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2014.03.29(Sat):占い
ここまで、「九星気学」「姓名判断」「透視、霊視」「風水、方位学」「陰陽師」「パワースポット」「前世」「観相学」など八つの「占法」を上げて、いかに一般の皆さんや占い師たちが、その前提が間違っているか、または理解不足、勘違いか少しは分かって頂いたのではないでしょうか?

このブログで述べた事は将来、「修正、加筆」する部分はあると思いますが、基本的に「訂正」はありません。
 それほど、我々は長年に渡り研究してきた自負があります。これは、我々、其仙流に「無相」があるため先人たちも研究が進んだものであります。「中身があるように見せて実は中身が無い」「奥義が有るようで実は無い」という占い師がはびこっている状況です。また、そのような占い師は「頭でっかち」「過度な理論思考」「激しい思い込み」がよくあります。
 我々、其仙流は我々の主張が正しいかどうか、誰でも判断出来る、長年、秘中の秘にしておりました「無相」を開伝いたしました。これを以って其仙流はその主張の「正当性」を訴えている訳です。
 

 このブログを読んで頂いた方の中には、内容によっては気を悪くされた方もいるかもしれません。ですが、何度も申し上げている事ですが、現代の占い業界はまさに「何が本当で、本物か分からない」ほど混沌として混迷を極めています。 この貴重な「運勢学」がこのままでは、遠くない将来無くなる可能性が非常にあるので、この状況に一石を投じ、このような「本物が偽物扱い」をされ偽物、素人がプロ顔負けの言動をしている事を、もうこれ以上、放置出来ないのです。ですが本物がどう正しい事を主張しても少数ではやれる事もたがが知れています。
 そこで、このようなブログを通じ相談者の皆様や一般の方々に正しい知識を付けてもらい、お客様自身で占い師を正しく選択出来るきっかけをと思い、このようなブログを通じ活動している訳です。
そして、これから占い師になろうとか、現役占い師にも出来るだけ正しい知識、占法、理解をして頂きたいのです。
 

 ここまで、市民権を得た「占い(運勢学)」ですが、実はかなり「現実的」「科学的」であるんですね。
確かに「人知を超える」事は確実に存在します。ですがそれは、往々にして皆さんが思っている事とはちょっと違うんですね。これから、どれくらい未来かは分かりませんが、今より「科学」「医学」などが、もっと進歩、進化すれば、我々のこの業界の謎ももっと解き明かされるでしょう。

 



はい、ここから中間まとめに入ります。
今まで、占法別で歴史認識、知識、方法,概念、等の誤りを指摘して来たわけですが、「観相学」のコーナーでも言いましたが、「占い」を行う時は「静的」「動的」見方の二つがあります。
「静的見方」を「陰法」、「動的見方」を「陽法」と言います。これも現代占い師の多くが知り得てない事です。
今までの多くの占い師達は「陰法」によって人の「運勢」を観ようと試みてきました(多くの占い師達はそのような意識自体無いでしょうが)その結果「曖昧」に終わる事が非常に多いのです、それもそのはず「陰法」は過去もしくは良くても「現在」しか観えないからです。「過去」を観る方法で「未来」を観ようとするから、結果が「曖昧」になるわけです。「当たる時は当たるが、はずれる時ははずれる」事になるのです。
 確かに「陽法」でもはずれる事もありますが、そもそも「未来」は決まっていませんから、はずれるにしても「はずし方」があるのです。

巷の占い師や一般の方々がもう一つ曖昧に捉えている「運」とは「宿命(先天的運)」「運命(後天的宿命)」「運勢(運自体の流れ)」以上三つに分けて考えれます。
過去や先天的運、先天的属性を観たければ「宿命」を観たらいいわけです。要するに「当てもの占い」または「分析占い」をすればよいのです。ですが、人は「過去」には戻れません、前に向かって前進あるのみなんですね、そうなってくると「過去」にこだわるより「現在」を観た上で「未来」を「指南」する方が最も大切ではないでしょうか?と、なると最も「占い師」が重視しなければならないといけないのは「運勢」という事になります。
 それも、「動的(陽法)」で観ないといけません。「運」とは絶えず動き、変化をしているからです。それを止まっているような観方、または凝視しても「運」の動的、動きは一生かかっても観れませんし捉える事は非常に難しいです。
 
 これらの事は「運勢」を直接「観る」事が出来る「観相」「運勢を観る透視」の占い師達は気を付けなければいけない所です。「観相」も「氣色」の中に「動き」を捉えないと「止まって見える」からです。「運勢を観る透視」も基本、画像で「運勢」が観えるわけではありません、これも実は「氣色」を観ているわけですが、ともすれば気を付けないと凝視したりするので、気付かずに「過去」「現在」を観ている事に陥ってしまいます。「運」を流れではなく、止めて観てしまったらそれは「陰法」になります。

そして、「三才」の説明でも述べましたが「天運」「地運」「人運」の三つの中で人が「生きていく」という意味で大切なのは「天運」「人運」と言いました。中でも「人運」は場合によっては「天運」を凌駕する事もあるので、さらに厳密に言いますと最も大切なのは「人運」と言う事になります。

余談と言うか補足ですが「地運」は「陰法」か「陽法」かと言われれば「陰法」です。「天運」は「陽法」です。「人運」は人によっては陰になったり、陽になったりしますが我々占い師は「陽的」生き方を「指南」によってアドバイスするんですね。「天運」「人運」はより良く生きて行くには「動機は善でありながら、一人一人それぞれ、温度をもって生きて行く」という事なんです。「地運」はその役割からして「天運」「人運」と違う立場にあります。「天」からのエネルギーを「地」が「受け」そこに「人」が繁栄するので、「地」の役割は「受け皿」なのです、無くては困りますが、基本的その役割は「そこに居れば良い」です。要するに極端にいいますと「人間が前向きに生き、他を尊重しながら、開運する」には「天運」と「人運」の二つの要素がいるんです。何故かと言いますと「天運」と「人運」には「産み出す力」があるからです。「地運」は直接人間の「開運」には関わらないんですね。

 「運勢学」に限らずですが、事「陰」と言われるもの、もしくは「陰」に属するもの(陰法、地運、地なども含め)を多くの占い師達は正確に理解しておりません。人間が生きていく上で「何が陰で何が陽なのか?」これはまた次の機会に説明するとして、前向きにそして自己を高めながら生きていく事において「陽的」に生きる事が何より大切で「陰的」にいきても何の「開運」もありません。
 それくらい、「陽的」生き方は人を大きく成長させたり、人生を充実して生きて行くにはとても大切なんですね。

