなどの成否を夢に観る事」です。
私も、世界中の夢占いを知っている訳ではありませんが、恐らくこれ以外に夢占いは無いものと思います。
 少なくとも、現代の夢占い師が行っているような、「相談者の夢を起きた状態でその成否を判断する」ような事は間違いなくありえません。要するにそのほとんどが「偽物」です。

ただし、「正夢」という現象は本当に存在します。
 ですが、この夢占いについては、世界中にその記述があるのに、その「原則,原理」が全く分からないのです。
ですから、夢占いは「神のお告げ」だ、などと言われています。
 ミズハ個人は夢占いは「神のお告げ」ではないと思いますが。その「原理、原則」が分からないので検証も出来ません。
ですが、ずっと以前私の若い時に数回、ある「夢観」にお会いする機会がありまして、その「原則、原理」を少しお尋ねしたところ、「あまりにもそれは難しく、難解でとても言葉だけでは伝えれません」と言っってその内容はお教え頂けませんでした、そしてこうも言っていました「恐らく、この技はあまりに難しく、これを継承出来るものは私が最後であろう」と、その言葉通り数年後に誰にも継承されず、その「夢観」はこの世を去りました。

 私もこれ以降、本物の「夢観」に合う事すら叶わず現在に至りますが。
昔、お会いした「夢観」の方も言っておりましたが、夢のほとんどは「意味のないもの」であると言ってました。これから先、科学がもっと進んだら夢の謎も解明出来るかもと言っておりました。
私、ミズハも「無相」で観たらやはり「夢は現実的な影響は極稀」と観えました。

 これからも、少しずつ夢については研究していきたいと思っています。
ですが、「夢診断」や「相談者の夢を起きた状態で判断」するような夢占い師はほとんど偽物です。

まぁ、簡単に言ったら基本「夢に根拠は無い」、です。
 怖い夢を見たからとか、縁起の悪い夢を見たからとかは気にしないのが一番です。
悪い夢は気にせず、良い夢は覚えておく、が一番です。
2014.04.02(Wed):占い
我々、其仙流の言わんとしている主張はなかなか皆さんが驚くことが多いと思います
 それが、良い意味でまたは、新鮮な気持ちで、其仙流の主張を理解して頂けるなら幸いですが、占い師や一般の方々からすると、「そんな事、ありえない」と思われる内容も多分に含んでいますから、一種の「拒否反応」が出ることはある程度、否めません。ですが、このブログ、ホームページ、書籍、などで発言している事は、将来、「加筆、修正」する事はあっても恐らく、「訂正」はありません。
 我々は、観相においては「麻衣相法」を継承しその1600年の間、常に研究、検証を繰り返し行ってきました。方位学においては、その源流は4000年以上経ちます、その間も同じで研究、検証してきました。
 
 占法だけでなく、「運勢学」や「占い師の人格」「占い師の心構え」また、「相談者の占いに対しての間違った前提」などにも至り、現代の占い師や相談者はもう一つ深くそれぞれを理解しておりません。
 「運勢学」は本当に「人の人生をより良く出来る学問」です。占い師一つ取っても、様々なお立場の方がいます、「偽物」「詐欺師」「オカルト思考」「神秘思考」「自分は本物と思っている占い師」「人間性は良いが占法が間違っている」「人間性は出来ていないが占法は合っている」等々、占い師だけでもこのように込み入った状況です。
 
 相談者はと言うと、「神秘思考」「オカルト思考」「夢見る夢子ちゃん」「漠然と尋ねても占い師は具体的に答えてくれる」等々、これまたひどい状況です。

 このような状況を招いた原因は「占い師」に本来、ありますが。今のこの状況を見たら占い師だけにそれを求めても中々時間がかかります。ですから、其仙流は占い師、相談者の両方に今の占い業界の是正を求めることにしたのです。

 どの道、このままでは近い将来、「運勢学」は遊びの延長か、無くなります。それを招いているのは今や「占い師」「相談者」の両者であります。

「運勢学」について、古書にはこう言われています。「之れ、妄りに人に教えるなかれ」と書かれています。
 これは、「運勢学」とはとても難しく、およそ人が腹を据えて取り掛かっても結局、中途半端な理解しか出来ず「運勢学」をダメなものにしてしまうから、妄りに教えてはいけないと言う意味です。
 「占い師」に最も大切な要素は「人格」であります。非常に高い人間性が先ず、最初に求められます。ここに、先ずは重きを置き、勉強、鍛練、研究をしていかないと、「運勢学」を「深く」理解出来ません。