そして、我々占い師がある意味最も大事な事は相談者を「開運」に導かないといけないという事です。そこで「開運」とは?これまた、多くの占い師達が曖昧に認識しているところですね。
 「開運」とは「人間性の成長」なんですね。これ無くして、そもそも「開運」はありえないんですね。


以上、これらの事をまとめますと。
①「占いの本質」とは相談者を「開運」に導く事である。
②それは相談者自身の人間的成長を「指南」する事である。
③それには、相談者の「現在」を観た上でどう成長すれば良いかを「指南」するのである。
④そして、その「運勢」を観るに当たっては「動的(陽法)」に観る事が肝要である。

そして、これらの事を出来る占い師になるためには。
①何より大切なのはその、人格、人間性である。
②正しい「占法」と「知識」を身に付けなければならない。
③一生、「学ぶ」姿勢が肝要。

「本質的に正しい占い師」になるためにはこの、三つに集約されるでしょう。
お金儲け主義、嘘ばっかり、詐欺占い師、オカルト思考、このような占い師はもちろん論外ですが、実は今の混沌とした占い業界の状況のもう一つの込み入った原因の一つに、占い師自身が、自分の占法、知識などを成否出来ない事があげられます。つまり「自分の占法や知識を真実だと信じて疑わない」また、「疑問や違和感を感じるがそれを確かめる方法がない、もしくは知らない」これらが複雑に絡み合い、まさに現代の占い業界は「入口もどこか分からないが、出口はさらに分からない」といった状況です。

 今、まさに待った無しの状況であります。「占い」「運勢学」「占い師」「指南者」をそろそろ見直し、本来あるべき「道」に軌道修正する時が来たのではなでしょうか?

 このブログを観て、今まで疑問があった一般の方々や心ある占い師の一助となる事を願っております。


 

 

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2014.03.28(Fri):占い
今回も少し「占い」とは主旨が違いますが。お口直しな意味でパワースポットを取り上げてみようかと思います。
 それと、風水、方位学編のコーナーでも伝えきれなかった部分とも重なる所もありますので。

近年、パワースポット巡りが流行っていますね、昨年は出雲大社、伊勢神宮などの遷宮で皆さんも知っていると思います。何もパワースポットは神社に限らず、火山で有名な場所とか、お寺、湖、富士山を代表に有名な山などがあります。
 私が言いたいのは「何を以って」パワースポットなのか?です。
よく、その手のサイトや雑誌、一部メディアでも言われている、パワースポットには「不思議なパワー」があるとか「神聖な場所には霊気、霊力が溢れている」からそのパワーを巡る事によって「良い力」をもらって「運気を上げよう」と、まぁ、簡単に言ったらこのような宣伝、説明、理解をしていると思いますが。
 基本的にそのような現象は起こりません。ただし、確かに場所によっては一時的にせよ「氣」を上げる効果はあります。ですが、すぐにまた上がった「氣」は下がります。ですからあまり意味はありません。

 パワースポットと言われる場所の歴史を調べたり、知識のために勉強がてら、または観光で訪れる事は全然構わないんですが、そのような場所に行ったところであまり「ご利益」は望めないんですね。
 ただ、私の個人的な意見ですが人は「信仰」を持つ方が良いと言う事は言えると思います。ですが「新興宗教」は如何なものかと思いますが。「信仰」とは一人一人、個人個人で行うものであります。何故か?それは「信仰」は集団で行うものではないからです。集団になると、組織化され「しばり」が色々出て来ます。これが本来の「信仰」の形からずれていくので、宗教に入るなら日本の神道とか仏教または、道教、儒教、キリスト教など、古来から連綿と続いているものが良いでしょう。古来から長い時代を超えても存在するものにはちゃんと理由があるからです。
 ですが、このような古から続いている宗教でも最近はその分派を名乗るような悪徳宗教もありますから、気を付けましょうね。ですが、「信仰」の本質の姿は「個」で行うものであるともう一回付け加えておきます。
  
 話が脱線しましたね。「信仰」という意味合いにおいて、パワースポットなどに出向くのは別として。そもそも、「ある場所」に行ってその場所の「氣」をもらって自分の「氣」を高めるという行いは「方位学」に関する事柄です。伊勢神宮、出雲大社の遷宮も方位学の思想からきております。

 ここから前回、風水、方位学のコーナーで伝えきれなかった所に突入しますが。
「方位学」の原理、原則は「易」から来ていることは以前にもお伝えしましたが、この「易」の中に「三才」というものがあります。「三才」とは「天」「地」「人」で、皆さんも言葉くらいは聞いた事があると思います。
 この「三才」を現代の方位学者、風水師達は、もう一つ理解しておりません。
現代方位学は知ってか知らずか「三才」の中でも「地」だけしか取り扱ってないんです。だから発生する「氣」のパワーが弱いんですね。
 それぞれの役割を、簡単に説明しますと。

・「天」=天運を表します。
・「地」=地運を表します。
・「人」=人運を表します・

素人にはこれだけでは、中々どうも、分かりませんね。また、「易」を勉強されている方にはこんなことはもう知っている事ですね。それでは「天運」「地運」「人運」がそれぞれどういったものかは知っているんでしょうか?
 様々な占い師達が色んな考えを言っていますが、どれももう一つ的外れな考え方ばかりです。
其仙流においても、「天運」「地運」「人運」のそれぞれの役割、あり方、立ち位置などは説明出来ますが、それを詳しく述べていたら一冊の本が出来てしまうので、それはいずれの機会にでも・・・。
 簡単に例えると「料理」で説明しましょう。

レストランで貴方はスパゲティを注文しました。そのスパゲティは綺麗なお皿に盛りつけられ目の前に運ばれて来ました。とても、美味しそうです。
 今、まさに貴方が食べようとしている、その「スパゲティ」が「天運」です。そしてそのスパゲティが乗っている「お皿」が「地運」です。そして、そのスパゲティを食べようとしている「貴方自身」が「人運」です。
 
 ここで、ピンと来た人もいるかもしれませんね。何故風水や現代方位学にあまりパワーが無いのか?「地運」は「お皿」ですから、極論、そもそも無くても良いものなんですね。別に紙皿でもアルミホイルでも構わないんですね。
 その、つつかなくてもいい所ばかりを研究している、現代方位学にパワーがなくて当たり前なんです。

人(人運)は食物を摂取しないと生きていけません、そのためにご飯(天運)を食べる訳ですが、その時のお皿(地運)は何でも良い訳です。

 現代の占い師達はまだまだ勉強不足なところを否めません、「天運」は「宿命」だとか「人運」は「人間関係」だとか色々言われる占い師達もいます。あながち全部が間違っている訳でもありませんが「天運」は「宿命」だからもう変えようが無いと言われる占い師もいます、確かに「宿命」は変えようがありませんが「天運」は「宿命」だけを帯びているわけではありません、ちゃんと「人」が「介在」出来るものなんです要するに「天運」は「変えれる部分がある」ものなんです。

 「地運」は「運命」である、などと言われている占い師もいらっしゃいますが、「地運」は「運命」ではありません、以前、別のコーナーでお伝えしましたが、「宿命」には大きく分けて二つに分けれます、一つは「先天的宿命」もう一つは「後天的宿命」です「先天的宿命」とはこの世に生まれ落ちた時に背負うもので、「親」「環境」「家柄」などがそれに当たります。「後天的宿命」とはこの世に生まれ落ちた後に「ある種の因果律」を踏んでしまったのが原因で未来に起こる「宿命」を「運命」と言います。この辺は「運勢学」でもかなり難しい所でもありますから、一般の方々は知らなくても当たり前かもしれませんが、占い師がこれを知らないのはかなり問題だと思いますが。

「人運」も「人間関係」だけではありません、簡潔に言いますと「人運」は「自家発電」ですから「人間力そのもの」または「人格」を言います。「天」「地」「人」がそれぞれこの社会で、現実で、人生でどの位置に、どのような時に、どのような場面で現れるのか、存在するのかをもっと深く理解しないといけませんね。
 

他にも、「三才」に関しては色々な説明が出来ますが、これで少しは理解出来たのではないでしょうか?
 そもそも、「地運」は「天運」と「人運」と比べ全く異なった役割なんです。これも詳しく説明しているとかなりの長文になるので簡単に説明しますが、「地」は受け皿的役割なんです。親子関係で説明すると、父親が天、母親が地、子供が人として、幼いころは母親(地)の教育、愛情などが必要不可欠ですが、やがて社会人(人)になると父親(天)の存在がものをいいます、いきなり立派な社会人(人)になるわけではありませんから、それを父親(天)から学ぶのです。そして子供はやがて立派な大人に成長するのです。
 子供(人)が一度社会に出ると、母親(地)の役割は変わります。子供(人)は失敗を繰り返し時に父親(天)に相談し成長していくわけですが、その時、母親(地)はそっと、さりげなく子供の成長を「見守る」役割に転じていくのです。
 有事の際にはまた、母親(地)の役割も出て来ますが、基本、社会人になると子供(人)は父親(天)の背中を追いかけるものです。
 つまり、およそ人が「生きていく」のに必要なものは「天」「人」なんですね、さらに厳密に言いますと「人」が最も大切なんです。「地」はそこに「有れば良い」ものなんです。確かに無くては色々不都合もありますが、基本的にそれ以上どうしようもないものをいくら一生懸命に改良、改善しようとしても、ほとんど効果は上がりません。
 ですが、中にこのような事を言う方もいらっしゃいます。「風水で出世が出来ました」とか「風水で会社が軌道に乗りました」とかいわゆる「成功例」ですね。
 これは簡単な話です。先に述べましたが「三才」で最も大切なのは「人」であると、このような成功者は知らず知らずのうちに「人」のパワーを上げていたからです。
 成功したのも風水と基本、関係ないんです。それに風水や現代方位学の言う成功例は「すでに成功している人」を対象にしている「節」があります。風水や現代方位学にその「本質」「威力」「効果」があるなら、例えば就職難で困っている大学生たちを「開運」に導いてからそのような事を言っていただきたいです。

 結局、説明が長くなりましたが、パワースポットと言われる場所は「三才」で言うところの「地」にあたるので、皆さんが思われているほどの効果はないんですね。
 ですが、そのような場所で「心の静養」を取る事は大変、有意義だと思います。だからと言って、あまり「オカルト」「神秘」に過ぎると「本質」からずれていくので、気を付けましょうね。
2014.03.26(Wed):占い
今までとはちょっと、毛色が違うテーマですね。陰陽師とは・・・
 ですが、占い師の中に「私の家系は元々陰陽師の出です」とかこのような類の事を言う占い師が大変、多いので今回取り上げてみようと思います。
 
 まず、皆さん「陰陽師」は日本産でしょうか?それとも中国産でしょうか?これは中々難しい問題です。それは何故かと言いますと、厳密に言えば呪い(まじない)をするような陰陽師は中国には存在しないからです。そういう意味で言ったならば「陰陽師」は日本産と言えるでしょう。ちなみに私、ミズハは「陰陽師」は日本産と思いますが。
 元々、中国では「諸氏百家」の中に「陰陽家」という門派がありました。「諸氏百家」とは、中国の春秋戦国時代に現れた学者、研究者、学派等の総称です。ちなみに「諸氏」は老子、荘子、孔子・など人物を指し「百家」とは需家、道家、法家などの学派を言います。「陰陽家」はその学派の中の一派です。
 「陰陽家」は陰陽論と五行論を研究していた学派で「呪い(まじない)」とか鬼から人々を守る日本版「陰陽師」みたいな事は一切行っておりません。
 ですから、「陰陽師」は日本産と言う事になります。
それでも大元は中国の「陰陽家」がその発祥だと言われる方もいますが。「九星気学」の」コーナーでも述べましたが、「原則、原理」を曲げたらそれは、もう別物なんですね。
 よく、自分の家系が陰陽師だとか言われる占い師達は自分のそのバックボーンを背景にし占い師であることに、ある種の説得力を「故意に持たせようとしている」節が見受けられます。陰陽師の家系というのが本当ならある程度は仕方ありませんが、そもそも、「陰陽家」は占いの類はしておりませんから、そのバックボーン自体、実はかなりあやふやなものですが。(厳密に言えば陰陽家は占い行為をしてはおりませんが、中には個人的に占いをしていた方もいたでしょう。ですが、陰陽家はあくまで陰陽論、五行論の「研究」が主目標であったので、占いをする一派ではありませんし呪いをする一派でもありません)
 