そして、相談者の方々は「占い」を「遊び」に過ぎず、真面目に「活用」して頂きたいです。相談者の中には勿論「遊び」で占いを、捉えていません、とおっしゃる方もいるでしょう。

 よく、こんな相談者がいますが。
ミズハ「何をお聞きしたいですか?何かご相談ですか?」
お客様「はい、え~と」
ミズハ「ハッキリ聞きたいことが無くても、構いませんよ。漠然とした質問でも構いませんよ。」
ミズハ「その場合、時としてこちらのお答えする内容が漠然となる場合もありますが。」
お客様「いえ、聞きたい事はすごく具体的です」
ミズハ「そうなんでね、分かりました。ではどんなお悩みですか?」
お客様「え~と、恋愛運です!」
ミズハ「・・・」
ミズハ「でっ?恋愛運の悩みですか?」
お客様「はいっ!」
ミズハ「・・・ ・・・」
ミズハ「ですから、恋愛のどんなお悩みですか?」
お客様「ですから、恋愛運です!!」
ミズハ「・・・??? あのー、今誰かに片思いしているとか、誰かとお付き合いしているとかではないんですか?」
お客様「はい、そんな事はないです。」
ミズハ「すいません、それは恋愛運を漠然と聞いているので、もしかしたらこちらも漠然と観える場合がありますが、そ
    れでも構いませんか?」
お客様「ハッ?いや、具体的に質問していますが、どうして漠然と答えるんですか?」
ミズハ「それは、貴女の質問が漠然としているからですが・・・」(このあたりから、お客様は私を怪しんきます。この占い師もしかしたら偽物かしら?と)
お客様「ですから、私の今後の恋愛運を具体的に聞いているんですが?」


と、まぁこのような客様は日常茶飯事です。相談者本人は具体的に質問しているつもりなんですが、実は全然、具体性を欠いているパターンです。このようなお客様には大きく分けて二つに分かれます。

①本格的なまたは本当の占い師に対しての「質問の仕方が分からない」
②自分の人生を真剣に生きていない

大体、このどちらかになります。
①の原因は現代占いに「分析占い」「当てもの占い」があまりに蔓延しているからです。「分析占い」「当てもの占い」は基本、相談者の「具体的な質問、悩み」などは必要ありませんから。

②の原因は簡単な話ですが、自分の人生を一生懸命に生きてない方です、言葉通りです。または真剣に生きている「つもり」なんですね。

何度も言いますが、「開運」はその人の「人間性の成長」「正しい人格の構築」が「絶対条件」です。
 漠然と質問してくるお客様は「運を貰おうとしている」から運の良い時は良いが、悪い時はとことん悪いんですね。
まるで、「答えが先の未来で待っている」かの質問をしてきます。(いつごろ結婚出来ますか?とか)

「運」とは相談者自身が「悩み」「努力して」「知恵を使い」「成長」などなど、して手に入れて行くものですから。我々「指南者」はどう「成長したら良いのか?」「どのように知恵を使えば」「どう、この危機を乗り越えたら良いのか?」などをアドバイスしていくのです。

厳密に「占い師」とは「指南者」を言います。それが現代では「当てもの占い」「分析占い」なども正当占いに勘違いされています。「当てもの占い」「分析占い」に限りませんが、「オカルト占い」「神秘占い」「ヒーリング。癒し占い」などなど、多数ありますがこれらの占いは全部「指南者」の「付属」にすぎません。
 「占い師」とは「指南」が出来てなんぼ、要するに相談者の「お役」に立てて初めて、その存在価値があります。

よく、「黙って座れば、ピタリと当てる」などと、喧伝されている占い師をあちこちと見ますが「即神即相」の実体、威力、玄妙さ、奥深さ、発動出来る条件、などなどを知らない、理解出来てない占い師がこのような事を喧伝するのはいささかお恥ずかしいというか、お粗末というか、ミズハの大先輩にあたる占い師(其仙流ではありません、他流ですが懇意にお付き合いさせて頂いている)の何人かの占い師もこのような喧伝をされています。