よく、霊能者や祈祷師、または住職、僧侶、神官、宮司などの聖職者が「占い」をするのを見たり、聞いたりします。
 その逆で「占い師」が「お祓い」「お清め」等をしたりすこともよく聞いたり、目撃したりしますが。
そもそも、これがこの業界が住み分けが出来ない理由の一つです。
 厳格、厳密に言えば「占い」と「お祓い」は別物同士ですから、これらを一緒に行うのはお門違いです。簡単に説明すれば、「車」のレーサーと「バイク」のレーサーがこれを同時に行っているようなもんです。
 探せば、中にはちゃんと両方の資格を取得して両方のトレーニングをされた方もいらっしゃるでしょが、基本的には違うもの同士ですから、これで良い実績を残すのはかなり骨だと思います。
 これと同じで、「占い師」は「運」を専門に扱い、「神官」「住職」「祈祷師」達は人々の心の「信仰」と場合によっては「穢れ」を払い、これらを専門に扱うべきです。
 
 決して「占い師」が「お祓い」や「お清め」をしたり、「神官」「住職」「祈祷師」達が「占い」をするのがダメだと言っているのではありませんが、一つを極めるのでさえかなりの勉強、修練、人間性、時間などがいるのに、かなり難しい学問を二つも掛け持ちするのは結局中途半端な使い手になるだけだと思います。 

 ちなみに私の属しています其仙流も一応「お祓い」「お清め」などもしますが、ちゃんと「運勢学」の勉強、鍛練とは別に「そっち系」の修業、修練、鍛練もします。
 確かに、ある意味両方とも「直結」はしませんが「間接的」に横の繋がりはありますので、ある程度は仕方ないですが、「餅は餅屋」にしておくべきだと思います。
 
 
2014.03.15(Sat):占い
今回のテーマは手相、人相学です。元々手相、人相学は観相学と言う一つの学問の中に修められていた学問で後にそれぞれが独立した流れを持ちました。観相学は実は東洋だけではなく、実は西洋にも観相学はあるんですね。
ですが、東洋の観相学は観相の中に「運勢」を捉えているのにたいして西洋の観相学は観相の中に「心理学」を捉えていて、それぞれの観相学は基本的に全く違うものと言っても過言ではないようです。
 歴史は大変古く約4000年以上前から中国では盛んに観相学の研究がされていました。現代でも多くの占い師が観相を行っていますし、また相談者も人相、手相は聞いた事が普通にあると思います。
 其仙流でも麻衣相法と言う大変歴史のある観相術を継承しております。

今回は現代の手相、人相、観相のどこが間違いなのか?を述べたいと思っています。
 人相、手相、観相は今やとてもすごい数の方法論、占法がありますので、歴史や各流派、占法のあれこれは、またの機会にさせて頂きますね。
 
と言うわけで本題に入ります。
 ここで其仙流から言わせていただきます。「運勢」を観れる占法は実は基本的に運勢の観れる「透視能力」か「観相」しかないんですね。
 その他の占法、例えば四柱推命、算命学、九星術、易、などなど他にも色々ありますが、これらの占法は直接「運勢」を観ている訳ではありません、あくまで計算、統計、見立てなどで「運勢」を「測っている」に過ぎません。
 
 この「運勢」を「直接観る」という行いは大変占い師にとって(特に指南者にとって)重要なんです。
「運勢」を直接見ない事にはその流れや機微が判断つきません、つまり細かいアドバイス(指南)が出来ないんですね。
 観相学はそれほど極めればすごい威力があります。

 ですが、現代の手相、人相を行っている占い師は観相学の根本をもう一つ理解しておられないようです。
以下の点が現代の観相学者の問題点です。

①顔の部位(目、鼻、口など)ばかりを見ている。
②手のしわばかり見ている。
③悪い箇所ばかり見て良い所を見ていない。
④結果、分析に終わっている。

などなど、上げればまだまだありますが、この4つがまず現代の観相学者の問題点です。
①と②は顔と手の違いだけで基本的には同じ事を言っています、どういう事かと言いますと、皆さん驚くかと思いますが
 顔の部位や手のしわをいくら見つめても相談者の「運勢」など観えないんですね。
良くて状況分析しか出来ません。ある程度は当たりますがこれから先の「未来」の事になると、どこか漠然とした言い方になる占い師によくある傾向です。
 ④に関係しては見える部分をどんなに見ても「過去の事か現在の事しか」基本見えないんです。
結果、分析に終わる観相になるわけですね。
 あと、③ですがこれは観相に限らずその他の占いでもよくある事です。人は普段の時でも良い所より悪い所が目立ちますから、これは占いでも同じことが言えます。
 ですが、悪い所も指南しつつ、また良い所も言わないといけません。

以上が現代の観相学者(人相観、手相観)の方々のもう一つ観相学を理解していない所、実戦では役に立たない理由です。
 では、どうすれば良いのでしょうか?
それには、まず観相の基本の「原理、原則」を深く理解をしないといけません。

先にも述べましたが、観相学はおよそ4200年前の古から研究されています。その4200年の歴史の中で大きく分けると「観相」をもって人を「観る」見方が二つに分かれます。それは「静的」見方か「動的」見方の二つになります。
 これは、「観相学者」(人相観、手相観)に限らず、占い師全般、相談者の多くがもう一つ深く理解されてないところでもありますが、「占い」とは「静的」に観るか「動的」に観るかが、先ず何よりも「肝心」です。

 「占い」を行うとは「運勢」を観る事です、「運勢」とは「運」の流れ、変化であります。つまり「運勢」は「動いている」ものなんですね。

 手相においても人相においても各、部位や手のしわをいくら見つめてもこれからどう動くか分からない運勢は観えないんです。ではどうしたら「観相学」で「未来」が観えるのか?それは色々な古書に載っていますが、「氣色」「血色」「神氣」を観る事です。それも「動的」に観ないといけません、「氣色」「血色」などの中に「動き」を捉えないといけません。ここが現代の観相学者のもう一つ観相学を理解してないところです。

 現代の手相観、人相観の方々は部位やしわ等、目でしっかりと認識出来るものだけで「運勢」を捉えようとしていますが、それは前提から間違っているんですね。確かに部位、しわ等、目で認識出来るもので「運勢」を判断してそれが結果「当たる」事もありますが、相談者のこれからどうすれば良いかの「未来」を観るのは出来る時と出来ない時とあり非常に曖昧になりやすいんです。


 また、「氣色」「血色」「神氣」の見方が各流派、占い師によって様々言われています。例えば「神氣」にしてみれば夕日を背にして立ち背中から湯気のようなものが立ち昇るものだとか、頭から立ち昇るものだとか、色々言われていますが、そんな見え方は決してしませんので、もしそんな事を言っている占い師がいたらそれはマユツバな占い師です。
 
 後、皆さんあまり聞いた事が無いかもしれませんが、人相法の一つに「画相」という占法があります。日本の歴史上この「画相」で有名な占い師と言ったら江戸時代の水野南北先生でしょう。
 この「画相」は顔の中に人の姿や家、家族、職場等々、顔の中にその人の環境や状況が「氣色」で映し出されると言った人相法です。ですがこの「画相」はまさに「静的」見方の代表で中々「未来」は観えません。

 歴史の長い「観相学」ですが中々現代は間違った認識、やり方が蔓延してます。大体、「目」の相だけで一冊の本が出来るくらいです。それを全ての部位の見方を覚えないといけないんでしょうか?
 それは違います、先ほども述べましたが「運勢」とは「動いている」ものですから「動的」に「氣色」「血色」「神氣」を捉えたら良いのです。

 古の賢人は古書にこう書かれています。「観相とは氣色、血色に始まり氣色、血色に終わる」と。

観相学は非常に歴史が深く、とても今回で全てを言い尽くした訳ではありませんが、「人」をまさに「観る」占いですから観相を行うは非常に難しいものです。何より先ず己の人間性が出来てないといけません。ですが本当に本物を体得したものは「即神即相」といってまさに「黙って座ればぴたりと当たる」の神業を身に付ける事も出来ます。

「麻衣相法」の創始者、麻衣仙人の著書「麻衣相法」にも書かれています、人を相する時はなにより「感じ」が大事なのだと。そして、観相学も実は「陰陽論」が元になっています。「陰陽論」とは「陰陽交わって萬物生ずる」です。つまり「運」も陰陽交わる(動く)事によって変化するのです。
 ですから、観相も「氣色」「血色」「神氣」を観、その中に「運勢」の「動き」を捉えるのです。


それと最後に、少し余談ですが。先に述べました「麻衣相法」はまだまだ日本でも一般的に認知されていませんが、観相の大家みたいな方です。日本でも知っている人は知っています。ですがこの「麻衣相法」を全て理解するに現代の観相学者は「神相全編」という書物を元に理解、解釈しておりますが、「神相全編」は麻衣仙人の弟子の陳希夷(ちんきい)という別の仙人が残されたもので、「麻衣相法」のとても大事な部分は載っておりません。「麻衣相法」を説いている「古書」は全部で三つ、一番新しいのが「神相全編」次に「神異賦」そして一番古いのが「麻衣相法」です。(ちなみに、麻衣相法という著書の中に神異賦という章があり、後の方たちがその神異賦の章を抜き出し神異賦という書物が出来ました。要するに神異賦は初めから一冊の書物ではなく、麻衣相法という書物の中の一章にすぎないんですね。)「神異賦」は麻衣仙人と希夷仙人が共作したもので「麻衣相法」は麻衣仙人本人だけが携わり書き上げたもので、「麻衣相法」の真髄を会得したければ「神異賦」と「麻衣相法」を読まないと全貌を理解出来ません。日本でも沢山の占い師達や学者、研究者が「古書」を元にそれを解読し「運勢学」を研究されていますが、多くの「古書」にも「偽書」や「原則、原理」を間違って理解し載せている「古書」も沢山あります。その中から「本物」を見つけるのは中々難しいでしょう。
 実はほとんどの「本物」の「古書」には「隠し言葉」が存在します。これは本当に伝えたい事をあえてハッキリと書かず文書の中に見え隠れする作者の真意、意図する所を察知しないといけません。
 ですからどんなに「古書」の文献などをスラスラ読めてもその「隠し言葉」を知らないと正しく理解は出来ないんですね。その「隠し言葉」が「神相全編」には丸々抜けています。「古書」を読み解くには知識だけでなく正しい読み方があるんですね。
 
2014.03.14(Fri):占い
以前にも九星気学は取り上げましたが、今回は古来からある「九星術」と「九星気学」との根本的違いをもっと取り上げてみようと思います。
 前回でも説明しましたが九星気学は一白年生まれの人は例外なく男女ともに一白とします(立春以降)六白年生まれの人も男女ともに六白、九紫年生まれの人も男女ともに九紫としています。
 これがそもそも大きな過ちであります、古来からある「九星術」はその基礎が易学から来ております。易経にはこう書かれています「太極よりこれ両義が生じ両義は四象を生じ四象は八卦を生じ、八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」ここで注目していただきたいのは、冒頭の太極よりこれ両義が生じ~の部分です両義とは陰と陽の事で太極より何事も陰と陽に分かれると言っているのです。ですから、九星も男女によって分かれるのです。
 
 あと方位に関しても九星気学は大きな過ちを犯しています。方位盤なのですが、古来より中国ではどの流派も四正(東西南北)四隅(北東、北西、南東、南西)は45°づつですが気学は四正を30°づつ取っています。15°もずれが生じたら結果は良いなんてことあるわけありません。
 何故九星気学は方位学もやるかと言いますと、創始者の園田真次郎氏が元々、奇門遁甲という方位学、占いをしていたために九星気学もその影響を受けたようであります。ですがこの奇門遁甲ですが当時、日本に伝来していたものは「煙波釣叟歌」と言う古書をもとに行っていましたがこの「煙波釣叟歌」なるものは偽書なんですね。だから、九星にしても方位にしても間違った認識で始めたんですね。
 要するに亡くなった人の事を悪くは言いたくありませんが故 園田先生は占いを非常に深く理解しているつもりで、実は浅く理解していたんですね。
 その時代に偽書が出回っていたんだから間違っても仕方ないのでは?と思う方もいるかもしれませんが当時でも本物の運勢学を修めていた占い師はいました。

 それと方位に関しては九星気学だけではありませんが風水やその他の方位学に最大の欠点があります、これは其仙流の門外不出に抵触するので詳しくは言えませんが、方位学が易学からその基礎が来ている限りどうしても先天図、後天図の取り扱いは大変大切で、簡単に言いますと現代の方位学者は後天図はある程度理解していますが、先天図はからっきし理解していません、もちろん全員がそうだと言ってるわけではありませんが、それでも十分に理解をしているとは言い難いです。
 これはある意味仕方ないことで遙か昔、先天図の解釈を記載していた書物が焚書(政治的思想などをもった書物を燃やす行為、第二次世界大戦ではドイツもこれを行いました)にされてしまいもうその書物を読む事は永遠に叶わないことになりました。
 ですが極々少数の流派は秘密裏にその内容を後世に伝えたりしてます。
これまでの事を考えますと、ある程度間違った認識を持っても仕方ない部分もありますが、それでも運勢学、方位学が日本に伝わって千年以上経ちます、この千年間に間違い、不自然さに気が付いた占い師もいたでしょうが、どの時代でも本物は知る人ぞ知り、偽物が蔓延してしまうのでしょうか?
 