 皆さんが「自分こそは本物」「自分こそは一流」などと思っていますから、困ったもんです。
本当に本物は自分から喧伝したりは基本しません。何より、本物かどうか?、一流かどうか?は自分で決めるものではありません、お客様が決めるものです。

 だからこそ占い師は何より「高い人格」が求められるのです。
 


 
2014.04.02(Wed):占い
今回は「間違った認識を改めよう」ではありませんが、私、ミズハが継承しています、「其仙流」の「運勢を観る事に特化した透視法」の「無相」について説明しようと思っております。
 
 「透視」のコーナーで述べましたが、「透視」と言ってもいくつかの種類があります。
全部でいくつあるのか、詳しくは其仙流でも把握しておりませんが、一般的に知られている、もしくは、占いに用いられている「透視」は大別して恐らく三つであると思われます。

①画像透視(場面、シーンを観る能力)
②霊視(霊性のものを観る能力)
③「運勢」を観る事に特化した「透視」(無相)

これ以外にも実は、様々「瞳術」は存在します。ですが一般的に知られている「透視」は上記に上げたうちの①と②の二つでしょう。
 問題は③の「運勢を観る事に特化した透視」です。世界中の「透視法」を私も知っている訳ではありませんが、十中八九「運勢を観る事に特化した透視」は「無相」しかないものと思われます。

「透視」のコーナーでも申しましたが、画像透視、霊視、ともに「運勢」を観る事は不可能です。
これは、画像透視能力者、霊視使い、ともに「過去」「現在」「未来」を私は観えますなどど喧伝している方をよく聞きますが、それは「未来」を観ていると思い込んでいるか、または「嘘」をついているかの基本どちらかです。
 
 さて、この「無相」なる透視法ですが、実は遙か古の時代から恐らく存在しておりました。何を隠そう、彼の「麻衣相法」の創始者、麻衣仙人も恐らく「無相使い」であったと思われます。(当時、「無相」という呼び名ではありませんでしたが)
 其仙流の門外不出にあたる部分が多分にありますので、詳しくは述べれませんが「無相」の創始者は恐らく麻衣仙人であった節があるからです。

 
 さて、「無相」の原理ですが簡単に言いますと、「氣色」を観るわけですが、「観相」の「気色」とほぼ同じだと思っていただいても構いません。基本的に光るか光らないかで判断していくわけですが、「観相」でいうところの「印堂」(眉間の少し上あたり)に意識を集中し「観念」をしてその成否を「光の流れ、変化」で観るわけです。時に「色」も出ていきますし、「画像透視」のような現象も出ます。そして「透聴」と言って突然「言葉」が降りて来たりもしますが、基本的には「光の明暗」で判断します。

 「無相」の優れているところは「運勢」を観れる事は何度もお伝えしていますが、人の「気持ち」が分かる、場合によっては不可能を可能に出来る道が観える、などがあります。
 これらの事は「画像透視」「霊視」には基本、不可能です。
逆に「無相」にも弱点があります。「無相」は「未来」に通じる流れが観える能力ですから、逆に「過去」を観るのが場合によって苦手です。例えば「落し物」や「探し人」を探すとなると観える時と観えない時があります。
 「無相使い」にもよりますが基本、「無相」を以って「落し物」「探し人」などを観るにはかなりの経験と修練が必要です。


「無相使い」は今まで、どの時代にもただ一人のみしか存在しておりませんでした。其仙流はその一子相伝の垣根を取っ払い、この混沌とした占い業界に一石を投じる為、「無相」を一般に「開伝」しております。
 誰でも、気軽に学ぶことが出来ますし、基本的な事は数ヶ月でマスター出来ます。それ以上学ぼうとしたら、覚悟がいりますが。まぁ、何事もプロになろうとしたら、覚悟はいりますからね。
 
 以上が其仙流の「無相」の説明です。まだまだ伝えきれて無いところもありますが、皆さんもちょっとは「無相」を理解出来たのではないでしょうか?
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