 補足ですが、では「九星術」はどのように九星を男女によって分けているのでしょうか?以下のようになります。
  
 一白年 男一白、女八白
 二黒年 男二黒、女四緑
 三碧年 男三碧、女三碧
 四緑年 男四緑、女二黒
 五黄年 男二黒、女一白
 六白年 男六白、女九紫
 七赤年 男七赤、女八白
 八白年 男八白、女七赤
 九紫年 男九紫、女六白
 
以上です。皆さんの知っている九星気学ではこの男性基準の部分で男女の九星のすべてを求めているので、九星判断や方位学等も基本、女性はほとんど九星の割り出し方が間違ってしまいます。
 あと、三碧年だけは男女とも三碧です。もう一つ問題がありますそれは「五黄」です。「九星術」では五黄は男性は二黒、女性は一白としていますが、九星気学はなんとこの五黄をそのまま男女に当てはめてしまったのです。この「五黄」という本命卦はそもそも「存在しない」本命卦なんですね。
 易学を深く勉強していれば誰でもわかる事なんですが。やはり、園田先生は運勢学を浅くにしか理解していないと言わざるを得ません。
 
 故 鮑黎明先生も言っております。「九星気学に根拠なし」と・・・。
そしてこうも言ってます。「最初に学んだ事が全ての判断基準になる」とも・・・
 間違いを正しい事と思い込み学んでしまったら、その影響は後々まで悪影響を起こしてしまうと言う意味です。
其仙流でも教訓のために次のような言葉があります、「最初にどの師匠に学ぶかで占い師として、その将来がほぼ決まる」と、一流になりたければ一流から学ぶしかないと昔から言います。

 九星気学をそれでも信じるのは皆さんのご自由ですが。九星気学鑑定士にこれだけは言いたいのです、「気学」を正しいと思いこれからも気学鑑定士としてやっていきたいなら、「九星気学」の「九星」は外していただきたいのです。「九星気学」は「九星」ではありませんから。
 ~気学と名称を変更すれば少なくとも、正しい「九星術」を行っている者たちはこれ以上迷惑をこうむらなくてすみますから。
 

これは私、ミズハが昔、当事者から直接聞いた話です。昭和初期ある易者がお客様から自宅の家相を観てほしいと依頼を受け依頼者の自宅に出向いたところ、これが中々良くない状態だったそうです。事実そのお家は昔は大変栄えおりましたが先代の前当主の時代あたりから次第にお家は没落の一途を辿っていたそうです。
易者はその家のご当主の生年月日からその家の良い家相を指南し、無事仕事を終え帰宅しました。

 それから数日その家の前当主が易者の宅占まで来て、こう怒鳴ったそうです、このやぶ占い師が!と
これはどうした事かと思い訳を聞くとその前当主は何と間違った家相の指南をしてくれたんだとその易者を罵ったそうです。これは取りつくしまもないと思いその時は何とか前当主を帰すのがやっとの思いだったそうです。

 さらに数日今度は依頼者がまた易者の宅占にやってきて前当主の無礼を詫び、事の詳細を聞いたところ前当主は九星気学鑑定士にはまり、その鑑定士の言う事がすべて正しいと思い込んでいったそうです。

 それから8年の後その家は完全に没落し一家は離散したそうです。
その時その易者はあの時正しい鑑定をちゃんと信じてくれていたら・・・と悔やんだそうです。

 これは九星気学鑑定士が皆さん悪いと言っているのではなく、もちろん中には真面目な九星気学鑑定士もいる事でしょう。ですが、私が言いたいのは私たち占い師はその一言で人の人生を変えてしまう、そんな仕事についているという自覚がいるのでは?と言いたいのです、これはなにも九星気学鑑定士に限った事ではありませんが。

 相談者の皆さんもあまりゲーム感覚で占いを遊びに過ぎたりせず、正しく自分の人生に活用してみてはどうでしょうか?
2014.03.13(Thu):占い
前世とは、非常に難しいテーマですがこれも避けては通れない問題ですね。
 現代では前世占いという単語で皆さん知っているのではないでしょうか?
答えから先に述べますと仮に前世があろうが無かろうが今世には直接運勢的影響はありません。これだけはハッキリと其仙流は明言しておきます。
 この前世論は其仙流も全てを解明し理解している訳ではありませんが、「今」を生きている人達に「前世」は何の因果関係もありません、これだけはハッキリと申し上げれます。

 私も世界中の運勢学、宗教学、前世論を知っている訳ではありませんが、そもそも人類に前世なるものが存在するのか?前世があっても人類全員に前世があるのか?このとてつもない問題を現代の前世占い師たちはハッキリと言ってくれません。それもそのはず、前世占い師たちのそのほとんどが偽物ばかりだからです。
 ここからは其仙流としてではなく大変難しい問題、テーマ、成否がもう一つハッキリしない内容を含みますので一人の無相使いミズハとして発言させて頂きます。
 
前世論に対しては私、ミズハもある一定の答えは持っていますが、この問題はすべてがもう一つハッキリしない部分があります。今のところ最終的な答えとしては前世論に対して答えを求めたければ結果、「今の記憶と思考を持って一度死ぬしかない」のではないでしょうか?
 私も長年「無相」を以って前世については色々と調べておりますし、其仙流の先人たちも色々研究はしておりましたが、もう一つハッキリ観えない、感じないなどの部分があって、非常に曖昧な段階にいます。 
なので、現段階でハッキリしている事、もしくはかなり真実味がある事を述べようと思います。

 人はあるものを絶対的に約束された生き物であります、それは「死」です。この「死」をどう捉えるべきなのか?ここからスタートした方が良いかも知れません。
 古来より「生」、「死」、「不死」この三つは色んな場面で研究、論争、などがあり古書にも「不老不死」とは完璧な生命、完全な生命であると言っているものもあります。
 確かに古の仙人たちは「不老不死」「不老長寿」の術、方法、妙薬の研究をしていたと古書にもあります、これはある程度真実味があると思います。
 余談でしたね、話を「死」に戻しましょう。
これだけはハッキリと明言できますが、「死」とは何者にも縛られず、何の束縛もしがらみもない状態になります、つまりすごい「解放感」と「高揚感」があります。
 それと恐らくは「死」とは一度「無」の状態になるものと思います。言い換えれば「命の種」みたいな状態になるのではないかと思います。ここまでの話とここに至るまでの細かな段階についてはある程度自信がありますが。
 どうもハッキリしないのがこの先の段階です。
人は「死」を迎え細かい幾つかの段階を経て「解放状態」に入り、次の段階で「無」になる。

 そして、生まれ変わるのか?そのまま「無」の状態なのか?はたまたもっと人知を超える状態に入るのか?
ここからは私の憶測も多分に入る事になりますが、一定の仮説を述べますね。

 簡単に説明しますと、一度「無」の状態になったら次の段階では「生まれ変わる命」と「生まれ変わらない命」との選別がされるのではないでしょうか?
 何故このような仮説に至ったかと申しますと、「無相」で人は何故生まれるのかと問うてみましたら、どうも人は幸せになる事を宿命付けられているのです。つまり無いものねだりではなく純粋に幸せになれなかった者は生まれ変わって幸せになるようにまた努力出来るのです。
 そして幸せになった「命」は次は生まれ変わる事はないので、次の全く違う段階に入るものと思います。この全く違う段階と言うのがまたハッキリしませんが・・・。

 「無相」で世界人口の何割が前世があるのかと観てみましたら何と約3割~4割の人間に前世はあると出ました、残りの7割~6割の人間には前世は存在しないとの結果でした。
 よく考えてみたらそうかもしれませんね、今や世界は文明、文化がものすごく進み、また広がり人間は古来から比べたらはるかに幸せになる環境が整っていますからね。

 ここまでの仮説、研究の結果から申しますと。
①前世は人類共通ではない(前世のある人と無い人とが存在する)
②前世の行いが今世に直接関与する事は無い(一度「無」の状態になると生前の行いはリセットされるため)
③前世があろうが無かろうが前世を「観る」事に根拠は無い(つまり、意味は無い)
④前世とは「命の連鎖」であって「個人の連鎖」ではない

 以上が今の段階の研究結果です。もちろんこの先、加筆、修正を加える事はあると思いますが。
ハッキリ言えることは、前世占い師などは所詮デタラメを並べて相談者を煙に巻く偽物という事です。
 皆さんも気を付けましょうね。

最後に面白い話をさせて頂きますね、キリスト教は前世論を否定していますが仏教は肯定しています、世界三聖のうち二人が真っ向から違う考えなんですね。(孔子は否定、肯定を論じていません)厳密にいうとキリストが前世否定と言ったかどうかは分かりません、少なくとも「キリスト教」は前世を否定しています。仏教も同じです釈迦が前世肯定と言ったかは不明ですが「仏教」は前世肯定の立場です。
 ですが先に述べました人類には前世のある人と無い人とが存在するという論はこれで間接的根拠になるのではなでしょうか?

  
2014.03.13(Thu):占い
皆さん、風水は知っているのではないでしょうか?あとお水取りやお砂取りも少しくらいは聞いた事があるかも・・・
 それと家相なんて言葉はどうでしょうか?
 
ちょこちょこと聞いた事はある単語ではないでしょうかね?風水、家相、お水取り、お砂取りこれらはすべて方位学と言う学問なんですね。歴史はかなり深く今からおよそ五千年前にその基礎が出来た易学から方位学の基礎は来ております。
 特に風水は皆さんも良く知っているでしょう、風水もかなり奥が深くまた今や風水学も多種多様な流派に分かれていますし、その各流派が自己主張していますので状況はかなり混沌としています。
 ですが、この方位学、これそのものが大変奥が深すぎて実はまだ完成にいたっておりません。皆さんちょっと驚いたのではないでしょうか?
 先に述べておきますが方位学は正しく理解し使えばその効果は驚くべきものです、我々其仙流も和気修方という方位に関する方位取りをお客様に進めていますが、我々はその効果を保証しています。
 もし効果に納得いかなかった場合はお代を返金しております。そこまでこの方位学はすごい効果を発揮出来ますし私たち其仙流は自信があります。
其仙流の事は一度横に置くとしまして、この方位学は先ほど述べたように正しく理解し活用すれば小さい奇跡や、幸運。時にまさかの大きな奇跡を起こす可能性を秘めています。
 ただ、現在の方位学者や風水師たちのほとんどはこの方位学を正しく理解してない方達が大変多く見受けられます。

方位学とはこの我々が生活を営んでいる地球の内外の氣の巡りを計算し氣の流れを観、お客様にその恩恵を授ける事です。現在の方位学者や風水師たちの多くは方位より地形や住まいの中の氣ばかりを語ります、これでは方位学の一番大切な肝心要の外枠が外れています。
 それとある意味もっとも問題なのが現代の方位学者や風水師たちは氣の流れを計算は出来ても、氣の流れを「観る」ことが出来てません、これでは個人個人に合わせた方位取りは出来ません、よって結果はまちまちになります。
効果があったり無かったりと曖昧と言わざるを得ません。

 遙か古の時はこの方位学は貴族、王族が門外不出に取り扱ったり、流派をお抱えにしたり、意にそぐわぬ場合は敵国にこの方位学が渡る事を恐れ流派一門を皆殺しにするほど厳格でありまたその効果は計り知れないもので恐ろしいものでした。では何故ここまで方位学はすごいのか?それは当時風水師達や方位学者は正しい氣の巡りの計算方法と氣の流れを実際観る事が出来たからです。実はこの事実は現代の風水師達や方位学者の多くが知らない事です。
 氣の巡りの計算方法はある程度現在も古書などを調べれば分かりますが、一番の問題点「氣の流れを観る」方法は失われたり、「口伝」で伝授したりで一般に広がる事がありませんでした。
 それゆえ現在の方位学者や風水師たちは計算のみによって気の流れを捉えています。

これらの理由で現代の方位学の多くはその効果が非常に曖昧であります。
 家の中をピンクで飾ったら恋愛運が上がりますとか、鬼門をおかしたら恐ろしい事がありますとかは迷信、オカルトです。皆さんもこのような風水師、方位学者には気を付けましょうね。

 
2014.03.06(Thu):占い
一時この「透視」「霊視」は一般的には否定されていた傾向がありましたが、近年また透視能力者の出現で一般的に再認識されているようです。
 また「透視」はうちの其仙流の得意とするところでもあります。
ここでは占いにとても大事なことでしかも一般的には中々知られていない「透視」の特徴を説明しなければどうしてもいけません。
 それは「透視」にかかわらず占い全般に言える事ですが、実は「運勢」とは「未来」を観るのか「過去」を観るのかと言う事です。運勢と一言で言っても「過去」「現在」「未来」とあるわけです。
 皆さんは占い師はもしくは占いは三つ全部観れるとお思いでしょう。ですが「未来」を観る占い、占い師はほんの少ししかいません。これはある意味衝撃的な事かもしれませんが、事実、「過去」を観る事はある程度どんな占い師にも出来るでしょうが「未来」を観る占い師は探しても中々見当たらないです。
ここでは、過去、現在、未来論を説明するとかなり長くなるのでとりあえずここまでとするとして。
話を透視に戻しましょう。皆様、一般的に知られている透視は大体以下の二つになるでしょう。
 
 ・画像透視(一般的に知られている透視ですね、いわゆる場面、シーンを透視で観る方法です)
 ・霊視

ではこの二つの透視の説明をしていきましょう。

①画像透視
 この透視術は今も昔も存在してはいますが、透視そのものが今一つはっきりと住み分け出来てないことが曖昧さをより助長しています。
この透視術は「色」(氣色と呼ばれる一種の氣)を追いかけると観えるもので医学的にも、生物学的にもある程度根拠があります。ただし、この画像透視は個人の「氣」を大量に消費するので透視能力者によって個人差が激しい上にまた「氣」をチャージするのに人によっては数日、人によっては数年、数十年かかるのではっきり言って実戦的ではありませんしこの理由が長年、画像透視を次の担い手に伝授出来なかった最大の理由です。
 つまり、観えるときは観えるが観えないときはからっきしと言う不安定なものです。
それと、みなさんがよく勘違いをされるのが、この画像透視、実は基本的に過去しか観えません、どう頑張っても現在が観えるのがやっとです。実は中々未来が観えないものなんですね。確かに画像透視でも未来が観える場合があります。
ですが、観えた未来の画像が必ず訪れる未来とは限らないので、これをあてにし過ぎるのは非常に危険なときがあります。
 それと付け加えておきますが、ある有名な透視能力者がこの能力は天から頂いたものであると、テレビや公共のメディアで言っておりますが、断じて透視能力は天や神から選ばれた者に与えられた特殊な力なんかではありません、これは人類全員にある能力です。こういうオカルト、迷信を煽り自分がさも選ばれた者であるという輩にはくれぐれもご注意を、もちろん中には真面目な透視能力者もいますが。

②霊視
 これも聞きなれた「観る」という能力ですね。昔は透視と言う言葉が無かったのでこの霊視と言う言葉が日本では「観る」能力全般に使われていました。
 ですが、厳密に霊視とは「霊性」のものを観る能力です。運勢とは全く関係ないんですね。よくあなたに犬が憑いているから運が無いですとか、蛇が憑いているから不幸が続きますとかは全くの根拠のないデタラメです。確かに霊が「間接的」に結果、人の運勢に影響する事はあっても、「直接的」に人の運勢に影響する事はありませんし、あっても稀です。
 皆さんもダマされないように気を付けましょうね。
そもそも、「霊」とは本来優しい存在なので人に憑りついて悪さをするというのはいささか「霊」に対して勉強不足としか言いようがありません、そもそも霊を「観る」だけで何故悪い霊かどうか判断がつくのかさっぱり分かりません。
 皆さんは初対面の人を見ただけでその人が悪さをする人かどうか分かりますか?中々分かりませんよね?
例え本当に霊が観えていようが今の霊視能力者は本当の意味で「腕がある」という方は中々いません。


 それと、これら霊視、画像透視は基本的にフルカラーでは観えません特に画像透視はその特徴が顕著です。稀にフルカラーで観える場合もありますが本当に極々稀なレアケースです。もしくはそれこそ超天才の能力者のどちらかですね。
もちろん、そのような超天才は極めて稀有ですが。
 それと皆さん「千里眼」という言葉を聞いたことがあるかもしれません、この「千里眼」は言葉こそ違いますが画像透視と全く同じ意味なのであしからず。
霊視は言うに及ばず画像透視も、実は「運勢」を観ているという事ではないんですね。ちょっとびっくりしたかもしれませんが。先に述べたように「未来は」決まっておりません。画像透視はただ、その場面、シーンを観ているだけなのです、その観えた画像が本人にとってどのような運勢になっていくかは観えないのです。または観えた場面の通りに事が進んでも寸前で違う選択を人間はすることがあります、このような時に画像透視は非常に当てにならないものになります。 ですが、例えば病気の原因部を特定したり、失せ物を探したり、探し人の行方を特定したりと活用の仕方はあります、ですがそんな事をしている自称透視能力者は中々聞いた事ないですよね?
 当たり前な話、自称透視能力者はその名の通り「自称」ですから。
 
観えないものを観、察すべきものを察する事など中々出来るものではありません。それが出来るからこその占い師なのです、多少、観えるからとか、感じるからとかは所詮お遊びです。
 

以上が透視。霊視についての説明です。これですべて説明が出来た訳ではないのですが、皆さんも少しは透視や霊視について今まで知らなかった知識がついたのではないでしょうか?

 我々は今の占い業界を憂い、このままでは折角の優れた運勢学が滅びてしまいかねない状況に一石を投じる為、正しい歴史認識、知識、技法などを皆様に少しでも知ってもらい、皆様一般の相談者が我々占い師を「淘汰」出来るように願ってます。正しい本物だけが通用する業界に修正出来るように努めてまいります。
 
      
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